ユヅノバイシン

 梅津寺,というのは駅名にもなっておりますし,もちろんかつては梅津寺パークという泣く子も黙る遊園地がありました。今(2020年)は愛媛FCの練習場がありますね。

 さて,ときは2011年。私が一度目に愛媛を去ろうとしていたときのことでございます。梅津寺という駅や梅津寺の名のつく場所は大変有名ではありますが,他方で梅津寺という名前があるからにはあるはずの梅津寺というお寺はまったくもって有名ではありません。そりゃまあ,四国八十八カ所とかに入ってないお寺が有名になりようが無いのは仕方ないとはいえ,なかなかに不思議な現象です。
 てことで,愛媛を去る前に梅津寺を見てみよう,と思ったのでありました。まあ,梅津寺公園に梅を見に行くついで,ではあるんだけど。
 というわけで,梅津寺駅に到着。東京ラブストーリーってこの時点で20年前のドラマだったんだな。ドラマをほとんど見ない人間なのでこのドラマの人気の根源は分からんけど,20年経ってロケ地にハンカチが残るってのはなかなかに凄いことです。ただ,看板の案内の最終段落にとってつけたように「90年代を代表するドラマの一つ」と書かれてるのはなんなんだろうか。この説明は最初の段落に書いた方がいいような。

1.梅津寺公園

ハンカチ ホームの様子 ホームから見る桟橋 駅舎

 で,梅津寺公園に入ります。伊予鉄道1号機関車がお出迎え。
 所詮は他県民なので,「伊予鉄道1号機関車」と聞かされてもあまり思い入れがありません。ただ,こういう機関車を走らせて,今もなお伊予鉄道という会社を残している,というのはなんとも凄いことです。


 で,梅を見に行きます。梅津寺公園は梅の品種の案内を出したりはしないようです。頭でっかちにならず,そこに咲く白梅と紅梅を眺めるのみであります。

遊園地時代には
活用されていたであろう地下道
梅園の様子

2.梅津寺

 で,梅津寺へ。ちょっと丘を登ったところにあります。鐘が市の有形文化財として指定されているようです。鐘の説明のついでに,梅津寺についての説明もありました。千秋寺の住職だった雪广禅史が創建したお寺,ということのようです。千秋寺というのは,御幸にあるお寺でしょうね。


 で,愛媛FCが使っている愛フィールドをチラ見して,道後に向かいます。


現役の坊ちゃん列車

3.湯築城

 てことで,やってきました湯築城。前回湯築城に行ったのは,3年前。時間的に限界があったため,山を登っただけで終わりました。今回は復元住居や土塁を見て回ります。
 というわけで,湯築城のある道後公園にはいります。まずは土塀と武家屋敷1。土塀は石手寺の記録や周辺家屋などを参考にして立てたようです。
 100名城に指定されるだけあって,歴史・発掘成果に忠実に,非常に意欲的な復元がなされております。こちらは対抗して画像編集ソフトを使って斜めに撮った説明板をまっすぐに編集してみます。いやあ,素人でもこんなことができるなんて,便利な時代だ。

城に入ります 土塁。さすがにこんな土塁は競馬では見られません。
武家屋敷1 前回は17時を過ぎてました ある日の武家屋敷 水瓶

 そして,外に出ます。武家屋敷2は,内部構造を巡って説が2つに割れたようで,結果として復元には至らず,両説併記ということになったようです。どっちも大物の先生が出した説だったのか,じゃんけん3本勝負をしたところあいこが続いて終わらなかったのか,はたまたいずれも市への献金が足りなかったのか,いずれにしても,どちらの説に沿った復元になるかは,今後の調査結果を待つこととなりました。歴史に忠実な復元にする,というのは最近の文科省の方針通りなんでしょうね。昔だったらここにコンクリ天守が立ってたかもしれません。
 円形石積遺構についてもそうですが,分からないことを正面から「分からない」と解説するのは本当に素晴らしい。妄想が広がります。

円形石積遺構
井戸でも便所でも無い,ということのようで,
もしかしたら宇宙人が住んでたのかもしれません
武家屋敷2 武家屋敷2の復元について A説 B説
公園の様子 最大土坑 庭園の池

 そして,土塁です。競馬ばっかりやってると,「土塁」という言葉からは障害戦しか思い浮かびませんし,ここの土塁もぱっと見パルドゥヴィツェのアイリッシュバンクを思い出させる雰囲気になっておりますが,言うまでも無く,城跡の土塁は防御用。まあ,馬を邪魔するという意味ではどっちも一緒か。そもそも障害戦の土塁も背景には戦争用の土塁があったんだろうしな。

 ここの堀は二重堀だったようで,しかもいずれも人工的に掘ったもののようです。近くを石手川が流れているとはいえ,なんでここを拠点にしたのか,ちょっとよく分からんです。もしかしたら当時の石手川の流れは今と異なっていたのかもしれません。

 それはそれとして,ここの土塁と堀の特徴は,なんといっても内堀土塁と内堀の関係。内堀それ自体は中央の丘陵部への進入を防ぐため,とわかりやすいのですが,内堀土塁は内堀の外側から内堀を取り囲むように設置されております。通常,堀からの侵入を防ぐために土塁を設置するところ,ここは逆なんですね。もちろん,外堀は通常の構造になっており,堀の内側に外堀土塁があります。このような構造だと,堀から丘陵部への侵入が比較的容易になるんじゃ無いかと思ったりもしますが,丘陵部がもっと急峻な斜面だったのでしょうかね。内堀土塁それ自体,不要だったのでは無いか,あるいは畝堀的にもうちょっとくねくねしててもいいのでは,という気もしますが,そのへんは素人の戯れ言であります。
 外堀土塁は内部構造がはっきりとしていて,作られた過程が詳しく説明されておりました。

