ひとよし湯よし城よしその2

下流側 上流側

 そんなわけで,青井阿蘇神社をあとにして,次に目指すは永国寺。
 まず,球磨川を渡ります。球磨川と言えば,日本3大急流の1つとして小学校のころに暗記させられた記憶があります。が,人吉のこのあたりでは急流の片鱗もみられず,いたって緩やかな流れ。
 ところで,日本三大急流って誰が選定したんでしょうか。日本急流認定委員会でもあるんかな。それとも国交省が認定したんでしょうか。

 まあそれはさておき,橋を越えて5分ほど進むと進むと永国寺であります。

 解説文にいきなり現れるのが,「西南の役薩軍本陣跡」。西南の役における薩摩軍の経路なんて全然知らず,当然海沿いを進んで(退いて)いったのだろうと思っていたので,人吉にこういう場所があるというのは初めて知りました。
 九州をぷらぷらしていて思うのは,いろいろな場所に西南の役に関する石碑などが残っていることです(諫早神社とか)。東京に住んでたときは全く意識しなかったのですが,こうしてみてみると九州における島津・西郷の影響力の強さを感じるのであります。

 さて,仁王様に睨まれつつ境内へ。石塔などを横目に本堂。上がってよいということなので上がらせていただきます。
 幽霊寺のレプリカ幽霊を拝みつつ,幽霊が出たという池も拝見。幽霊のことを知らなければ非常に綺麗でいい庭ですね〜。
 そして,びっくりしたのが,西郷隆盛さんの位牌がここにあること。どういう経緯でここに位牌が置かれたのか全く分かりませんが,まさかこんなところにあるとはねぇ。
 そんなわけで,幽霊を目当てにいったものの,西郷さんが現れてびっくり,の永国寺でした。時間があれば,庭の池を前にまったりのんびりしたかったんだけどね……。

やじるし 薩軍本陣跡の解説 永国寺の解説 山門 楼門
楼門 耳塚 いつの日も 人吉一番隊士の碑
あらためて楼門 仁王像(吽) 仁王像(阿) 境内
五重石塔 逆側から 観音堂と石像
西郷本営跡碑 本堂 永国禅寺
幽霊が出たという池 由来 レプリカ 西郷さんの御位牌


 さて,進路を変えて,一路人吉城方面へ。目指すは元湯。
 しかし,歩いているとまたも西郷さんゆかりの場所に遭遇しました。西郷隆盛宿舎跡。しかも,さりげなく人吉城唯一の現存遺構である堀合門と一緒になっています。唐突にこういうものが出てくるから,城下町旅行中は徒歩か自転車に限るんだよな……。
 できれば武家屋敷も中に入って見学したいところではありますが,いかんせん可処分時間に限界があります。堀合門の写真を撮っておしまい。
 それにしても,人吉ってもっと西郷さんで売ってもいいような気がしますね。うまく鹿児島とタイアップできないもんなんでしょうか。それとも,過去に失敗した結果こういう感じになってるのかな。

堀合門 解説 西郷宿舎跡でもある
あえて「(西南戦争)」と書かなくても,
誰も普通に西郷さんが泊まっただけの場所だとは
思わないとは思うけど……
でも,親切でよいですな。
武家屋敷の案内
焼酎アイスが気になりますね
たぶん,奥に見えるのが武家屋敷


 さらに進むと,橋に出ます。川は胸川っていうんですね。名前の由来はなんなんでしょうか。
 そして,長櫓が見えます。テンション上がりますね!どうも,ここは大手門跡のようであります。奥に見えるのは市役所。城域に役所ができるのはどこも同じですな。
 ただ,昔の絵なんかを見ても,ちょっと大手門がどういうふうになってたのかあまりイメージが浮かんできません。ううむ。
 しかし,時間がないので妄想もそこそこに先に進みます。

多聞櫓 多聞櫓の先に塀 解説 絵図
市役所 下から
絵を見る限り,階段は後世のもの?
たぶんここは虎口なんだろうな で,ここに門があったということかな? 逆側から大手門方向


 そして,見えてきました,元湯!

