彦根の寺社その1

 さて,無事下山できたので,続けて龍潭寺の拝観です。

 文化財指定されているのはふすま絵と東庭であるようですが,それ以外にも石庭があったり,達磨が至るところにあったりと,なかなか見所の多いお寺でありました。京都なんかだとこういうお寺にかなりのお金を持っていかれますが,彦根の外れだけに拝観料はそこまでしなかったです。

襖絵と東庭が文化財指定 ここから入る 本尊まわりにも達磨 ゆるキャラ?

 そんなわけで,ご本尊のまわりにもなぜか達磨が一杯。これだけだるまだるましているのに,なぜか達磨については「4月1〜2日にはだるま祭り開催」というあっさりとした触れ方しかされておりません。ううむ,世俗的な部分にしか興味が無い自分としてはなんかもったいないなく感じてしまいます。とりあえず禅宗的にはやはり達磨ってのは重要な意味のあるもので,観光扱いするようなものではないのでしょう(無知を全世界に向けて発信してる気がする)。
 さて,ここのメインは庭です。
 まずは石庭。枯山水庭園はいくつか見てますが,どうも枯山水を理解できるだけの想像力に欠けてるんだよな……。星座を見ても特になんとも思わないのもこの想像力の欠如が影響してるっぽいです。まあ,寺院における石庭が理解できないのは,仏教美術を全く認知してないせいもあるのかもしれません。
 ここは別名「ふだらくの庭」というらしいです。「ふだらく」というのは,Wikipedia先生によるとサンスクリット語のポタラカに由来する言葉で,感じでは補陀落らしいです。ほうほう。観音菩薩の住居なんですね。こりゃあみんながここにあこがれてこういう庭を造るのも分かります。字面だけ見て,「ふしだらに似てるな」とか無礼なことを思っていた自分をぶん殴りたいところです。どうでもいいですが,ポタラカという現役馬がいるな。

石庭の解説 ふだらくの庭

 さて,寺院内をさらに進みます。こういう庭や襖絵を維持する費用ってどれくらいかかるんだろうか……。拝観料だけでは到底まかなえないでしょうし,それなりの檀家収入があるんだろうか。

上闥゚の間
「上闥゚」という鶴がいるのかは不明
大きなだるま 穴が開いてる…
あと,鉢巻しめてる達磨って
あまり記憶にないような
群仙の間 大広間 にらめっこしましょ おいあくま

 そして,文化財指定されている東庭。面積自体は狭いんじゃないかと思いますが,後ろの山をうまく取り入れていて,狭いながらも深く(見ようによってはごちゃついている,という見方も出来なくはないかも),気持ちよくぼーっとできました。手持ち時間がそんなになかったので,長時間ぼーっとはしなかったのですが(後ろからほかの拝観者が来る音もしてたし)。

東庭の様子。解説が読みづらいのがちょっと残念

 そんなわけで,お寺をあとにしました。何気なく寄ったお寺が見所多いと嬉しいですね。というわけで,檀家の皆様方におかれましては,是非頑張ってもらいたいと思うのであります。

苔庭 門越しに庭をみる こっちの門は
どういう役割なんだろう
下から見上げる 大久保忠隣幽居地 さらっとスルーしてしまいましたが
案外観音堂の扱いが大きい

 いったん寺の向かいのスペースで休憩しつつ,時計と地図と睨めっこしながら今後の行動を検討します。ううむ,時間が足りない。旅行の度に思うことだけれど,早起きって難しいですよね。

風情のあるお寺なんですが
引いてみるとどかんと宣伝が出ていて
ちょっと興ざめ感があります
佐和山周辺の寺院の解説 井伊直憲公顕彰碑
井伊直弼氏の嫡男のようです
平成15年建立という,新しい顕彰碑でした
なぜ平成になって顕彰の機運が高まったのだろうか

 続いて,井伊神社。実は,ある意味,ここが今回最大の衝撃でした。
 いやだって彦根にある井伊神社ですよ。いくら井伊直弼の一般的風評が最低ランクだったとしても,ここは彦根です。井伊直憲が初代彦根県知事だったというのなら,特に井伊関係だからといって悪く扱われたわけでもないはず。そんな彦根に井伊神社とくれば,さぞかしきれいな神社が登城するだろう,と思っていたら。
 なんじゃこりゃ。ある意味,きちんと保護されている,という見方もできなくはないですが,なんとびっくり,近くに立ち寄ることも出来ないくらいの状態。再建へのお金が集まらないのか,そもそも集めるべき世話人すら集まらないのか。彫刻なんかは非常に凝っているので,現在の風化して大変なことになっている状況との対比がなお興味深いです。
 いやはや,こういう状態の神社は初めてだったので(倒れそうな古い神社は見たことがありますが,トタンで鉄壁ガードされている神社は初めて),衝撃でありました。
 そして,そうはいっても佐和山神社を合祀した由緒正しき神社のようで,木村重成の血染めのすすきがあったりなんかして見所はあります。
 この木村長門守のすすきの解説に佐和山神社が井伊神社に合祀されたので,すすきはゆかりの宗安寺に移植されたとあるのを見ていて思ったのですが,この合祀のときになんかあったのかもしれないなあ。それにしても,昭和18年というと,もはや神社合祀令とかも関係ない時期でしょうし,なんでこんな時期に合祀が行われたんだろう。

由緒書
これはきれいで読みやすくて助かる
立派な社号標
ここにお金を使うなら
ほかに使うべきなのでは…
鳥居 鳥居をくぐったあたり
このへんから嫌な予感が…
かつては参道に神門があったんだろうな
血染めのススキ ススキの時期ではなかった… しだれ桜の時期でもなかった 覆われている!
近寄ることも出来ない
これはこれで火事や放火の
防止にはなりそうですが
装飾は非常に細かい
こんな状態のままなのが勿体ないと見るか,風情があると見るかは
人それぞれなんでしょうが,個人的には前者だな…
大洞弁財天には行かず

 で,弁財天には寄らず,再度彦根市街地目指して出発。
 といいつつ,龍潭寺のすぐ横にある清涼寺に寄ります。案外扱いも大きく,井伊家墓所もあるようなので寄ってみました。が,基本的にはNPのような興味本位の人間ではなく,きちんとしたかたのためのお寺のようでありました。

お地蔵様 山門 左右の梵字が読めるようになりたい 境内
綺麗です
本殿 庫裏
寺院で唐破風ってあまり見ないような気がするのだけれど,気のせいだろうか
拝観はダメらしい

 もうちょっと進むと長林稲荷。ここは普通の,町に愛されたお稲荷さんでした

鳥居 鳥居鳥居鳥居 手水 拝殿

 そんなこんなで,彦根市街地に戻ります。腹減った。

佐和山城彦根その2

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