鎌倉十三仏めぐりその2

その5.浄智寺

 2日目の1発目は浄智寺。前々回も参拝したので,ここはさらっといきます。それにしても,北鎌倉で降りて円覚寺に目もくれずに進んでいくってのはおそらく初めてのことじゃないかと思います。
 ここのポイントは最初の山門〜楼門の並びのよさと,境内に入ってから何気なく右手に現れる本堂。ここの本堂は本堂っぽくないから困ります。


 この日は軽く寝坊していて,あまりのんびりする暇はないんですが,とはいえこの年初めてまともに花を見るので,嬉しくなって水仙とロウバイを撮ってしまいました。
 さて,この本堂裏に現れるのが観音様。だまし討ちの多いお寺で困ります。というか,本堂裏にこういうスペース作って仏像をまつるのって,あまり見ないような気がするんですが,どうなんでしょうか。あと,このスペースが簡単な庭園になっているようですが,場所柄&きれいさが中途半端なのであまり注目されておりません。


なんとなく
マリア像っぽい
  
横井戸
コウモリの住み家になっていたってのは凄いな
  
ここのやぐらは大きくてしっかりしているように思う
 
かんのんさま
見たところ新しい

 そんなわけで,浄智寺終了。続いて,十三仏上は海蔵寺が近いので,海蔵寺を目指します。地図的に,浄智寺から海蔵寺にいく最短ルートは,浄智寺から葛原岡神社に向かう道から左に降りるルートです。問題は,GoogleMap上も,その他の地図上も,「海蔵寺に向かって左に降りるルート」がかかれていないこと,つまり,そんなルート存在しないんじゃないかということであります。安全策を採るなら,いったん大通りに戻って海蔵寺を目指すことになります。
 しかしまあ,行ってみないことには分からないですし,いずれにしても葛原岡神社や銭洗弁天に到達できればそれはそれでいいかな,という思いもあり,葛原岡神社に向けて山道をのぼっていくことにしました。

番外10.葛原岡神社

 さて,浄智寺からいわゆるハイキングコースに入りました。鎌倉のこの手のハイキングコースって,結構歩いている人が多いイメージだったのですが,そのわりに案外案内板が少ない印象でした。尤も,もともとハイキングなんてほとんどしないので,一般的なコースでどの程度案内が出てるのかとかは当然分かってませんが。また,案外案内が少ないとはいえ,特に迷うようなことはないです。
 で,期待していた「海蔵寺に降りる道」というのは特に存在せず,まっすぐ葛原岡神社に向かって進んでいくのでした。まあ,こんなことでもないと葛原岡神社に行くことはなかったでしょうから,これはこれでよかったというべきですな。

 この神社は日野俊基氏を祀る神社で,明治に創建されたようなのですが,なぜか恋愛の御利益を全面的に押し出しています。由緒を読んでも,日野さんが恋愛になにか関係するわけではなさそうです。なんで恋愛一押しなんでしょう?


ここをスルーして
銭洗弁天に行く人が
いるんでしょうね

魔去る石

鳥居

由緒
A.D.1333という表記を
神社で見られるとは

終焉の地

「鎌倉幕府の執政を北条氏から
後醍醐天皇の親政にしようとして」
という表現に若干の違和感。
鎌倉の神社だけに(北条氏単体なら別論)
鎌倉幕府を悪く言いづらいのかな

狐の脚元にあるのは
なんだろう?
  
