なやましきかなやまその1

 秋の終わり〜冬は山城の季節です。山城というのはもちろん山城国ではなく,やまじろのことです。もちろん山城国の山城にも行きたいです。まあ,そうはいっても急造お城マニア,つまりニワカですので,まずは有名どころから。
 で,丁度土曜日に宇都宮で仕事があったので,日曜は北関東の山城を攻めることにしました。今,自分の中で攻略リストに入っているのは新田金山城のほか,唐沢山城と笠間城・小幡城。茨城の2城はいいとして,小山から西に向かって進めば出てくる新田金山と唐沢山のどっちをとるかが論点でした。で,ちょっと考えた結果,唐沢山は佐野まわりとセットで巡るのがよさそう,となると仕事の鞄が邪魔,という結論になり,新田金山に向かうことと相成りました。

 てことで,着きましたるは太田駅。小山から電車で西に向けて出るのは実は簡単ではないということを今回学びました。もしかしたらバスがあるのかもしれないと思って「公共交通機関」ではなく「電車」という言葉を使いましたが,おそらくなさそうです。JR足利駅から東武足利市駅まで歩くのが最速ルートってのはかなり想定外。なんせ仕事用の鞄が重い。そして,足利を歩くのは,あの足利最終開催以来ってんだからいったい何年ぶりだ。そういえば,懐かしくなって実家のファイルをごそごそしてたら最終開催時のものがいくつか見つかったので,今度アップしてみよう。まあ,足利は懐かしくなりましたが,足利に金を落とす気にはならないので,歩いてのどが渇いても太田までガマンであります。

 で,太田に到着。コインロッカーに荷物をぶちこみます。どうやって新田金山城まで登るか迷いましたが,山城まで体力を温存するため,タクシーを利用。運転手さんに任せていたら,麓のガイダンス施設を突破して,上の実城入口まで連れて行かれました。結果的にはこれが正解。なお,タクシー代は山を登ってくあたりで不安になりましたが,思ったよりも安くて2000円を切りました(1630円)。助かった。

 そんなわけで,登城スタートです。この近くに駐車場があったりして,基本的に金山城を歩く場合はここからスタートで問題なさそう。もちろん,大手口は麓にあるわけですが,これはあとで坂を下って見ればよいわけですね。見ませんでしたけど。


案内図
駅かガイダンス施設で
パンフをゲットすると便利です

登城口

 さて,元気に登城スタート。ぱっと見上り坂の山城ですが,まあたいしたことありませんでした。中年メタボのNPがこれなので,足が悪い人でなければ登城無問題です。

 まずは旧通路案内。そしてその先に西矢倉台西堀切。西が2つ続いたのでATOKさんは2つめの西を「仁志」と変換してきました。
 この金山城,毎年区画を定めて発掘調査しているようで,各箇所の案内がしっかりしてます。文字も日焼けしたりかすれたりしておらず読みやすい。素晴らしいです。太田市が頑張ってるのか,教育委員会に頑張ってる人がいるのか,どこか別の所から予算がついてるのか,裏話は分かりませんが,とにかく観光客に非常に優しい。
 そして,西矢倉台西堀切はかつては通路も兼ねており,この通路を抜けたところに桟道があります。この桟道が非常に興味深い。確かに木の橋なんかは非常時にたたき落として防御力を高めていた,なんて話はよく耳にしますが,こんな道があったとは。しかも,現代に復原した桟道でさえこんなに危なっかしいというのに,いったい往時はどうだったというのか。おそらく重い鎧やら荷物やらとともにここを通ったんでしょうけれど,壊れなかったのでしょうか。いやはや,面白い。そして,こういう桟道って,ほかの城にもあってしかるべきだと思うんだけれど,とりあえず自分はこれまで見た記憶がありません。ここだけなのだろうか。不思議だ。
 その先には西矢倉台下堀切。こっちは通路になっていなかったようです。でも,通路として使いたくなる幅だよなあ。

ここをまっすぐ 旧通路。植栽による表示になっております 西矢倉台西堀切
石柱が立てられた頃は「堀切」ではなく「塹壕」と呼んでいたようです
桟道。今は通り抜け禁止 西矢倉台下堀切

 そんなわけで,西矢倉台です。「矢倉台」といっても,このあたりは石造りの矢倉台ではなく,土が盛られた曲輪だったようですね。矢倉台だけ高く土が盛られていたのかどうかも分からないようですし,あるいはどういう矢倉が存在していたのかも分からないようです。ガイダンス施設で見たジオラマだと木でつくられた古めかしい姿でしたけど。

