台湾旅行記2017その5

 駅でタクシーに乗って,海門天険へ。二沙湾砲台がある場所です。二沙湾砲台というのが砲台の名前なのはいいとして,海門天険ってのがなんなのかはよく分かりません。でも,字面としての「海門天険」って,なんかかっこいいですよね。
 タクシーは155ドル。とメモに記録されています。道中,指を上に向けて,下か上か,的なことを聞かれました。なんかよく分からんのだけど,歩いて山登りする気なんてさらさらなかったので,当然上だと答えました。どうも,下に「海門天険」バス停があるようですね。ここで降りるんならタクシー使った意味がない!
 てことで,到着です。


 広々とした野原が広がっていて,公園になっております。
 で,肝心の砲台は,というと,ちょっと奥の方にあるみたいです。というわけで,通路をてくてくと歩いて砲台へと向かいます。
 この時点では,あとでここに戻ってくる気満々だったので,上の公園部分にある展示を全然見ていかなかったのですが,結果的にここに戻ってくることは無かったので,これは大失敗でした……。ここに来る途中にタクシーから見えた飛行機なんかは気になってたんですが……。
 あと,この場所が僻地なだけに,さっきのタクシーの運転手が私が帰るのを期待して待ってたんじゃないかと,ちょっと心配になりました。

 さて,解説によると,ここは対英戦争の際に整備された砲台のようで,かつては8門の大砲が設置されていたとのことです。その後,フランス軍もここを使ったのだけれど,日本軍は戦略上ここを使わなかった,とのことですな。台湾の歴史は,前回新書を読んで,その後前回積み残した「図説 台湾の歴史」は読んだんですが,それからも時間が経っていて,特に清仏戦争時の台湾なんて意識からぶっ飛んでおります。そりゃここに来るんだから予習しておけ,って話ですよね……。

解説その1 こんな道を行く 髭文字っぽいもの 解説その2
こっちの方が新しそう

 さてさて。公園から少し進みます。木の間から基隆湾を見下ろすことができます。まあ,現在の眺望はあまりいいとはいえません。


 さてさて,そんなわけで,旧砲台区域にはいります。内部構造がよく分からないので,矢印に従って歩きます。お墓発見。
 解説を発見できなかったので,いつの時代のどういうお墓かはちょっとはっきりせず。

道案内 古墓

 さて,そして,東砲台です。
 獣道ができていて,なにかと思ったら犬が歩く道でした。犬については,前回台湾に来たときにもおびえた記憶があります。今適当に検索したら,鹿児島大学名誉教授の岡本嘉六さんのページがひっかかり,台湾ではそこそこ狂犬病の例が報告されているようです。ぐぬぬ。
 広い芝生スペースは,かつて何があったんでしょうかね?跡形がないことから見て,木造の宿舎とかかな。
 ここには,↓の写真のようなふてぶてしい態度のお犬様のほかにも何匹か犬がおりまして,散歩のためにやってきた犬とワンワン吠え合っておりました。お前ら本当に大丈夫なんだろうな……。

東砲台領域 ふてぶてしい態度で
寝ているお犬様
この道は犬が歩く道 東砲台領域を別角度から

 さて,砲台に近寄ります。


砲台 大砲

 砲台からの眺めは,木に遮られてはっきりしませんが,基隆湾を見下ろせる位置にあるのは間違いないですな。
 コンテナが大量に積まれていて,コンテナ船が入ってこれる深い湾であることは分かります。


 で,砲台の真ん中にある三角形のスペース。半地下で外部から攻撃を受けづらく,しかも石づくりの頑丈な部分なので,おそらくは弾薬庫とかそんな用途だったんではなかろうかと。

弾薬庫? 下に降りていきます 手前の小部屋 奥の小部屋 奥の小部屋に向かって
裏の通路があります
宝箱はありませんでした
奥の小部屋から振り返る 入口へ

 続いて,北砲台。
 こちらも,東砲台と同様に砲台+半地下の弾薬庫?があります。ただ,設置されている大砲の種類は異なっております。
 また,先端部に1つ突き出る形で砲台があります。この1つ突き出た砲台からさらに出っ張った部分があります。これはなんのためのスペースなのか,不明であります。
 サイズ感的には,四稜郭てきですが,四稜郭は四隅に砲台がありました。これは,もちろん四稜郭が内陸なのに対し,ここが湾に面してるから,狙ってる獲物が異なるわけですな。