日野俊基氏のお墓
下手したら頼朝よりも立派なんじゃないかと思う

 なお,ここを参拝した時点では日野氏について全く知識がなかったのでありますが,その後太平記のDVDを見始めたところ,第2話にして早くも登場されました(このとき榎木さん何歳だったんだろうか)。

番外11.銭洗弁財天 宇賀福神社

 葛原岡神社を出て坂を下っていくと,右手に人だかり。
 何かと思ってみると,鳥居がありました。名前だけは耳にしたことのある,銭洗弁財天であります。いやぁ,びっくりです。こんな穴の中をくぐっていくんですね。これは面白い(どうも,この索道は昭和40年代に作られたもののようですが)。
 そして,トンネルを抜けると,多くの参拝客がいる神社でありました。それはいいんですが,左手に売店が並んでおり,完全に観光地化しております。いやまあ,NP自身が完全に観光客としてここにきているので,そのことをどうこう言うべきではないんでしょうが。


御由緒

売店群

 さて,授与所でお線香と蝋燭を買い(100円),お参りに向かいます。
 それはいいんですが,この授与所対応が個人的にはもうちょっとなんとかならんのか,という印象。特になにをどうやって参拝するかの解説があるわけでもないので,100円払ってざると線香だけ持っていって蝋燭を忘れる人もいるんですが,そういう人に「お客さん,蝋燭!」とぶっきらぼうに言うのはどうなんかなあ。神社で参拝者を「お客さん」と呼ぶのも珍しい気がします。あと,外国の方もおられましたが,ちゃんと丁寧に解説してあげればいいのに,"100Yen"って言うだけで,"Thank you"という言葉にも応えないし。せっかくこれだけ人があるまる神社なんだから,もうちょっとがんばってもいい気がします。

 それはさておき,この神社,鎌倉では珍しく北条北条しております。神社でここまで北条氏の家紋を見たのは少なくとも前回と今回ではここだけだな(前々回は円覚寺佛日庵で見たけれど,ここまでではなかったなあ)。由緒を読む限り創建にかかわったのは頼朝公であって北条氏ではなさそうなんだけど。なんで北条推しなのかな。いずれにしても,北条北条してる神社は新鮮。
 で,蝋燭と線香を立ててお参り。蝋燭が小さいから,立てるのが難しいです。にしても,線香と蝋燭って仏教っぽさ満点ですね。
 で,興味深いのが奥の院。定義上「やぐら」とは呼ばないんでしょうけど,やぐらのような崖の穴の中にあります。鵜戸神宮あたりと似た雰囲気です。人が多く,みんなお金を洗うのに必死になってて鵜戸神宮のようないい雰囲気にはなってないけど。その意味でちょっと残念。

3点セット 蝋燭が小さい上に
手前が埋まっているので,
奥の方に立てるときに
袖が焼けないか不安になる
拝殿 多数の額が奉納されてます 北条の香炉 こういう商売する人が
いるんですねぇ
それにしても,登録商標にして
悪用を防止するとは
ゆるきゃらみたいなもんか
"Dipped Money 
Dried Naturally"
だけでは外国の方に
意味が通じないと思う

清めのお塩は
なくなったらしいです

 さて,なけなしの500円を洗って満足したので,境内散策を続けます。なお,おなかすいたからお店で団子買おうかと思ったら,おじさんが不在でした。
 どうもこの名水で知られる神社には,さらに「下之水神宮」と「上之水神宮」があるようです。このあたり,神仏習合期はまた神道仏教修験道もろもろ入り乱れてた可能性もあるのかもしれないな。まあ,なんにせよ,今は全て神社です。

授与所の位置のせいで
だれも鳥居をくぐらない
妖艶な弁天様 七福神社 下之水神宮
奉納された錦鯉 階段をあがっていく
人がいません
上之水神宮 寺院的な塔 上の池

 さて,ここでまた海蔵寺に向けて坂を登って下ることも考えたのですが,ここまできたからには,今佐助稲荷に行かないと99%今後行くことも無さそうです。てことで,さらに海蔵寺から離れて,佐助稲荷を目指します。ちなみに,このあたりからSoftBankさんが圏外になったんですが……。このあたり,結構な住宅街だと思うんだけれど,これはじぶんのスマホだけの問題でしょうか。

