まず先に岡崎

 某土曜日(すぐにいつか分かるので特に隠す意味は無いのだが),中京競馬場に行くことになり,せっかくなので中京の前に岡崎に寄ることにしました。
 岡崎というと,いうまでもなく岡崎城。家康出生の地であります。行くまで知らなかったんですが,八丁味噌はここのもののようです。なぜこれが愛知に広まり,他方で家康のお膝元の駿府や江戸に広まらなかったのか,なかなか八丁味噌の歴史が気になります。家康云々と書いたけれども,そもそも開発されたのは江戸時代に入ってからだから家康関係なさそうだな。ただ,それにしても水野松井あたりの転封先に広まった形跡もないので,やっぱりよく分かりません。武家には広まってなかったのでしょうか。

 岡崎へは夜行バスです。前の週の福井行きバスでは爆睡できたんですが,岡崎へのバスではあまり寝られず,完全に睡眠不足。バスを降りると,セントレア行きのバスが出発直前でした。時間をあわせてるのかもしれませんが,いかんせん高速バスなんて時間調整に失敗しやすい乗り物の筆頭なので,多分たまたまでしょうね。
 バスは岡崎駅東口に着いたんですが,事前情報通り,周囲には早朝から時間を潰すことのできるお店はありません。こういうときに頼りになるマクドナルドもファミレスもありません。
 てことで,西口に出て,近所の神社(綿積神社)に寄ることにします。そして,さらに近くにある正覚寺にも寄って駅に戻りました。まだ電車まで時間はありましたが,ほかにやることがないのでホームへ。寝落ちしないように注意が必要だ・・・・・・。
 で,愛知環状鉄道(この私鉄の存在は今回の旅行で初めて知りました)で中岡崎。この愛知環状鉄道という電車,全然環状じゃないじゃないかと思っていたんですが,どうも昔は国鉄の電車で,全体としてみたら環状だった,という理解でいいんですかね。どうもトヨタと縁の深い電車のようです。


朝の日の光を浴びる岡崎駅
 
早朝から蒲郡の出走表が設置されてました
(前の日の夜に突っ込んでるんだろうな)

機関車模型
いかにもライオンズクラブ
っぽいなと思ったら,
やっぱりそうでした

護国神社

熊野社
  
柱津天神社と腰掛け石

境内


 それはさておき。中岡崎で降りて,てくてく進みます。
 今回の旅程としては,涼しい早朝の内に岡崎公園を攻めて,その後時間を潰して9時オープンの天守はそれからゆっくり攻略する,というものであります。我ながら素晴らしく計画的です。

 さて。とりあえず,板屋稲荷神社。通り道にある神社は(体力と時間がある限り)基本的に覗く方針はいつもどおりです。
 で,住宅街を抜けて新田白山神社。この神社は現地でちらっと「家康ゆかりの地」みたいな案内を見るまで意識してませんでした。この「白山」が北陸の白山のことなのかはよく分かりません。新田はかの有名な上州新田のことのようで,家康さんがそこから勧請したのがこの神社,という流れらしいです。神社の勧請に必要な手続はよく分かりませんが,おそらく誰かを新田まで派遣してそこから呼んできたんだろうな。よくぞそこまでやったものです。なお,Wikipediaさんの家康情報によると,このころの家康は「朝廷から従五位下・三河守の叙任を受け、徳川氏に改姓した。この改姓に伴い、新田氏支流得川氏系統の清和源氏であることの公認を図るも、当時源氏長者が京にいなかったこともあり果たせなかった。そこで当初は氏を藤原氏とし、後年秀吉への臣従の証としての豊臣氏を経て、その死後源氏への改姓を果たす。」とあり,自身が新田の系譜であることをアピールするために政治運動を頑張ってたようで,その一環として新田荘とつながりをつくろうとしてたんだろうと思う次第です。「その頃から既に征夷大将軍になる志があったことを窺わせる」と書いているものもありますが,これを読む限りそこまでのことではなく,ただ源氏を名乗りたかっただけっぽいな。(そういえば,「源氏しか征夷大将軍になれない」ってのは俗説らしいですね)

中岡崎駅まわり 板屋稲荷 新田白山神社
参道 観光文化百選
市で100もピックアップするのは
大変そうだけれど,岡崎だと
それくらい集まるのかもなあ
かわいらしい龍
とりあえずこの日は休息中
拝殿

