クレノイリフネ

 呉本土に戻って,バスに乗って入船山記念館です。
 名前だけは昔から聞いていたんですが,一体何を記念しているのかは全く知りませんでした。
 ここは,旧呉鎮守府司令長官官舎でありまして,Wikipediaさんによると,「現存明治期の海軍高級将校庁舎としては珍しいもの」であるとのことです。何がどう珍しいのか,そもそも現存していることそれ自体が珍しいのか,は分かりませんが,とりあえず重要文化財です。重要なのです。

 てことで,敷地に突入します。世が世ならこんなヘラヘラしたメタボおじさんは中に入ることなどできなかったんでしょうな。
 最初に登場する旧呉海軍工廠塔時計は,Wikipedia師匠曰く「親子時計(設備時計)と呼ばれる構造で、四方に見えている文字盤の部分は“子時計”と呼ばれるもの、塔の内部に子時計を制御する“親時計”がある。」とのことで,中に親時計があるみたいです。親子時計にもWikipediaのページが作られております。英語では”Slave Clock”というらしく,親子とはいいつつ奴隷さながらに,子は親に逆らえない構造になっている,ということなのではないでしょうか(いやもちろん子時計が逆らったら偉いことなわけだけど)。Wikipediaさんによると,「当時としては画期的な構造を持った時計であり、呉工廠のシンボル的な存在であったという」とのことで,


旧呉海軍工廠塔時計 番兵塔
足の部分がすり減っているのは
水溜りで分かります
券売所にしか見えないけれど違います
初代呉鎮守府の建物に使われていたレンガで作った
引っかけのための建物であります
中に入る 案内
通路の石は路面電車の敷石です
呉の歴史が詰まった施設なのであります!
火薬庫 往来安全石燈籠


要塞地帯標 何かの表示板 大砲 中の様子 券売所・郷土館
2階は展示室
レンガ造ですが,
特に解説無し
水蓄式油槽鉄蓋

 そして,呉鎮守府司令長官官舎であります。和館と洋館からなる構造。この手のものは,旧岩崎邸六華苑でみたことがあります。まあ,現代の家もフローリングと和室が混在してるわけで,それが大きくなるとこうなりますね,という具合であります。もっと言えば,「洋館と和館」レベルで違っていれば現代人にも分かりやすいですが,昔から「○○派の建築様式」と「××派の建築様式」が混ざった家なんかも多数あったのかもしれず,そういう人から見たら和館洋館がくっついた建物とかも別に真新しいものではないのかもしれません。

解説 正面 入口は和館です ここだけ切り取ったら
普通の平屋の日本家屋です
入ったら炊事場
なんとなくドラクエ的です
入口 案内
トイレ方向 内玄関 使用人室 廊下 金唐紙


籐張り肘掛け椅子 玄関まわりとステンドグラス 戦艦大和 金唐紙見本
応接室 客室






食堂 ライティング 解説 献立例 金唐紙

 ここのウリは金唐紙です。金唐紙も,旧岩崎邸で見たような遠い記憶があります。この時代にハイソな皆様の中で流行していたのでしょうな。

 で,続いて和館です。ここはまあ,素人的にはそんなに物珍しいものではありません。ここで和室の作りとかを論じられるレベルに達するにはまだまだ未熟すぎます。

和館へ 案内 和館
離れ座敷 便所 廊下 明治38年築の墨書き 多分この辺
奥を眺める 化粧室と浴室 外から浴室

 和館を見終わったので,あとは少し敷地内をふらふらします。歴史民俗資料館では,金唐紙の展示がおこなわれておりました。

資料館 玄関のステンドグラスを
外から見てみる
軍水道防火栓 和館
石燈籠など 国産天然スレート 和館と洋館の境目

 最後に,旧東郷邸住宅離れです。まあ,これもよくある和室の建物です。そりゃなんぼ東郷さんでも,特別な建築構造で離れを建てる理由がないものな。


 そして,庭園。
 ここの枯山水,遠目には本当に水が流れているように見えます。これは地味に凄い。


 てことで,入船山記念館見学終了。呉市内に戻って,昼飯。
 有名な珍来軒は行列ができていたので,普通にラーメン。


 次は,JRの反対側へ向かいます。

倉橋島掃海艇


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