内堀と内堀土塁 外堀土塁 土塁の中へ
外堀土塁の構造 土塁の復元展示の様子

 そして,道後公園内をぷらぷらします。
 丘陵部には前回のぼったので,今回は体力を温存しておくことにします。

丘を見上げる 内堀の様子
一部が岩になっていて内堀からの侵入が難しくなってるのは分かるけど今松や梅が植えられてる部分は
攻め手にとっていい足がかりとしか思えないんだよな……。昔はこんなスペースなかったのかな
湯釜 寝転んで 蝶泊まらせる 外湯哉

4.湯神社&中嶋神社

 道後公園を出て,子規記念博物館を経由して,湯神社。温泉地には温泉神社があるのが通例ですね。どれだけ篤く祀られているかは場所に寄りけり,という感じでしょうが。
 ただまあ,説明板を見ていると温泉の神様を祀るというよりは,もっとドロドロとした歴史的な経過がありそうな感じです。

この鳥居は伊佐爾波神社のもの 湯神社と中嶋神社 右手は中嶋神社。製菓業者からの信仰が篤い神社のようです 湯神社

5.伊佐爾波神社

 つづいて,伊佐爾波神社。確かここの階段で馬券を買った記憶があります。8年くらい前の話ですが,こういうことだけ覚えているのであります(当たったか外れたかは記憶に無いけど,記憶に無いってことは外れたんでしょう)。
 そして,この伊佐爾波神社。とにかく記憶しているのが奉納されている算額(奉納されている算額を中に入ってみられたはず)。和算や算額については詳しいことは知らないんですが,勢い余って売られていた算額に関する本を買ってしまったのを覚えています(なお,こういうものは勢いで買うので,買った時点で満足してパラパラと目を通して終わります)。

伊佐爾波神社へ。なかなかにインパクトのある石段です 拝殿
説明 算額は22枚が市指定の
民俗有形文化財
右から左から。インパクトのある見た目であります

6.宝厳寺

 なぜかみんな知ってる一遍上人。一遍上人絵伝と踊り念仏は中学校レベルで習うため(小学校の歴史でも出てきたかもしれない),日本人の脳裏に深く刻み込まれております。ですが,鎌倉仏教の中ではマイナーな部類に入ることは間違いなく,自分も一遍上人がどこで生まれて(踊る以外に)何をしたのか,まったく知りませんでした。まさか,松山で生まれていたとは!!四国と言えば弘法大師,と思っていたので,かなりの驚きです。そしてよくよく考えてみると,時宗のお寺ってほぼ見ないな。江戸期に入ってきた黄檗宗の寺とかの方がまだよく目にする気がします。これだけ(現代に)マイナーになっていて,しかも日蓮のように鎌倉期に政権にたてついたりもしてないのに,なぜ一遍上人と時宗はここまで有名(教科書で取り上げられる)なのでしょうか。
 そんなわけで,一遍上人が誕生した宝厳寺に参拝であります。

 ところで。皆様おご存じの通り,私が参拝したこの宝厳寺は,その後火事で焼失するという惨事になってしまいました。重文の一遍上人立像も持ち出すことができず,焼失したとの報道です。自分が見たものが今はもう焼けて無くなっている,というのはショッキングです。
 検索していたら,極めて現在進行形でこの火事をご覧になっていた方のブログを発見。

参道(ルート的に帰りに撮った)
旧カフェー街のはずだけれど,綺麗になってます
参道 一遍上人が生まれた場所です 山門 句碑は見つからず
解説 一遍上人立像の案内 本堂と境内。似た写真が並ぶけど,今はもう無いものなので削除せずに全部残しておきます

7.円満寺

 そして,円満寺。ここには行基の作とされる湯の大地蔵様が鎮座しておられます。行基さんて誰だっけ,と検索してみたら,奈良時代の人でした。いったいどこでどういう文脈で習ったんだっけかな。そして,Wikipediaをみてみても,愛媛どころか四国に来てたとは思えません。なので,眉に唾をぺっぺとした方がいいんでしょうね。というか,行基がつくった木造の仏様が現存してたら,文化財としてとりあげられてもおかしくないのでは無かろうか。
 行基さんのことはさておくとしても,湯神社よりも湯の大地蔵の方が道後温泉との結びつきが強そうな気がしなくも無いので,もしかしたら江戸期なんかは空気感が違ってたのかもしれません。


8.道後温泉

 あとは,道後温泉まわりをふらふらして帰ります。
 道後温泉駅の1階は今ではスタバになってるんだから,世の移り変わりを感じますな。

温泉といえば卓球! 道後温泉本館 鷺谷墓地 椿の湯
つばきばし 聖徳太子碑について 坊ちゃん列車が戻ってきてました 道後温泉駅の昔と今 道後温泉駅


 そんなわけでして,ちょこまかと動き回ったわけですが,ちょこまか動いたおかげで焼失前の宝厳寺を参拝できたので,世の中できるときにできることをしておくことが重要だというのをあらためて感じさせられます。


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