飯塚闊歩(嘉穂劇場の「かほ」と闊歩がかけられていることなど,一体誰が気付くというのか)

 飯塚市。ここもまた,公営競技に興味を持たなかったら人生で一度も訪れることがなかったと断言できる街であります。
 調べてみると,九州の炭鉱町であったことが分かるのですが,荒尾と違って万田坑のような近代遺産もなく,本当にオートレースがなかったら来ることがなかったであろうと断言できます。
 そんな飯塚。東京からどうやっていくかというと,飛行機で福岡空港に出て,そこから電車です。実は,福岡県において飯塚市がどこにあるのかよく分かってなかったのですが(福岡市から見て東方向なのか西方向なのか,とか),まあそのへんは最近は便利なソフトが流布してますので,地図上でどこにあるのか全く分からなくても到達できてしまうのです。これを便利な時代と呼ぶか気持ちの悪い時代と呼ぶかは人それぞれでしょうが……。

 そんなわけで,8時30分羽田発の飛行機に乗って福岡を目指すこととなったのでありますが,お馬鹿NPは,「8時30分発だったら早めに7時30分に羽田に入ろう」と思っていたのにもかかわらず,なぜか家を7時30分に出ればいいなどと意味の分からない勘違いをしており(早めに起きたのにのんびりとコロコロで床の掃除とかしてました),大慌てで家を出て,まさかのタクシー利用。なんとかぎりぎり羽田空港に到達し,荷物検査を時間内に突破することが出来たのでありました。いやはや,本当にあせりました。なんせ,夜に友人と飲む約束までしていたので,「そもそも福岡に到達できなかった」という結論はシャレにならんのでありますよ……。

 そんなこんなで博多。博多自体は(旅打ちのために)なんども訪れております。携帯電話に指示されるままに直方行きの単線電車に乗り込むのでありました。ちなみに,「直方」が「のおがた」と読むことは今,これを打ちながら知りました。やはり旅行記は書くに限る。

電車案内 福北ゆたか線 新飯塚
「づ」なのに「ZU」なのね
電車が去っていく 案内図
オートレースあり

綺麗な駅です

 さて。新飯塚駅から直接オート場に向かってもよいのですが,せっかくなので町歩き。本当は中心部までバスを使ってもよかったのですが,まあいいや。
 面白かったのが芳雄橋。なんでこんな場所のこんな橋がこんなに豪勢な造りになってるんでしょうか。どうも旧芳雄橋がモダンな橋だったので,架け替えの際にも似せたんだと思いますが,どうみても飯塚市にそこまで頑張るお金がないような気がするんですが……。建築業界がいろいろ頑張ったんだろうなあ。
 まあ,観光客からしてみたら,「面白い橋だな,町歩きした甲斐があった」ってことなんですが。

商店街にあった怪しげな場所 旧芳雄橋親柱 イラストマップ
オートレース載ってます
昔はガス灯だったのかな 中州方向
中州に降りる階段もごっついです 沈下橋ですね 中州の様子 みんなの花壇,みんなで手入れ
「パート1」という表記がなんか面白い
バスセンターの前あたり

 さて,飯塚市の歴史遺産としては,嘉穂劇場が有名です。有名です,とか書いてしまいましたが,もちろんNPは知りませんでした。まあ内子座にこんぴらと,この手の歴史ある劇場には何回か行ってるんですが,地方にはこういう劇場多いですね。
 この日は,翌日に公演があるために前日練習中で,一般見学は行われておりませんでした。ねんのため駐車場横のブースにいたおばさんに聞いてみましたが,やっぱりダメとのこと。見学OKだったら確実に中に入って,確実に30分以上時間を食いつぶして飯塚オートの時間を失ってたと思うので,これはこれでよかった。
 ただ,風俗街を歩いていたら唐突に劇場が登場するのでびっくりです。その劇場の斜め向かい辺りに幼稚園があったので,この幼稚園は風俗街から結構近くにあるってことになりますね。現代人の感覚だと,風俗街と劇場(ポルノ劇場以外)ってあまりマッチしませんが,おそらく昔からしたら女で遊ぶか劇場で遊ぶか,たいした違いはなかったんだろうなあ。それとも,女を連れてこういう劇場に行くのがステータスだったりしたのかな。まあ歴史を知らない奴がこれ以上ぶつぶつ書いても仕方がないですね。

正面から 看板が鮮やか 斜めから

 そんなわけで,続いて商店街を歩いてバスセンター方向に戻ることにします。
 商店街は,愛媛西条や香川丸亀のような大惨事にはなっておりませんが,さりとて全店平常開業中,とまではいかない,普通の状態。「東流」という旗が気にはなっていましたが,たぶん商店街の名前なんだろうな〜,くらいに思いながら歩いていると……唐突に,大きな山車が登場。源平壇ノ浦の戦いをモチーフにしたもののようです。