秋葉神社
とりあえず大楠アピールが凄い 龍城地蔵尊
見たところ新しいお地蔵さんです

 で。続いて龍城地蔵尊を経て岡崎公園を目指します。
 岡崎公園には北西から入ります。とりあえずトイレで出すものを出して,伊賀川沿いの公園に鞄を置きます。早朝から大勢の方々が散歩されておりましたが,一応平穏な雰囲気なので大丈夫だろうと判断。福岡でも似たようなことしましたが,いつか盗まれるんじゃないかと不安です。
 でもって,散策開始。まずは家康産湯の井戸。そしてそこから城内奥深くへ進んでいきます。びっくりしたのが空堀。住宅地のど真ん中にある岡崎公園という名の公園なので,真ん中に天主を復元しておしまいかと思っていたら,素晴らしい空堀が登場しました。まさかこんな立派な空堀が残っているとは。なかなかに深く,迫力があります。なぜこれをもっと宣伝しないのか,というと,結局城好き堀好きなんて少ないからなんだろうなあ。いやぁ,でも,「どうせコンクリ天守だけだろう」と嘗めてかかってたので,すばらしい空堀を見られてよかったです。

 あわせて,広々とした旧二の丸をふらつきます。
 あちこちに家康像があります。どういう経緯で増殖していってるのかは不明ですが,とりあえず水野氏より家康の方が人気があるのがよく分かります。あわせて本多忠勝像もありました。しかし,水野がらみのものはありません。水野に限らず,田中吉政等の歴代城主・藩主も相手にされておりませんので,別に水野氏が悪政を強いて嫌われているわけではなく,単に知名度の問題かとおもわれます。
 それにしても,しかみ像の像はなかなかにリアルで素晴らしい。家康というとどうしてもデブった姿がイメージされますが,あのしかみ像を立体化するとスリムな家康さんが出来上がります。
 ところで,しかみ像って家康が三方ヶ原敗北後に書かせたことでよく知られておりますが,もしその後武田に負けてこの絵が武田方に渡ってたら,さぞかし笑いものになったんだろうな・・・・・・。

道に埋められてたタイル
なんで漫画チックな絵なんだろうか
公園案内
左のガキは竹千代?
産湯井戸
すばらしい空堀!!
庭園 なんか知らんけど,コミカルな龍がいくつか 顰像 本多平八郎忠勝像
散策マップ
もうちょっと縄張りを
書いてくれると嬉しいんだけど
これは小瀧喜七郎氏
頭からなんか垂れてて
かわいそう・・・
生誕450年記念像 徳川家康公 花時計
年4回花を植え替えるとのこと


 さて。二の丸を歩いていてひときわ目立つ門があります。大手門です。
 この大手門,ひときわ目立つだけならいいんですが,いかにも模擬っぽい出で立ちで,二の丸のど真ん中にある意味も分からず(もちろん当時の二の丸周りはもっと起伏が激しかったんでしょうけれど),どう考えても相手にしたくないです。で,調べてみると,やっぱり模擬でした。そりゃあそうでしょうね,としか言えませんね。現在の大手門は「高さ11m、幅16.4m」とのことですが,解説によるとかつては「桁行十間、梁行二間四尺」だったのとことです。Wikipedia師匠曰く,1間は約1.8m・1尺は約0.3mですので,桁行18m,梁行4.8mとなります。高さはどうなんだろうかと思う次第であります。

 かつては近くの浄瑠璃寺付近にあったとのことなので,せっかくだから浄瑠璃寺まで行ってみることにしました。歩道橋を渡って数分歩くことになります。
 浄瑠璃寺は絶賛工事中で,門を通るとセンサーの音が鳴っているのが聞こえます。朝っぱらから家の中に音を鳴らしていることに罪悪感を覚えつつ,特に歴史的遺構は何もなさそうなのでお参りだけして立ち去りました。ほんと,単に家の中に音を流して迷惑掛けただけだったな。
 なお,今いろいろ検索してみたところ,かつては浄瑠璃寺あたりは浄瑠璃曲輪があったとか,浄瑠璃姫という女性が義経を追いかける際に立ち寄ったとかいろいろ歴史的に面白い場所であることが発覚いたしました。まあ,いずれにしても今は完全に市街地化してるので妄想を働かせるのも難しく,コメントすることはありません。