矢倉台を見上げる 西矢倉台通路
通路の解説しか無かったので
それ以外の発掘調査は未了
ということなんでしょうね
奥には桟道からの階段 南方向(太田市街地) 曲輪の様子。西方向と東方向

 さて,こうして西矢倉台とその曲輪を抜けると,いよいよ石垣ゾーンに入ります。遠くに石垣が見えてくると興奮しますね。
 最初に出てきた解説が馬場下通路で,ちょっと先の通路のものだったので若干混乱しました。まあ気にしない。目の前に土橋というか石橋というか,とりあえず細い橋。その向かいにいかにもな石垣。そして,左上方を見上げると,石の崖がデデン!とそびえ立っております。おお,これは素晴らしい。

遠くに石垣が! 土橋と門の跡 解説
左下の土橋が目の前の土橋なので
ちょっと分かりづらい
正面から 上を見上げる 振り返れば逆光
堀切。石がごつごつしていて無骨な堀切 これが馬場下通路ですね 右に下るか左に登るか
左側は石の崖
若干緩やかではあるが
登るのはきつい
右側の堀切 解説2 木橋から振り返る 木橋から見る堀切
木橋の先の石垣
高くないですが,
ここに門があったのかな?
馬場下通路の先 行き止まりにして敵を惑わすらしい 建物の礎石が残っていたようです
馬場方向に登るルート 下をさらに進むと,建物跡に到達 掘立建物跡,と名付けられております 行き止まりと書きつつ
奥にも進める

 さて,こんな感じに石垣が出てきて興奮が高まって参りました。いやぁ,久々に城をまわると楽しいですね。そして,解説が充実しているのがなんとも嬉しい。素晴らしいです。みどり市は今すぐ桐生競艇の利益を全部太田市に与えて発掘調査させましょう。

 てことで,さらに一段上がります。
 上段の曲輪は,一応「大手口馬場」という名称をつけられているようです。いかにも「馬場」という細長いスペースではありますが,馬場というからにはおそらくここからは建物の礎石やら何やらが発掘されなかったのでしょう。小さな建物跡の礎石がありましたが,かなり小さなスペースで,どういう意図で作られたものだったのでしょうかね?
 奥にある物見台は一段上がっておりますが,あくまで一段上がっているだけで,特に石垣があったというわけではなさそう。見慣れた関西の城だったらここに石垣があって上に矢倉が立ってそうなものですが,そういうものは発掘されていないようです。代わりに立っているのが鉄製の物見台。若干景観を壊しておりますが,まあ,世が世ならここに景観をぶちこわす天守みたいな櫓を作られていた可能性もあったわけで,それを思えばまあいいんではなかろうかと。また発掘が進めば簡単に壊せるようにこういう構造にしたんだろうし,文句はいいません。

階段上がって左(西)
奥に物見台
同じく右(東) 馬場通路・石塁の解説 建物跡と,カーブする道 物見台
西 南西 南東 土橋と門を見下ろす

 さて,物見台から降りて,先を急ぎます。
 続いては馬場曲輪。さっきのは馬場があるだけで,こっちが馬場曲輪という名前です。まあ,名前は便宜上ついてるだけでしょうけれど。自信満々に馬場曲輪と名付けるからにはおそらく馬屋があったんではなかろうかと思うところですが,残念ながら建物の用途までは判明していない様子。
 それにしても,礎石を見るだけで建物は少なくとも5回の建替えってことまで分かるんですね。あなおそろしや。そして,ここ馬場曲輪でも排水設備に光が当たっております。石を丹念に見てるため,この金山城址では排水設備がかなり精緻に復原されております。
 そして,この馬場曲輪から見下ろせるのが見事な大堀切。なんか中山大障害に出てきそうな名前です。見事な堀切であります。そして,この堀切に怪しく設置された畝状の石垣。山中城の畝は敵の手助けとしか思えない立派なものでしたが,ここの畝は堀切内の移動を妨げる役割を十分に果たせそうなものでありました。いやはや,素晴らしい。そして,ここからまーるい月の池が見えて,否が応でも期待が高まるのであります。

