田平と平戸その2

 さて,食事を済ませて体力回復。いざ平戸城登城であります。それにしても,このくそ暑い中運動場(三の郭跡地)では元気に野球少年が野球をしております。俺にもこんな時期があったのか。ふぁいとふぁいとー。

 で,平戸城は例によって本丸に神社があるので,鳥居をくぐって登城です。
 今あらためていろいろ見たところ,この平戸城は山鹿素行が山鹿流の縄張りによってつくりあげたものとのことです。山鹿素行さんの名前は昔から存じ上げておりますが,残念ながら知ってるのは名前だけ。てことで,Wikipediaによると,会津のご出身で,赤穂に飛ばされて,赤穂事件で名前が出てくるんだな。有名になったのはこれが原因か。
 それにしても,山鹿素行ってことは江戸期なわけでこんな時期に築城が認められてるってことが凄いな。真面目に平戸城の歴史を勉強すると面白そうだ。とりあえず,現時点では簡単なWikipedia知識だけですが,ちらっと書かれている東シナ海警備ってのの必要性が高まる何かがあった,あるいは築城のために何かを偽装したんだろうな。
 しっかし,山鹿流がなんなのかはちょっと検索しただけでは分からなかった。これはまたいずれ。

 てなわけで机上のお勉強でごまかしてきましたが,とにかく城に関しては暑かったという記憶しかない。とりあえず,現存遺構として北虎口門と狸櫓があり,狸櫓の解説を今初めて読んだところ,どうも入口上の額の中に狸櫓の由来が入っていたようです。まあ,ネットで見ればおおよそのことは分かるとはいえ,気付かなかったのは大エラーだな……。

鳥居を抜けていく 石段の先には石垣 石垣と櫓
この櫓がなんなのかは
既に記憶の外
位置的に多分地蔵坂櫓
ご案内
北虎口門外から 中から その脇にある狸櫓
これも現存建築物であります
それにしても,入口上の額に古文書の写しをいれるなら
資料室内に入れておいた方がみんな読みやすいし
NPのように読み飛ばす馬鹿もいなくなって
いいように思うんですが……
現在は農耕資料室として使われております
まあ,物置と言った方が正しい気もしますが…


 そして,本丸へ。
 本丸御門なんかはひっそりと立ってますが,今見るとこの虎口はかなり恐ろしい虎口だな。さすが山鹿流,とよく分からず書いて褒めておくことにします。

本丸御門 正面は石垣となっており
ここを突破するのは
容易ではなさそう
左に折れることになります そして模擬天守が登場! 逸品処
ここに売店をおくのも山鹿流?
模擬天守からの眺め 中に展示されていた
北虎口門の門扉
見奏櫓へ 見奏櫓からの眺め 懐柔櫓へは進めず このあたりの石垣だと思われるけど
疲れているせいか
ヒントになる写真を撮ってなかった


 本丸に別れを告げて,いったん本丸御門や北虎口門前を抜けていきます。
 乾櫓と,亀岡神社です。この部分は二ノ郭にあたる部分で,ネットを見るとあちこちに石垣遺構があるとてもおいしい場所だったようですが,残念ながら体力の限界ゆえおいしい部分をほとんど見逃してしまったのでした。無念。
 そして,三ノ郭跡地で元気に野球に励む少年たちと,城跡で紫外線を相手に激戦を繰り広げる保護者の皆様を尻目に,坂を下っていきました。バスに乗り遅れるわけにいかん。

上から見る本丸御門 正面に狸櫓 北虎口御門2階と
奥に見えるのが地蔵坂櫓
乾櫓。今は単なる休憩所 明治天皇の外祖母,
中山愛子氏の像
神楽殿
境内 神門 簡単な御由緒 拝殿 乾櫓っぽいけど,
もはや自分の記憶に無い
三ノ郭 こんな感じの
石垣が随所にあったっぽい


 そんなわけで,行きと同じルートで佐世保駅に戻りました。
 駅で買ったのが,ハトシという食べ物。エビのすり身を春巻きっぽくしたやつ。なぜか有名ではないですが,これはスナックとしては非常によろしい。佐世保競輪……は客が少なすぎるけど,まあ記念くらいだったら出店してもいいんじゃなかろうか。出店してるのかもしらんけど。合わせて,駅構内の店で最後に再度の佐世保バーガー。電車内で食べるのは若干公害かな,と不安になりつつも,まあ許して下さい。なお,おいらは新幹線の中で551の肉まんを食べるという犯罪を犯したこともございます。この場にて謝罪させていただく所存であります。

平戸の景色 日本最西端佐世保駅
下に小さくJRとあります
ぶれたけど,ハトシ 同じくぶれたけど,最後に買った佐世保バーガー


 特急みどりで福岡へ戻ります。福岡から先はどうやって海を渡ったのかもはや記憶にありません。ほんと,人間の記憶ってダメですね。

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