アサカシラカワ

 郡山に戻りました。このまま白河に行くプランもあったのですが,せっかくなので昼食がてら駅から歩いて行ける神社に寄ってみることにしました。ちなみに昼食は味気なく松屋です。
 そんなわけで,歩いて行ける場所にあった安積国造神社に寄ってみることにします。

 到達すると,いきなり左手に石鳥居が分解された姿。これは地震の影響なのか,それとも経年劣化か。なんにせよ,また石鳥居が立つ姿をみたいものです。今後郡山に寄ることがあるかは分からんですが(知り合いも福島に引っ越しちゃったし)。

 その他,いろいろな社があってなかなかに面白い神社でした。「安積」というと,とりあえず「安積疎水」という小学校時代の記憶しか出てこず,そもそも「安積ってどこだっけ」というレベルになってるのですが。そういえば猪苗代湖の水を取水するための用水路だったな。ううむ,記憶ってのは薄れますなあ。まあ,「安積」をすぐに「アサカ」と読めただけで自分を褒めてあげたい気分ではあります。ちなみに,アサカホマレのオーナーは浅川吉男氏で,同氏は大阪府交野の株式会社私市(会社更生適用済)のオーナーなので,おそらくこの安積とは関係がないです。
 Wikipedia氏によると,安積疎水は,日本三大疎水の1つのようです。何にでも三大があるんだなあ。残り2つのうち琵琶湖疎水は大津で見てるので,あとは那須疎水。スタンプラリーを是とする日本人としては興味のあるところですが……ううむ,那須か。特に心惹かれないな。ナスルーラの遺骨でもないだろうか。

 由緒書等々を読み解くにもともと比止禰命が当地にきた際に国造神社を創建して,坂上田村麻呂が八幡神を合祀,その後1683年に八幡神がここに遷されてさらに別の所から稲荷神社も奉遷(赤木山の国造神社的には八幡神は分遷なのかな?),さらに明治5年に国造神社が当地に奉遷されたということです。なんかくっついて離れてという歴史を持っているようです。赤木山の旧社地には摂社の赤木神社があるとか。なんで赤木山からここに八幡神社を遷したか・なんで国造神社をここに遷すことになったのかは説明されておりませんが,前者は領主の権威付け,後者は明治期の神社統制政策の一環なのかな?
 こういう話は企業の合併分割話ともども,下世話な井戸端会議ネタとしては非常に興味深いところです。
 ほかにも天満宮がありますが,どういう経緯でここに天満宮ができたのかは由緒書からは分かりませんでした。地元の大スター(という表現を使うと非常に低俗になるな)である安積艮斎氏も祀っているのだから,安積艮斎氏の名前を神社にした方が独自性が出ていいのではないか,というのは宗教に興味のないいち観光客の下世話な感想なのでした。

 あと,稲荷文化をさっぱり理解してないのですが,高遠透かし灯籠の解説を読むに,ここの白王稲荷が正一位になるので上京したとのことです。あちこち旅行する際に「正一位稲荷神社」という官位付のものがあることは当然認識しているのですが,これはどういう仕組みで官位付けしたのだろうか。しかも,ここに関しては明和7年(1770年)だから,そこまで昔の話じゃないよなあ。稲荷信仰がいつ頃始まったのかとかを全く知らずに「そこまで昔じゃない」とか書いてるけど。





郡山駅 安積国造神社 解体修繕中の鳥居 三の鳥居はしっかりと 狛犬 1枚岩の手水鉢
結構お高いのではないでしょうか
安積発祥 神楽殿 いい表情 石碑 由緒書等
拝殿
会津戦争や第2次大戦を
乗り越えたものらしい
天満宮 左手にあった絵馬が入っている建物
地震で傾いたのか…
石の社が数多く奉納されておりました
こういう文化があるのでしょうか?
信州高遠透かし灯籠 これも稲荷
左の石碑の「奉納」と「稲荷」の
間の1文字は人工的に削られたのか?