おっきい! 壇ノ浦 「ン」だけ浮いているのは
たぶん日の出のイメージなんでしょうね
商店街 昔の飯塚の炭鉱夫かと思われます

 続いて,籏の色が赤色に変わり,文字も「西流」に。商店会が別のものにかわったのでしょう。看板を見ると,「長崎街道飯塚宿」とありました。事前知識ゼロでここまで歩いてきましたが,どうも飯塚は長崎街道の宿場町だったようです。長崎街道ってどういうルートでできてたんでしょう?山の中を貫通してるってことは,炭鉱をあえて通したのかな。それとも,海沿いには別の街道があったのかな。
 ……と思って,Wikipedia先生に聞いてみたところ,小倉と長崎を最短距離で直線で結んだようであります。なるほどー。
 あまり時間もないのですが,脇道にそれてそこそこ大きそうな明正寺に寄ってみました。特に面白いことはなく,普通のお寺でした。ただ,今ネットで見たところによると,明正寺に炊きすぎたご飯を塚のごとく積んだので「飯塚」という地名になったという説もあるようで,由緒正しき飯塚のお寺なのだと思います。この一帯にはほかにも歴史あるお寺が散見されるようですが,時間が無いのでパス。
 しばらくすると,山車が見えてきました。ここにいたって,ようやく,飯塚でも山笠祭りが行われるということを知ったNPなのでした。

商店街の様子 飯塚宿 なんでゾウ? 山門 境内 鐘楼
開通400年 奉納されている御輿 僕の知ってるドラえもんと,
どこか微妙に違う気がするのだけれど
何が違うのだろうか……
森鴎外文学碑
軍医としてここにいたようです
「文学碑」にするだけの根拠と
なっているかはNPにはよく分かりません
こっちにも大きな山車
今度は桶狭間です
佐々成政が出てくるのはなぜ?
桶狭間に従軍したっていう話も聞かないし,
最後は肥後でしたよね?

 商店街を抜けて,曩祖八幡宮。読めますか,「曩祖八幡宮」。当然これまで競馬のお勉強ばかりに心血を注いできたNPには読めません。「のうそ」とよむらしく,かつては「納祖」という表記だったらしいです。神社のホームページを見ても,名前が変わった由来が書かれてないですね。ゆとり教育世代からしてみると,旧名の方がありがたいのでありました。
 入る場所を間違えて,駐車場に向かう坂道から登ってしまいました。「駐車場は満車」という看板が出ていて,「そんなわけないだろ」と思っていたら,本当に満車でした。中の人はいったいどこに……?
 で,いったん鳥居の方向に降りて,写真を撮り,再度上がっていきます。時間も体力もないので,天神様の階段→天神様参拝→降りて曩祖八幡の階段→曩祖八幡参拝→降りて……ということはしてません。神社的にはどういう参拝ルートが正解なのでしょうか。
 この八幡宮,思っていたよりもはるかに広く,さらに奥には稲荷神社までもが鎮座しているという,さすが飯塚の産土様だけのことがある神社でありました。

 生目神社の御祭神の藤原景清という人については,例によって無学なNPは全く知らなかったのですが,どうも日本全国に逸話を残す,弁慶のようなスーパースターのようです。ううむ,この時代の知識がなさすぎて……。いまさら大河をみようとも思わないしなぁ。

 稲荷神社はどうやって賽銭を入れたらいいのか分からない構造になっておりまして,たぶん賽銭箱に入らず下に落ちたかと思われます。ごめんちゃい。

 そんなわけで,広々として見所一杯の神社さまでありましたが,神職さんも社殿の老朽化に頭を痛めているようでした。というわけで,飯塚オートで儲かった諸兄は是非ここに奉納を。

天神様の鳥居 ・・・の先に 曩祖八幡と須佐宮の鳥居 天満宮
須佐宮
曩祖八幡宮 おそらく御神木だったのではないかと 傷痍軍人の碑
神門向かって左側は黒色 神門向かって右側は赤色
振り返る 階段を見下ろす 栄光 由緒 御神木 境内
拝殿 中を
太鼓は西日本第一 初戌の奉納 摂社 筆塚 天神様 駐車場の目の前にも摂社
神馬 祇園宮への奉納のお願い 祇園宮 たしかに危ない…… 若光稲荷への参道 ど真ん中に木が
右手にあった生目神社 お社 由緒
御祭神は藤原景清らしい
左に稲荷への階段
包丁塚 会談 到達 白と赤が綺麗
お稲荷様 WARNING
と書かれたら扉を開けるわけにいかんよね
隙間からお賽銭を入れたところ
箱に入らず
拝殿 ハトの餌が売られておりました
社務所からは離れたところでやってくれとの指示つきであります


 そんなこんなで,神社をあとにして,飯塚バスセンターへ。

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