小倉若松探訪記2009(小倉編)

 週末を利用して,小倉と若松に突撃!

壇ノ浦SA。橋とSAの写真を,もっとうまく撮りたかった…
 というわけで,仕事が終わってスーツ姿のまま,深夜バスで小倉に突撃であります。


 道中,壇之浦SAで小休止。深夜のサービスエリアの静かなのに妙な人気(ひとけ)がある雰囲気ってのは独特ですな。
 壇之浦,というと,やっぱり源平合戦が思い起こされてしまうわけです。なんとなく瀬戸内海の西の方で最後の戦いが行われていた,というのは当然日本史で習ったわけでありますが,具体的に西のどこか,と言われると全く分かっておりませんでした。さらに言えば,深夜の高速バスに乗って移動していたら具体的に現在地がどこなのかなんて分かりません。
 と,いうわけで,関門海峡付近に壇之浦があると分かった壇之浦SAでありました。

 そんなこんなで,バスは6時すぎに小倉駅に到着。小倉駅は人生で2回目,のはず(これを書いている時点で何回も小倉に行ってるのでもはや記憶はごちゃごちゃ)。

 さて。6時すぎに小倉に到着して,一体何をすればよいのか。
 とりあえず,朝食をとって,小倉城に向かいます。朝なので,店は開いてませんし,人もいません。とりあえず,小倉城を目指して歩きます。
 ここでの問題は,雨が降ってきたということ。う〜ん,文字通り,暗雲が……。

 どこか適当なお店で時間をつぶそう,と甘い考えでいたのですが,その「適当なお店」が見つかりません。
 西小倉駅前なら何かあるだろ,と思ってたら,特に何もないんですね,これが。もしかしたら何かあったのかもしれませんが,雨の中きちんと探す気力もなく。
 リバーウォーク北九州という商業施設があったので中を探索してみましたが,この手の綺麗な商業施設の中に,浮浪者を呼び込むような24時間営業の施設がないことはまあやむなし。まあ,雨宿りはできたのでよかったかな……と思っていると,スターバックスが8時オープン!少し待てば開きます。地獄にシアトル。スタバよりもエクセル氏オールタリーズ,シアトル系よりもベローチェドトールな人間ではありますが,スタバを積極的に嫌っているわけでもないので,8時を待ってスタバへ。

雨のなかのお堀と天守 地獄にスタバ

 しばらくしてから,八坂神社へ。 祭り業界には疎いのですが,ここの祇園祭は全国三代祇園祭の1つのようです。「福岡で祇園」というと,どうしても博多が思い浮かぶのですが(なんせ博多の櫛田神社には何回も行ってるしな),世界は広く,福岡は深いのであります。ただ,Wikipediaによると,三代祇園祭は京都博多会津で,小倉は入っていないようです。小倉的には,どこに代わって小倉が入ると考えているのか,ちょっと聞いてみたいところではあります。
 あと,神社に納骨堂があるというのがあまりピンときませんが,検索してみると,新しめの神社(護国神社等)にはけっこうあるようです。神仏分離後に出来た神社ならなんとなく分かりますね。八坂神社なんかは歴史もあるので,神仏分離の際に納骨業務も神社に残したんだろうか。それともお寺がなくなって神社しか残らなかったのかな。このへん,宗教史には疎いので駄文はこれくらいにしておきたいと思います。

八坂神社御由緒 東の楼門 拝殿

 そんなこんなで小倉城。
 明治期には日本軍も使っていたようで,いろいろな時期の遺構が残っております。裏返すと,どっちも中途半端,ってことになりますが。
 中世期の門は明確に防御施設としての門なので,遺構として妄想が広がりますが,近代の門は単なる区切りでしかないので,煉瓦として綺麗だとは思うけれども,妄想はあまり膨らみません。
 さらに,大雨の中の探索だったので,写真がズタボロなのであります……。

 そういえば,これを書くにあたって記憶喚起のために(なにせ行ってから3年後に書いてますので…)小倉城のホームページを見たところ,「城内のご案内」で案内されているのが天守閣の中だけでした。このままでは「天主閣はあくまでお城の一部」派からの反発は避けられないところだと思うので,「天守内のご案内」とでもした方がよいかと思われます。

鉄門跡
復元に際して幅が倍に
解説
鉄門の左側の石垣が赤いのは,落城時の火熱のせいだとか……
びっくりであります
第十二師団司令部正門跡 ぶれてますが,花塚 雨の本丸
第十二師団司令部跡 筆塚 本丸から見る天守 復元記念碑 弾薬
八坂神社(北の丸)につながる
多門口門
茶筅塚 そんなわけで,天守へ