こくに茶屋。蛇がいるらしいですが,時間もないので中には入らず

番外12.佐助稲荷

 さて,銭洗弁天から10分弱?歩いて佐助稲荷。いきなり「佐助稲荷」の幟が現れてびっくりしましたが,どうも下社と上社があるようです。このあたり,神社について詳しくないのでよく分かってないんですが,脚が悪い人のためにあるのが下社っていう理解でいいんかしら。自分の馬鹿さを世界中に晒すことにためらいを覚えつつ。
 あわせて十一面観音もお祭りしているようですが,これは非開帳。


 さて,こちらは(自称)健脚なので,上社に向かって進んでいきます。時間的余裕はそんなにないので,すごい階段登らされたらどうしようかと内心びくびくしておりましたが,まあたいしたことありませんでした。
 狐塚がいかにも火山石のような感じで積み上がってますが,鎌倉ではあまりこういうのを見ないような気がします。富士塚信仰とかあまり鎌倉にはないのかな?
 あと,ここにも「霊狐泉」という湧水がありました。鎌倉って三方を山に囲まれつつも,湧水が出るのが陣構え上非常に都合いいですよね。歴史の授業ではあまり湧水のことに触れられてなかったような記憶なんですが,頼朝さんは特にこの点を重視してたわけではないのかな。
 こちらのお稲荷さんは本殿前まで参拝可能です。そして,本殿まわりにはおびただしい量の狐がきれいに並べられて奉納されております。風雨に耐えてよく頑張ってますね。

  
霊狐泉。やはりお金が投入されている…

「アライグマやタイワンリスに
餌を与えるな」とのことですが,
彼らの餌ってなんなんでしょう

本殿へ

本殿

古い稲荷群

 さて,いよいよ本来の目的,鎌倉十三仏めぐりに戻ります。ずいぶん脇道に逸れたもんだ。
 銭洗弁天を通ったら,団子屋のおじさんが復帰してたので昼食代わりに団子購入。ゴミはおじさんが処理してくれました。助かります。
 団子

番外13.化粧坂切通し

 さて,坂を登って,化粧坂切り通しを下って海蔵寺を目指します。こっちに向かって進もうとしていたところ,通りがかったご夫婦(らしきカップル)が,「あ,ここ通れるようになったんだ」ということをおっしゃりながら銭洗弁天方向に歩いて行かれました。てことは,一時封鎖されてたってことか。何があったんでしょう。

 今まで自分が意識してきた切り通しというと,建長寺方向から鎌倉に降りる切り通しで,建長寺から鶴岡八幡宮に行くときに大通りじゃなく切り通しを見たいと思いつつすっかり忘れて結局自動車道を歩くということを繰り返してきました(まあ,繰り返してきた,と書くほど鎌倉を歩いてないけど)。
 てことで,ちゃんと切通しを通って鎌倉に降りるのはこれが初めて。とはいえ,Wikipediaを見ると,化粧坂切通しも往時にどういうルートだったのかはよく分かってないみたいですね。

 さて,歩いた結果として,ここは完全な登山道でした。高取城あたりから下るときにこんな道を歩いたような遠い記憶があります。そんな道でした。

 ちなみに,ここを下る前に寄り道すると頼朝像がどこかにあるようですが,まあどうでもいいや。
 とりあえず,切通しを下れたことと,これの読みが「けわいざか」であることが分かったのでよかったよかった。あと,「けわいざか」って響きがなんかいいですね。


その6.海蔵寺

 番外が既に13に達したのに本編はまだ6。十三仏の半分もまわれてません。当初は3回で全部まわる予定だったのだけれど…。これは危ういな。

 海蔵寺は静かなお寺でした。浄智寺から直行できるならともかく,こんなルート通らないといけないとなると,なかなか足を伸ばしづらいもんなあ。
 ここのみどころはなんといっても庭園と井戸。残念ながら庭園は外からしか見られませんが,無料です。他方,100円払って見ることになる十六井戸。これはこれでしっかり円形が残っていて興味深い。歴史的な役割は未だ争いがあるようですが,ここは寺院なので当然16という数字を仏教的に理解されているようです。

