ナムラコクオー物語(4歳編・その5)

 レースについて。
 以下、「優駿(1994年7月号)」のダービー特集の木村幸治氏の文章からナムラコクオーに関係する部分を恣意的に一部抜粋(やっぱりプロの文章は上手いなあ、としみじみ思う次第)
―前略―

 (噂に聞いてはいたけれど、やっぱりダービーは違うな)と思った。自分の神経が妙に緊張しているのが分かる。体の強張はさほどでもなかった。
 午前七時半に上村はひとり東京競馬場の芝コース一周二一一六メートルの上を、ゆっくり歩いている。
 (ナリタブライアンの位置取りを、強く意識したコクオーとのレースになるだろう。どこを走ったらいちばん馬場が荒れてないのか。距離でロスをさせないで走れるのか)
 上村は八時間後にゲートが開くレースを空想しながら、じっくり歩いた。だれに「歩いてみろ」と言われたわけでもない。自然にそうしたくなったのだ。効果はあったと思った。
 内埒から馬体の幅にして五頭分くらい外めのところが、馬場状態が良く、走りやすそうだった。その、もしかすれば気晴らしに過ぎなかったかもしれない”早朝散歩”は、しかし上村から過剰な緊張を取る効果としては役立った。
 パドックから、地下通路をへて本馬場入場をしたナムラコクオーを返し馬で走らせる。その時までは、日ごろのレースと違って自分の精神状態が正常でなかった――浮ついていた――ことを、上村は返し馬が終わったあとに得た平常心によって気がつくのである。
 東京競馬場を埋めつくした十八万七千人の人の洪水を、その時になって初めて、いつもと同じレースのように冷めた目で見ている自分に出会うのだ。
 野村彰彦調教師から、どう乗ってくれといった指示はひと言もなかった。

 スターターが小旗を振り、ゲートインの時が来た。偶数の10番だから、奇数番の馬が先に入るのを待つ時間が、上村にはあった。
 (ゲートが開いたら、南井さんは南井さんの乗りかたをするだろうし、僕は僕なりに乗るだけだ)と、上村は考えた。

―中略(主にノーザンポラリス出遅れ関連)―

 レース途中の最大の見どころは、十八頭の馬群の中でブライアンとコクオーがどんな位置取りで勝負をするかにかかっていた。とりわけレース前「ブライアンの前に出る」と公言した上村洋行のナムラコクオーがその通りにやれば、場内は騒然と沸くに違いなかった。
 だが、生きたレースは予想外の方向に展開する。

―中略(主にアイネスサウザー関連)―

 レースは、ほどなくして向正面にさしかかった。途中千メートルの時計が1分0秒00と表示される。馬たちの位置が明確になる。
 アイネスサウザー、メルシーステージ、トロナラッキー、サムソンビッグ、サクラエイコウオー、スギノブルボンと六番手まで続いて、七番手の好位置にナリタブライアンがいた。その一馬身あとに上村のナムラコクオーである。
 上村がいう。
「内埒から五頭分くらい外を、と思っていたのにその場所に、入れ代わり立ち代わり馬たちが入ってくるんです」
 一回、上村はコクオーを急がせ、内側からブライアンにクビ差のあたりまで差を詰める。その様子は南井の目にしっかり見えていた。三コーナーまで「上村の姿は見えていた」と南井はいった。

―中略(その後ろの馬の紹介)―

 レースは、三コーナーに来た。
 ここで勝負の大きな分かれ目が見えた。
 それまでコクオーの上村を後ろ側にチラリと視線を送る視界で捉えていた南井が、ブライアンを外に持ち出した。明らかに勝負に出たのだった。もしかしたら、上村の代打としてNHK杯でナムラコクオーに乗り圧勝した南井は、「すごい馬だ」と褒めたものの、その時ブライアンとは違うコクオーの成長度に気がついていたのかもしれない。もう相手は、コクオーではないと決めこんだ男の仕掛けだった。

―中略(2・4・5着馬の動き)―

 上村洋行の願望。
「南井さんが行くのが見えたので、三コーナーで行きたかった。外へ持ち出すにも、右後ろに加藤さんのドラゴンゼアーがいる。前にも外にも行くところがなかったんです」
 外から一気にトップをうかがった南井。
「今の段階じゃ、他の馬より強いからね」
 四コーナー手前に来た。岡部のダブリンの前をナムラコクオーが走っていた。岡部の話。
「前にいたコクオーが外に行き、前がガラリと開いたんだ。しめしめと入ったら、外からナムラコクオーが戻って来て、後ろから来たオフサイドトラップが挟まる形になった」
 安田富男が開いた空間について口を開く。
「コクオーが外行ったんで、よしよしとそこへ行ったら、岡部も武も一斉にそこへ来た。そしたらコクオーが戻って来てアウトさ。わずかな差だったな。俺の馬が抜けてて、岡部のが後ろだったら、岡部のウマが挟まれていた。ほんのちょっとも明暗で、俺のウマ、ギアがトップに入ったままでエンスト状態になっちゃった。そこで馬の闘志がぬけてお仕舞いさ」
 安田は、上村の甘い罠(スイートトラップ)にかかってしまったと苦笑した。しかし、空間をつくったほうの上村の意見は違う。
「あの開きは一頭分しか入れない広さだったと思うんです。だのにニ頭はいってきたからああなっただけ。ブライアンの一馬身後ろをドラゴンゼアーが追ってました。僕があらかじめ走りたかった走路を他の馬が走っていく。インに入って武さんと岡部さんは、着ねらいに行った感じでしたね」

―以下略(1〜5着馬の話題だけ。ノーザンポラリスと的場さんについて多く書かれているので個人的には書きたいところですが、一応コクオーの話なので省略)―
 さて、まあこれを読んでいただければレースの流れはだいたい分かると思うのですが、早い話がレースはノーザンポラリスの歴史的出遅れでスタート。メルシーステージがゆるいペースで引っ張るところを、アイネスサウザーが引っかかって先頭へ。んでもって3角でブライアンが動いてはいさようなら。
 というレースでありました。
 ブライアンが動いた時に、見ていた柴田政人氏が「早すぎる!」という趣旨のことを言った、というのは有名ですね。まあ、一般的にはそれくらいブライアンの力が抜けていた、と。んでもって、確か帰ってきたブライアンの息がすぐ整ったとかなんとか、という話も読んだ記憶があります。へぇ〜。
 ということで、負け犬の遠吠えに続きます

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