 そんなわけで,岡崎公園に復帰。二の丸まで戻ってから,駐車場の先に櫓があるのを発見して無駄に近づいてみました。「どうせまた模擬だろう」と失礼なことを思ってチラ見しただけで終わったんですが,どうもこいつは総工費1億円かけて相応の資料を基につくられたもののようです。くーっ。だったらもっとしっかり作ったアピールしてくれ!と逆ギレしておくことにします。
 なお,Wikipediaさんには「年中無休で中に入れる」とありましたが,とりあえず扉はかたく閉ざされていたので強行突入はしておりません。

石塔
どこかの寺院から
もってきたのか?
いつからあるのだろう?
電話ボックス
こんな時代ですが,
中にまだ電話はります
解説 大手門 歩道橋から
浄瑠璃寺 地蔵像
空襲慰霊碑
右手にはなぜか大黒様
東隅櫓 なぜかここに三春の滝桜

 で,もうちょっと二の丸を見て回って(どうも奥の方は隠居曲輪と呼んでたらしい。あまりしっかり見ていかなかったのは失敗かな),本丸までの道の途中まで行って折り返します。ここにきて竹千代の像まであります。このあたりの堀も見応えありますね。
 このあたりは持仏堂曲輪という名の曲輪のようですが,とりあえず現地にそんな案内板はなく,パンフにもそんなことは書かれてなかったので,ついさっきその名を知りました。 そして,廊下橋跡の石橋は通行禁止扱い。ぼろくなってるんでしょうね。
 で,さらについさっき知ったのは,この持仏堂曲輪と本丸を隔てるこの立派な堀が「清海堀」という名前だったということであります。たまたま岡崎市長さんのブログに岡崎城の記事があり,それがまた詳しい。すばらしい。
 これによると,廊下橋は「直接、天守閣に接続する位置に橋があるのも珍しく、現存しているのは唯一岡崎城だけ」であり,他方でこの石橋は「本来は木製であり、屋根付きの櫓(やぐら)のような橋であった。しかし「石橋の方もすでに近代文化遺産としての価値があるため大切にするように」というお話」であるとのことであります。うん,さすが市長さん,素晴らしい解説。こういう勢いで各自治体の市長がお城を開設したり,あるいは競馬場や競輪場を宣伝したりしてくれるといいんだけどな。

隠居櫓まわりの空堀
木が邪魔ですが,素晴らしい堀であることはよく分かる
持仏堂曲輪へ 二の丸と持仏堂曲輪の間の堀
出世ベンチ 廊下橋 清海堀 持仏堂曲輪から天守を見る


 そんなこんなで一旦岡崎公園をでます。そして鞄を回収。身軽に早朝散歩をしたつもりでしたが,やはりもう暑い。歩いているのはたいした距離ではないんですが体力を消耗します。近くに喫茶店があることはさっきリサーチしていたので,そこを目指します。
 入った喫茶店はその名も「双龍亭」。どの中華料理屋だ,という名前ですね。モーニングを注文。夏でもアイスではなくホットがデフォルトのようで,こういうところでは店員さんに唯々諾々と従うことをモットーとしているNPは汗だくなのにホットコーヒーをすすったのでした。まあ冷たいお水は2杯飲み干したけど。

岡崎城の近くに
洋風の城郭建築
やんちゃ貴族というようです
双龍亭 モーニング
ゆで卵が味付けタマゴでした


 で,時間を潰して9時に再登城。
 今度は先ほどとは異なり,竹千代橋を使って川を渡り,左手方向に登っていきます。このあたりの石垣は当時のものを残してるんでしょうか?なんとなく当時のものっぽい雰囲気ですが。あと,この水堀もどこまで当時の姿か気になりますね。
 奥に見える赤い橋は神橋という名前で,名前的には城よりも神社のための橋っぽいですな。これもいつからここにあるのか気になります。
 気になってばかりで特に何も調べておりませんが,とりあえず城からみてこっち側の曲輪を「風呂谷曲輪」と呼んでいたらしいことはネットサーフィンして分かりました。石垣と堀の間の帯曲輪のようです。この狭いスペースだと,単に敵方の着陣地にしかならんような気もしますが,当時は堀の形も違ってたのかもな。
 このあとの競馬の予定もあるので,若干急ぎ気味に進みます。

竹千代橋から見る天守 竹千代通り
どっちが竹千代?
純情きらりの撮影地らしいですが
見てないのでなんの感慨も…
三河花火発祥の地 五万石ふじ
水堀 本丸へ 向かって左側
こっちは緑色
水の流れが悪いのだろうか
石垣
木が石垣から出てますが,石垣は崩れないんだろうか