底脱の井
井戸の底が深いという意味ではなく
解脱の意味であるとのこと
山門 解説 境内
落ち着きがあり捲りです
本堂
薬師堂 奥のやぐら 庭園
性善説に立った100円 こんな道をくぐっていく
これだけで凄い
十六井戸 パンフレットより

番外14.岩船地蔵堂&相馬師常の墓

 次に,浄光明寺に向かう途中にあった岩船地蔵堂。
 こんな場所に,こんなにまわりから大事にされてきれいにされている地蔵堂があるってのが凄いですね。

 そして,ふと道の向こうを見るとなにやら大事そうにされているやぐら発見。近づいて見ると,「相馬次郎師常の墓」とのことでした。


その7.浄光明寺

 ようやく半分を過ぎました。浄光明寺。ここも人がいません(あとから1人)。
 とりあえず,本殿(ではなかった)前で読経していろいろな奉納仏(どれも新しいな)を眺め見ていると,「重文の阿弥陀三尊像拝観可能」の案内が。手書きで,やる気があるのかないのか分からない感じなのが若干気がかりでしたが……。でも,せっかくなので登っていきます。


 そんなわけで,階段をのぼっていくと,そこにはとてもフレンドリーで話し好きなお寺の方がおられました(一日中受付で待ってて人があまりいないから暇疲れしてたんだろうな。受付であって庫裏ではないからテレビとかもないだろうし)。
 正面にあるのが本堂。なに。さっきのは本堂じゃなかったのか。前回の覚園寺と同じパターンだな。
 そして,国重文阿弥陀像の解説もしていただきました。檜の寄木造で,衣は土。これは鎌倉だけに見られるものだとか。そして,上にかぶっている王冠は江戸期に誰かが乗せたもので,東博に出展する際には東博の学芸員が「阿弥陀様はこんなのかぶらない」と言ったために外された姿で展示されたとのことです。それにしても,誰が冠を作ったのだろう。
 そして,右手には大伴神主家墓所。明治4年までの鶴岡八幡宮の神主家の墓所はここにあるんですね。それ以降,明治期はともかく第2次大戦後のお墓はどうなってるのかな。あと,そんな重要な役割のお寺のわりに,なんでこんなにマイナーなんだろう。鶴岡八幡宮もここを宣伝しないんだろうか。
 
 で,ここは下からみると4段構造になっており,さらに上に2段あります。鎌倉の限られた土地をひたすら有効活用しております。
 3段目にあるのが綱引地蔵。海から引き上げられたという逸話があるとのことで,綱を引いているのはお地蔵さんではなく漁師さんのようです。
 そして,最上段にあるのが冷泉為相の墓。なぜこれが最上段にできたのかはよく分からんところです。もしかしたら行き場がなくてだんだん上を削っていったのかもしれないな。どうも,ここの玉垣は水戸光圀さんが奉納したのだとか。水戸のご老公はこんなところに来てたのか。それにしても,この人は知りませんでしたが,十六夜日記の阿仏尼さんのお子さんらしいですね。十六夜日記って古文の勉強的には非常にやっかいな出典だった記憶があります。

是非きてね! 本堂解説 大伴神主家墓所
石に鳥居が描かれております
これも重文 イヌマキ ビャクシン
綱引地蔵。地蔵の上の円にはどういう意味があるのかな 冷泉為相の墓

 というわけで,非常に雰囲気のいいお寺でした。前回の覚園寺同様,結構な時間を消費しましたが,満足満足。

その8.寿福寺

 続いて,鎌倉五山第三位の寿福寺。その前に,英勝寺もあったんですが,時間が無いのでこっちへ。
 このあたりにくると急に人が増えます。海蔵寺〜浄光明寺界隈の人気のなさはなんだったんだ。

