後閑AS制覇記念上州城めぐりその3
沼田城

 名胡桃城から車で沼田に入ります。沼田の市街地へは坂をぐんぐん登っていきました。やはり城があるのはある程度の高地になるんですね。このへんはただ地図を眺めていてもイメージがわいてきません。
 そして,沼田城のちかくの野球場で試合が行われていたため,駐車場が満杯でした。これは若干想定外。まあ,なんとかスペースがあったので助かりました。いかんせんほとんど車に乗らないので,あまり無理して場所無き場所に停めたくないんだよな。

 そんなわけで,沼田城というか,沼田公園に入ります。沼田公園は,荒れていた沼田城趾を久米民之助さんが購入し,造成してできたものとのことです。この久米さんが城オタだったら今頃沼田城趾は過去の遺構をしっかりと残しているのでしょうが,残念ながら沼田城はほぼ完全に公園化されてしまっております。もちろん,中途半端な城趾よりも公園の方が最大多数の最大幸福に適っているのは重々承知しております。

久米さんについて 花が咲き誇っております

 さて,沼田城は完全に公園化されているのはいいんですが,市民の公園化されていて,観光地化されていません。それゆえ,観光客向けのパンフや地図が見当たりません(帰りがけに,駐車場脇のお店にパンフレットがあることを知りました)。これは困った。遺構がほとんど残ってないのはいいとしても,昔どういう状態だったか,妄想を働かせる手がかりすらないのはちょっと困ります。
 とりあえず,公園内を散策。なんとか,関係年表の看板と,古びた絵図看板を発見。しかし,これだけか……。これはちょっと訳が分からない。

 当時の遺構として,西櫓台の石垣・階段がありました。これはしっかりと残されていて,大変興味深いんですが,これだけ単体で見ても城のどの辺にあってどういう役割を果たしていたのかが分からんといかんともしがたいです

沼田城関係年表 沼田城絵図
これを是非塗り直してほしい
(高さが誇張されてるんでしょうが)
凄い天守ですね
鐘楼
往時の沼田城にもあったようですが,
こういう形をしていたんでしょうか?
御殿桜
西櫓台と石垣遺構

 とりあえず,公園内探索を続けます。奥の曲輪(捨曲輪と言うらしい)にお堂発見。天狗堂でした。そういえば上毛高原駅にも天狗があったな。
 迦葉山の天狗面ってのはこのあたりではかなり重要な(多いに信仰を集めた)ものみたいです。時間があれば行ってみたかったんですが,後述の通りこの日は吹割の滝でタイムアップでした。


 公園を歩きながら,先ほど公園に入るときに見えた鳥居の方へ向かいます。すると,鳥居脇に沼田城絵図の案内板。ようやくしっかりとした縄張りが分かるぞ。
 関東における五重の天守は江戸城とここ沼田城だけだったとのことです。へぇ。これは凄い。
 というかですね,本来は公園に入ってまっすぐこの鳥居に向かうべきだったんでしょうが,なぜかこの鳥居を榛名神社の鳥居だと勘違いしてたんですよね。「沼田城の近くに榛名神社がある」っていう極めて中途半端な知識だけで動くからこういう失敗をするんだよな。ああ馬鹿馬鹿。
 で,この利根英霊殿の奥,本丸北側に向けたあたりが城跡っぽい雰囲気を強く残しているので,これがある程度往時の姿だと決めつけておくことにしました。

鳥居 沼田城絵図 一応この方向が天守台跡かと 利根英霊殿 それなりの台になっていることは分かる 下に降りる
おそらく堀切だったんではないかと
降りていく 左が本丸 これは公園化してからの水なのか… さらに北に向けて。堀切っぽいですね
再び捨曲輪跡 平八郎石 昔はここに解説板があったようです 柵で囲われた木
おそらく古いんだと思いますが…
解説が無いので何とも
その木の前にある石 捨曲輪から下を見下ろす
左奥が本丸
人工的な堀なのか…?
再度西櫓台遺構のまわりを歩く