 てことで,やってきました本丸。とりあえずまずは神社にご挨拶。工事してるのは神社側ですかね。
 この神社は,ご祭神が徳川家康と本多忠勝。なぜ東照宮という名前じゃないのかも気になります。こういうときに頼りになるのはやはりWikipediaさんでして,どうも本多忠粛が東照宮を三の丸に吹っ飛ばして,本丸に忠勝を祀ったようです。お城視点だと東照宮を左遷した感じになりますが,もしかしたら「家康さんは皆さんに親しんでもらえるように三の丸に,私的な忠勝は本丸に」的な発想だったのかもしれません。このあたりの本丸・三の丸と神社の関係や当時の意識は素人じゃ分からんです。
 いずれにしても,三の丸に吹っ飛ばされた家康さんが本丸に戻ってきたのが1876年。明治に入ったあとなので,東照宮っていう徳川的な名前を好まなかったんだろうな。まだ神社合祀の時代でもなさそうだし,単に区画整理的な目的で戻ってきたのだろうか。
 なんにしても,家康&忠勝の神社です。「その他城主の皆様」もあとから合祀したりしますが,どうもここはそういうことはしない方針のようですね。
 ちなみに,「映世神社」で検索したら,ここがヒットして,東京の本郷にもかつて映世神社があったことが分かりました。どこかと思ったら,ああ,あの場所か。変な道の構造だとは思ってたんだが,かつて神社があったのか。今は宮前青果店というお店の名前に,かつてお宮があった名残があるようです。

忠魂碑 鎮魂の錨 茅の輪 手水舎
龍は新田八幡と同じかな?
神馬
狛犬 拝殿 みんな元気に幸せに 忠勝の本もありました

 さて。いよいよ岡崎城。入るとロッカーに荷物を入れられる親切設計。昭和のコンクリ天守であります。武具には特段興味が無いので,こういう場所の展示はよく分からないんだよなあ。

天守
目の前に松が2本あって
天守の前に立ちはだかっております
東照公遺訓碑
「トウショウイクンヒ」という馬はいないのか
岡崎城案内
「復興」に色がついてることに
今気付いた

葵武将隊。なんだこれ
 
最上階の床にあった縄張り図
ビスタライン。結局よく分からず
東方向 南方向 西方向 浮世絵版画体験できます
うまくできなかったけど,これは楽しい

天守礎石

旧岡崎城の扉

旧岡崎城用材とくぐり戸
風呂谷曲輪と本丸方向の石垣。曲輪の存在はあまり考えてなかったので,曲輪全体を意識したりせず。

 さて,お城を出ました。暑いです。競馬の時間も迫っております。
 てことで,下に降りて船着き場跡を一応チェックして,東岡崎駅に向かいます。東岡崎は急行っぽい電車もとまるようなので,こっちの方が便利なんではないかという判断。正解だったかどうかは神のみぞ知る。

 その道中,菅生神社という神社があったので立ち寄り。時間がないくせにこういうことするからダメなのです。
 で,嘗めてかかってたら,どうも日本武尊由来の「岡崎最古」の神社であるらしく,立ち寄ってよかったんではないかと。ただ,歴史的遺構はぱっと見で分かる形では残っておりませんでした。中世〜近世期はどういう感じの神社だったのかな。

 てなわけで,よーやく東岡崎。暑かった。これから駅から競馬場までも歩かないと行けないと思うとちょっと嫌になるけれど。蒲郡の項でも書きましたが,JRAは競馬場までバスを走らせる気はないんですかね。
 この東岡崎駅,家康の手形がありました。なんだこれ。

船着き場跡 船の石像 この土台の石垣は
もともとあったんでしょうか?
菅生神社 鳥居
 
拝殿 岡崎最古アピールがなかなか 慰霊社 秋葉神社
  
石鳥居。市指定文化財 稲荷神社。賽銭箱の賽銭箱アピールが凄い 東岡崎 家康手形

 そんなわけで,この先は中京競馬場へ。ファミさんはもちろん,ファミさんのご友人やシンザン氏らは個人的メインレースが終わったら帰っていかれましたが,NPは一人残って納税作業を繰り返しておりました。まあ,椅子に座って寝てたりした時間も多くて,残った割りにたいしたレース数買ってないんだけれど。
 で,蒲郡に向かいます。
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