 山門をくぐると,まっすぐ道が伸びております。ほほう。しかし,行き着いた先は立入禁止。というわけで,所用時間の短さ的にはある意味助かりました。


番外15.英勝寺

 さて,寿福寺が予想外にあっさりと終わってしまったので(どうも裏に回るといろいろなやぐらを見られたようですが),先ほどスルーした英勝寺に向かいます。
 英勝寺は惣門が閉鎖されていて,受付脇の小さい扉から中に入っていくことになります。おそらく管理の都合上なんでしょうが,かがんで中に入るってのは茶室みたいですね。

 で,扉脇には梅が咲いていました。もう梅の季節か。そして,中にも梅。梅の品種までは分かりませんが,とりあえず梅の花は大好きなので撮影。
 そして,鐘楼・山門がそびえ立っております。鐘楼はなんとなくずんぐりしているように見えます。山門はどうもここ最近建てられたもののようですね。お金あるなあ。

 面白かったのが,奥にあった三霊社権現。てっきりやぐらかと思って近づいたら,岩をくりぬいて道になっておりました。なんでこんなもの作ったんだろうか……。それとももともとは違う目的で掘って,あとから権現を祀ったのかな。

解説 惣門 外の梅 入る 中の梅 鐘楼
山門 三葉葵 本殿 唐門 祠堂
三霊社権現

番外16.八坂大神&巽神社

 さて,もう時間が無いので,あとは鎌倉駅を目指します。寿福寺の横にあるのが八坂大神。解説を見ると,「相馬天王」という言葉もあります。どうもさっきお墓を見た相馬さんが創建した神社のようです(本当はさっきの墓をアップせずにゴミ箱突っ込む予定だったんですが,こことの関連が分かったので急遽復活させたのでした)。


 そして,さらに駅に向かうと巽神社(巽荒神)が登場。解説が読みにくい…のはさておき,なかなかみない意匠の建物だと思うんですが,どうなんでしょうか。神社建築に詳しくないのでこれ以上コメントできませんが。


番外17.大船観音

 さて,鎌倉駅に着いたはいいものの,まだ4時。てことで,銭湯前に大船観音に行ってみることにしました。こうでもしないと行く機会は一生来ないだろうからな。
 まあ,道を間違えてただでさえ時間が無いのにさらに時間を喪失したのはご愛敬ということで。

 この大船観音,僕はネット経由で存在を知ったのですが,このあたりに住む人からは「山にそびえる怪しい観音像」として親しまれているようです。
 この手のおおきな観音像というと,先日大谷観音を見たのを思い出します。あっちは岩肌をくりぬいて作ったもののようですが,こっちは真っ白。どういう材質でどうやって作ったのだろうか……。そして,この観音像の最大のポイントは胸像であるということでしょうね。仏像というと,手のかたちが極めて大事なようなんですがこの観音像は胸像ですからそんなもんなし。どういう経緯でこういう姿の観音像を作ることになったのだろうか…。

のぼっていく ご対面 額の小観音像 横から 内部
観音像がマリア像みたいに見えます
膝をつく場所があるのも教会的だしね

番外18.塩釜神社

 あとは銭湯に行くだけです。前回と同じ銭湯に行っても仕方がないので,今回はちょっと遠目の銭湯を目指します。その途中に塩釜神社。


番外19.常楽湯

 そして,この日の最後は常楽湯。大船駅からまっすぐ歩いても10分以上かかるんじゃないかと思います。
 東京だとあまりみかけないカゴメインの脱衣場もがナイス。
 ここの特徴はなんといっても浴槽の底面に描かれた美しい鯉。お湯の中にいたら煮たって煮魚になるんじゃないかとか余計な心配もしたくなりますが,とてもきれいで風流でした。


 そんなわけで,番外ばっかり数が増えてますな。できれば次回で終わらせたいのだけれど,どうなることやら。


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