馬場曲輪 解説 馬場曲輪から馬場を見上げる 建物 排水設備 曲輪の様子
解説 北方向 南方向 畝がしっかりと 素晴らしい堀切です 奥に見えてくる月の池と石垣

 さて,ここからがいよいよ本番です。これだけ見てまだ本番じゃなかったのか,という感覚です。
 馬場曲輪から下に降ります。立入禁止区域の関係で大堀切はあまりしっかり見られませんでした。なお,かつては三ノ丸下塹壕という名前だったようです。これはこれで戦争感にあふれておりますな。
 それにしても,「月の池」という名前がいいですね。日本だと陰と陽という表現になることが多いイメージで(特段集計したわけでもなんでもないですが),あまり「日」「月」という対比を見ないような気がします。どうでしょうか。とりあえず,現地に行って「月の池」「日の池」という名前とこの円形の池を見たときにパッと思い浮かんだのはマヤの遺跡でした。なんせ,日本の城で「円形の池」ってほとんど見た記憶ないもんなあ。新田金山城の最大の特徴は,石垣ではなく,この2つの円形の池だと思う次第です。
 そしてこの月の池,どうも昔は1段構造だったところ,2段構造に改修されたとのこと。今となっては2段だからこそ,下の池の円形が非常にわかりやすいわけで,こういう改造をした人に感謝ですね。

下はまだ発掘中で,金網で防御
なのはいいのだけれど,立入禁止で危険なのではなく
金網を触るなという危険情報であります
電流でも流れてるんじゃないだろうな
月の池 三ノ丸下塹壕

 そして,いよいよです。さっきから目の前に凄いのが見えております。いよいよ本番。よく写真でも出てくる大手虎口の石垣であります。
 これ,現地では違和感ありました。これまで日本の城はたくさん見てきましたが,こういう石垣は見たことが無かったように思うのです。何かが違う。そして,帰ってからいろいろなサイトをみて気づきました。ここの石垣って,いわゆる扇の勾配がないんですね。完全に垂直に反り立ってます。石垣がそこまで高くない(高くできない?)のは扇じゃないからなのかな?
 虎口から正面を見て石垣にぶつかって左右に分かれる構造というと,人吉城や松阪城でも見た記憶があります。でも,ここは正面石垣がそこまで高くないんだな。どこも特徴があって素晴らしい。

解説 どど〜ん! 日本の城じゃないみたい
石垣をアップ 右手 排水溝。下に潜った水はどこに流れるのだろう? この2つの丸石はなんなのだろう?

 で,目の前にごちそうが並んでいるので,どういう順序で見て行くか迷います。とりあえず左の石階段を登ることにします。
 もうどこからどういう角度で切り取っても絵になります。素晴らしい。

石階段。ぱっと見現代の階段と変わらない 大手虎口北下段曲輪
排水へのこだわりがみえる
奥を見る 虎口を見る
排水 西側 東側 北側 南側 奥に排水穴が見える

 続いて,反対側へ。

上から虎口を 南側上段 南側下段 改めて北側 排水口の中を撮ってみた
奥に光が見えるのですが
どこに繋がってるんだろう?
月の池方向を見る 東側を 井戸跡。今も水がありますが,湧いているのかのか雨水か 解説
カマド跡 建物の中へ 建物内展示
建物内展示 石敷建物跡 片方の入口にはスリッパがあるのに,
もう片方の入口はいかにも土足で入るようになってました
南側の石垣
曲輪から北を 排水設備 虎口からまっすぐ入って北へ 同じく南へ
南にちょっと登ってから見下ろす 北側のよく分からない穴へ 土塁石垣 北にちょっと登ってから見下ろす

 まだまだ終わりません。日の池に向かいます。
 池の隅に井戸が2つあります。この2つはどういう役割だったのでしょう?水を溜めるのが池で,湧水をとるのが井戸だったのかな?とりあえず現時点で南西の井戸は涸れてるように見えました。

三ノ丸方向は新田神社社務所 南側通路をまっすぐ 解説 日の池に下りる階段 まんまるです 下に降りてみた
南西の井戸 井戸を調べてみた
いどまじんは出てきませんでした
北東の井戸
こっちも調べてみましたが,水があるのか不明でした
植物にあふれてるので,水があるのかも
南方向に見る 周囲は浅いので,石が見えます
周囲が一団高くなっております 周囲は平坦ではなく,
若干凹凸があります
意図したのか,単に凹んだだけか
南曲輪から日の池を 南曲輪から虎口方向 南曲輪

 そんなわけで,日の池をぐるっとみて,南曲輪に到達であります。続く。

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