 そんなわけで,天守閣に入ります。天守閣内は虎を除いて撮影禁止。個人的には,説明パネルはのちのちの記憶喚起のために撮らせてもらえると嬉しいんですが,これを認めだすとおそらくほかのものも撮る人が出てくるから無理なんだろうな……。せめて,城内の説明パネルと同じ文章をネットにあげてくれるとありがたいところ。

迎え虎。ぶれた。 最後の「です」がかわいい 最上階
ここだけ見たら天守閣内とは思えない
つまようじの小倉城

 コンクリ復元天守だけあって,最上階は修学旅行に対応可能な,観光地仕様になっておりました。
 雨ではありますが,やはり天守からそとを眺めないわけにはいきません。あまり眺めはよくないですが。

堀なんだか川なんだか 小倉城庭園 松の丸・白州灯台方向

 そんなわけで,天守内でしばらく時間を過ごしても雨は降り止みません。仕方がないので探索を継続。

大手門跡 そこから見る天守 小倉城庭園入口付近から見る天守

 で,続いては小倉城庭園です。庭園はいわゆる池泉回遊式庭園でありますが,雨の中のんびり回遊しているわけにもいかず,とりあえずぐるっと歩いて書院へ逃げ込むのでありました……。
 雨で池の水が思いっきり濁ってますが,本来ならば水はもうちょっと綺麗なんだろうな。残念。

入口 橋と路が一本になるように設計されております 橋の水はけが悪く,
はまらずに歩ける場所がない……
書院 天守方向
庭の様子。水が濁っています。水かさも増しているように見えるので,本来の庭園の姿とは異なっていると思われます

 あらためて写真を見てみると,本来の池の領域もよくわからないな……。う〜ん,本来はもっときれいなんだろうけど,ちょっと残念。再訪する日はくるのだろうか……。ファミさん所有馬の小倉出走の度合い次第かな。

 で,書院内へ。ここから眺める小倉城天守が美しい。
 また,ここでは無料で解説を聞かせていただきました。ここの書院は取次の間→二の間→一の間→上段の間と区切られているのでありますが,上段に向かうに従って,天井の格子が精緻になっていっているのだそうです。おおっ,本当だ!これは知らなかった。ここでこれを聞いて以降,ほかの書院造の建物でも結構意識して天井を見上げているのであります。場所に寄りますが,ここ以外にもそういう造りになっている建物は見受けられます。そんなわけで,なにかにつけて天井を見上げるNPを見ても変人視しないように。それ以前から変人視してるから問題ない,とか言わないように。
 また,同様に,畳のまわりの装飾も,下から上に向かうにつれてかわっていくようです。勉強になるなあ。

書院から眺める天守 書院内 間が変われば飾りが変わる
このように,天井の格子が精緻になっていくのです! 書院から庭を眺める。かえすがえすも天気が残念。

 ここで説明を聞けたのは本当によかった。ありがとうございました。普段は時間が無いから説明を聞いたりしないのですが,こういうことがあるから,やっぱり説明を聞いた方がいいんだろうなあ。聞いてもあまり覚えてないのはメキシコでの痛い経験の通りなんだけれども。

 庭園を出ます。
 とりあえず,天守からも目立っていた白州灯台に向かうことにします。なにかと目立っていたのですが,なんでこんな場所に灯台があるのか,よく分からなかったのです。
 解説によると,関門海峡の響灘に灯台を建立しようとした岩松氏を顕彰するために,つくられたようであります。

 続いて,松本清張記念館へ。ここは写真なし。実は,砂の器なんかはドラマで数回見ていたのでありますが,松本清張の本自体は読むようになったのはここ最近なんであります。そのせいでどうも「北野武の点と線に影響されて松本清張を読むようになった」と一部から誤解を受けたこともありました。しかし,残念ながら,北野武の点と線はみていないのであります……。
 記念館を出ると,雨がやんでおりました。

中津口門の大石 右手にある大石ですね あらためて天主閣 白州灯台 天守を 灯台 ああ白州灯台
灯台 解説 雨が上がって少し見通しがよくなった 市役所前には
清張生誕100年の飾りが

 続いて,小倉競馬場に向かいます。
 実は,自分のことだから競馬場に行ったなら写真を撮ってるだろうと思っており,競馬場の写真が1枚もなかったため,自分の中で小倉城から若松にかけての行動が謎になっておりました(時間的には,明確に競馬場に寄ってるような時間があいてるのに。そして,旦過市場からモノレールに乗った記憶もあるのに)。で,自分の日記を見た結果競馬場に行った事実が確認されました。どうも,大江原騎手が初勝利を挙げた日だったようです。ああ,確かにそれを場外で確認した記憶はあるな。
 単に小倉競馬場では1枚も写真を撮ってなかっただけなのですが,なんでだったかな。まあいいや。若松競艇場での枚数も少ないから,当時はあまり写真撮る人間じゃなかっただけなのかな。とにかく,日記ってのは役に立ちますね。
若松へ

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