 そんなわけで,駐車場に戻ります。で,ここでパンフレットを発見したわけでした。まあ,パンフレットを見ても現代人による縄張図が書いてあるわけではなく,絵図が載ってるだけなんだけどね。この解説によると,群馬県の城絵図で現存するのはこの沼田城だけ,とのことです。

 で,駐車場まわりをちょっと歩いたところ,三の丸の解説板発見。まあ,これを見ても特に三の丸のイメージがわくわけでもないんだけど,何もないよりはいいですよね。


本丸跡の石柱も
 
ここが三の丸

 さて,沼田の街中を少し動きます。まずは榛名神社。城からいったん下におります。車で走ってて思いますが,結構な坂を下った気がします。当初案では沼田駅から徒歩でこのあたりを歩く予定だったんだけれど,車で正解だな。というか,沼田城と榛名神社は直線距離だと近いけど,実際の距離が結構あいてるんだな…。
 どこに駐車場があるか分からなかったのでちょっと遠目に停めてしまいましたが,どうも神社の近くまで行けば駐車場があったようです。まあいいや。狭い道に入りたくないし。

 で,神社は静かな雰囲気ではありますが,綺麗な絵が奉納されているのが印象的でした。で,ここにも左甚五郎による彫刻があるとか。左甚五郎って空海並みに日本中で活躍してますね。

鳥居 さらに鳥居 参道 由緒 神社へ 真田信政奉納の鳥居
銀明水 拝殿 獅子と獏 奉納されている絵
いずれもきれいですが,新しいのかな?
本殿について
ここにも左甚五郎か…
ほかにも様々な絵が 外から見える彫刻はここまで 摂社
大黒天を祀っているとのこと
左右にちょこんと
奉納されているお社 面美様 心洗岩 神楽殿 神社から城山を見上げる

 本当は沼田でもうちょっと見て回りたいところですが,そこまで時間もないので,正覚寺を参拝して終わりにしたいと思います。
 正覚寺は言うまでもなく小松殿のお墓があるお寺。さらに,鈴木主水のお墓もあるとのこと。鈴木主水はここ正覚寺で切腹したとされているようですが,なんでこの場所だったのだろうか。というか,名胡桃から上田に向かうときに北条領の沼田を通るのが当時のルートだったんでしょうか?このあたり,当時の真田・北条の関係がどこまで緊迫してたのかがあまりイメージできんとです。

 それはさておき,無事正覚寺に着きました。駐車場もしっかりあって助かります。
 肝心の小松姫のお墓がどこにあるのか,特に案内がなかったので探すのにちょっと手間取りましたが,無事発見。それよりか,その近くにあるとされている鈴木主水の墓が一体どこにあるのか探すのに手間取りました。おそらくこれで間違いないと思います。とはいえ,どうも最近は本当にこれが鈴木主水のお墓なのかについても議論があるようで……。そのため,案内も取っ払ったとか。たしかに,鈴木主水ほどの人のお墓にしてはあまりに簡素で,ちょっと悲しくなります。少なくともドラマ的には鈴木主水は忠臣かつ名胡桃は泣く泣くあきらめたというかたちをとっていましたし,結論として真田は秀吉の北条攻略後も生き延びているので,鈴木主水を軽々しく扱うような状態ではなかったと思うんだよな…。鈴木忠重は最終的にはきちんと信幸に仕えてたみたいだし。
 そういえば,世が世なら小松姫が昌幸を追い払っている銅像とかが沼田公園に立っててもおかしくなかったんだろうな。

山門
見ての通り,完全に逆光
彫刻がおもしろい 解説 観音堂
古そうな絵馬 沼田坂東33カ所てのがあるのか いい表情 右に馬頭観音
左はわかりません
本堂 六角堂
南無阿弥陀仏 お稲荷さんがあります 多数の狐が奉納されてます このお堂の開設はなかったんですが,おそらく小松姫に関係あるかと
小松姫のお墓 鈴木主水重則のお墓,とされていたお墓

 そんなわけで,真田の時代に思いをはせつつ,次の目的地は吹割の滝。なんだかんだと自然風景大好きなのです。

名胡桃城吹割の滝

旅行記テーマ別