案内板 元湯 外観 大人200円。安い! ピンク電話
朝6時から夜10時まで のれん 正面から ちょっと引いて外観


 よくわからんのですが,ネットを適当にブラウジング(←死語な気がする)していると,人吉の元湯は昼休みがあるようなことが書かれていて,不安だったのでお城を回って汗をかく前に乗り込んだのでありました。
 で,この温泉,素晴らしいですね!外観は(たぶん市から補助が出てるんだと思いますが)そこそこ綺麗でありながら,中の雰囲気はいたって素朴。脱衣所もかごがあるだけ。でもそこから庭が見える平和な空気。
 浴室も,真ん中に正方形の湯船があって,まさにそれだけ。そこを取り囲むように座って,桶でお湯を汲み出して体を洗います。泡を湯船に入れないように注意するのがちと大変。このシンプルさ,別府競輪場温泉を思い出しますが,あそこはそれでもカランついてたかな。
 なんにせよ,This is 温泉,という感じの,ちょっとぬるっとしたお湯。温泉に実際効果があるのかどうかは文系NPには分かりかねるところですが,これだけ温泉っぽさがあれば満足であります。いやはや,これだけでも来てよかったというものであります。
 それにしても,人吉の共同浴場的温泉は,ここ以外もこういったレトロな雰囲気が漂う場所のようで,こういうレトロな雰囲気が好きな方にはおすすめでありんす。次に来ることがあれば,また別の温泉に行きたいっすね。

 温泉に満足したところで,その向かいにある林鹿寺。ここにも西南戦争(勢いで西南「戦争」と書いてしまいましたが,「役」と「戦争」って明確に意識して使い分けられているんでしょうか。政府軍的には単なる「役」で,薩摩的に「戦争」とか。)関係の碑文が。
 ここの碑は両軍の戦死者慰霊のためのもののようであります。勝海舟の筆によるとのこと。人吉からみたら,両軍とも慰霊の対象なんでしょうね。このへん,明治時代の歴史を勉強してるともっとよかったんだろうな。

読めない 山門 本堂 戦死の碑
「勝」と「海舟」の間に全角スペースは必要なんでしょうか


 さて,さっきの大手門横の多聞櫓(長櫓)が気になるお年頃なので,一度戻ります。

 扉が開いており,どうも,中に入って見学できる様子。なんと親切な。しかも,そのわりに人気が無く不安になります。さっきの青井阿蘇神社の喧噪はいったいどこへ……。もしかして,本当は入ってはいけないのに風通しのために開けているだけなのか……?
 と,不安に思いながら中に入ると,一応解説文があったりパネルがあったりジオラマがあったりするので,やっぱりこの立ち入りは合法なんでありましょう。
 で,たぶんジオラマは中世人吉城のもの。中世人吉城はいまいち発掘も進んでないんでしょうね。今後予算がつく日はくるのでしょうか。しかし,パネルがあるのでパネル裏の胸川方向への鉄砲狭間が完全に隠れております。そのへんにはあまりこだわりがないんだろうか。

解説 大手門方向を見る 長櫓から城内方向を 解説
櫓の中
やはり板は垂直方向なんですな
こういうのがあるので見学OKなんでしょうな。
思うに,資料館が新設される前はここがメインの資料館だったのではないでしょうか
壁に沿ってパチリ 城内から


 で,城域。このへんには戦時は番所等,平時には諸々の屋敷があったようです。とても綺麗に整備されていて,時間があったらぜひのんびりしたいですな。誰かさんだったらきっとここでゴロゴロすることでしょう。

渋谷家屋敷跡
渋谷一族の子とかがこういうのを見たら,感動するんかな
確か穴蔵跡だったと思う
(もしかしたら井戸かも)
広々とした芝生
維持費は馬鹿にならないと思う
ここもたぶん屋敷跡
奥に見えるのが角櫓


 そして,時間的に本当は入る予定ではなかったのだけれども,目の前についたらやっぱり気になるので人吉城歴史館に入ってみました。
 新しく,きれいな歴史館であります。
 ここの売りは,相良清兵衛の地下室。未だに用途が分かっていない,謎の地下室らしいです。もしかしてここに地底人を匿ってたんでしょうか。
 この地下室,お願いすれば階段を下りて地下部分まで見学させていただけるらしいのですが,時間的に無理。上から地下をのぞき込むだけにしてしまいました。う〜ん,八代をセットにしたのは失敗だったか……。でも仕方ない。
 本当はもっとじっくり見学したかったのでありますが,15分程度でぐるっと回って出てしまいました。

人吉城歴史館 中のトイレの「もう一歩前へ」表記が
見慣れないものだったので,
思わず撮ってしまった
ロータリークラブによる解説 分け八つ橋
弘前からの寄贈らしいです



 そんなわけで,目の前に見えるは人吉城石垣。いざ行かん。

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