稲荷への鳥居 左側
子狐がぶら下がってます
珍しい造形のような気がする
右側
こっちの子狐は寝そべってるだけ
小さな稲荷 白王稲荷

 そんなこんなで,小学校時代の記憶に思いをはせつつ郡山駅に戻る途中にあったお寺に寄ってみました。
 善導寺というようです。本堂は明治42年上棟ということで,明治維新期に一度壊されたかな?と思ったらそうではなく,明治33年に旧本堂焼失とのことです。それ以前にも戊辰戦争期に焼失していたり,安積国造神社と比べていろいろ災厄に遭っているようです。


 そんなわけで,次は白河。ここまできたからにはもう1つお城を見ていかないとね。
 白河の駅から,有名な三重櫓が見えました。ホームから城が見えるというと,個人的には丸亀城を思い出します。いやぁ,懐かしい。



ホームから城を望む ワンマンカーのご案内 地図と戊辰の役の石碑図 駅名由来 桑名なんかと友好都市のようです 駅舎 これは新白河駅構内

 役から地下をくぐってちょっと歩くと,目の前にはお城です。石垣と櫓が見えます。
 が。
 地震の影響で,石垣が崩れ,堀の内部には立入り禁止となっておりました。地震当時は西日本におり,地震の影響を直接受けなかったので,こうして地震から1年以上経過した,白河という地で地震の爪痕を見るにつけ,地震の大きさを感じるのでした。震源って三陸沖だものなあ。現場にいなかった自分が何を書いても変な書きぶりにしかならない気がするんでこれ以上は書かないけど。

 そういうわけで,周辺から三重櫓方向を眺めることになります。









震災の爪痕 現在地は三の丸上段ってことか これも震災の爪痕 大手門礎石
復元図上は「大手門」という名前は
見当たらないのだけれど…
門・櫓跡の案内 集古苑は既に閉店ガラガラ
復旧工事の解説
これをいい機会ととらえて,発掘調査が進むことを期待するほかありません
石垣の崩落が凄い
ここだけ見たらなんてことないのに
石垣の様子。なんとなくすかすかに見えますが,これは元々なのだろうか 完全に崩落してます 工事穴から正面を撮ってみた
斜めに撮ってみた 白い防護壁が痛々しい お堀越しの石垣は美しい

 とりあえず,行けるところまでお堀のまわりをまわってみることにします。
 お堀では,近所のこどもたち(近所かどうかは聞いてないから正確には分からんけど)が釣りをしてました。
 想定復元図等々を見るに,ここの水堀はもともと城域をぐるっと一周しているのではなく,大手・搦手両方とも土橋で遮られてたのかな。特に搦手側はよく分からんなあ。

会津門跡
いまいち往時の姿のイメージが湧かない
堀越しの石垣は本当に美しい 道沿いにあったお稲荷さん
鳥居が長細い
白河のマンホールは三重櫓 こういう丸みを帯びた姿は好きです
見たところ帯曲輪は狭そう
震災の爪痕 搦手側から堀越しに三重櫓
こっちから見た姿も綺麗です
もうちょっと進んでみた 堀の行き止まり 電線が邪魔だな
ある意味現代的な城の姿ではあるけど
散った桜の花びらがたまってます 搦手から堀を見る
搦手門(尾廻門という表記の図もありますね。同一のものか,2つあったのか?)周辺
このあたりも石垣が崩落してます
再度堀越しに

 二の丸・本丸に入ることは出来ませんでしたが,時間も遅かったし,堀越しに見る城の姿も美しかったので満足です。それにしても,搦手側の防御が甘い気がするのが気になるなあ。

 もともとの福島遠征が「復興支援」と銘打たれていたわけなのですが,最後にこうして震災の爪痕をみるにつけ,なんとか力になりたいなという思いを強くしたのでありました。
 南湖公園にも行ってみたいし,もう一回白河には来てみたいな。

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