北砲台区域 飛び出した砲台
前へ進む ちょっと眺めはイマイチですが,基隆湾を見下ろせます 振り返る
もう一つの大砲
砲台感はあまりない
そこからの眺め
やはり基隆湾を見下ろすことができます
この位置からの発砲でどこまで命中率がよかったのかは分からないですが
斜め上から見下ろす 後ろから
上から見る弾薬庫 弾薬庫へ
半地下なので,上から見るより
壁が高く感じられます
左の部屋 右の部屋 上を見上げる
北砲台区域の虎口
枡形にはなっていませんが,規模も相まって函館四稜郭を思い出します
石垣 虎口から見る北砲台 脇から見る弾薬庫

 続いて,大階段です。ここにいたるどこかに古井戸があったようですが,見落としました。
 なんとも立派な大階段。この施設が単なる砲台ではなかったのであろうことが分かります。
 この大階段をおりると,もう二度とのぼる気はなくなります。すなわち,あとはひたすら下るのみ。もといた公園には戻れないのであります。
 そして,したにあるのはMilitary Camp。漢字にすると営盤区。ちょっとよく分からない。

 それにしてもこの階段,段が狭くて案外降りるのが怖いです。手すり持てば良いんでしょうが,踊り場が小さいこともあって真ん中を歩いていったん滑ると下まで真っ逆さまに転げ落ちそうです。こんなところで滑落死したら恥ずかしい。
 Military Campは外壁だけが残されておりますが,この外壁,外側はいいとして,内側の壁はいったい何と何を区切ってたのでしょうかね?高さ的にも石で壁をつくるにしては中途半端な気が。

大階段と北砲台を結ぶ道 見下ろすと怖い 降りていく 大階梯 大階段 廃墟感ある石垣跡
営盤区 ぐる〜っとまわる

 そして,見えてきました巨大な門。
 この門に書かれている文字こそが,先程来気になっていた,「海門天険」なのであります。なんか良い響きの四字熟語であります。
 この門にはのぼることができます。できるんですが,この階段,さっきの大階段以上に怖いです。疲れてるってのもあって,足を踏み外したらえらいこっちゃ。左右に手すりのない階段というのがこんなにも怖いものなのか。

門! 門の脇で黙々とゲートボール?の練習をするおじさん 斜めの角度から ここをのぼる 門の上はこんな感じ
門の上からの眺め(内側方向) 門の上からの眺め(外側方向) なにか凄いのが立ってる 下り階段
これが地味に怖い
斜めから 門をくぐる 下の広場
外側の壁〜門を左から右へぐる〜っと
門の中には,穴があったので,ここに閂かなにかが通ってたのではなかろうかと

 そして,広場。ここは何の遺構もありませんが,きれいな広場です。往時はここに兵隊さんが整列していたのでしょうか。

 そして,ふと見ると,「十八羅漢洞」への案内が出ています。うむ,もうのぼる気力を喪失していることもあり,とりあえずこの矢印に従って進んでいくことにします。誰もいないんだけれど,大丈夫なんだろうか……誰もいない割に道はきれいに整備されてるから,大丈夫なんでしょうな,多分。多分。
 とりあえず,外が明るいこともあって,異国の山の中を一人で歩いてる割に怖さはありませんでした。

 で。十八羅漢洞を見るために歩いたはずなのに,華麗にスルーしてしまいました。なんのためにここに来たんろうか……。どうも,これまた見逃した聖済宮に十八羅漢がいたっぽいです。無念。人生で再度ここを訪れることなどないだろうしなあ……。

海門天険! 広場 斜めから,門 羅漢洞への道 ここを降りていく もときたみち
もう絶対に引き返せない
こんな道を進む
きれいに整備されてます
舗装がなくなった とはいえ,迷わないよう
ロープがあったりする
車道と交差
串珠歩道,でいいのか
車道
羅漢はどこにいったのだろうか……
GoogleMapさんによると,お寺があるようなので,進みます
お寺はこれですね 牛?
車両通行止め 日本でもよく見るタイプの石づくりのベンチ トリ どこかで見覚えのあるネズミ Google Mapの表示に従うと,
多分これが泰国四面佛,だと思われる
下向きに,
お寺への案内が出てた
……あれ,聖済宮は?
……まあいいや
降りていくと,大和宮に到着です 下から来たら,ここから
大和宮にはいることになる
さらに降りていきます
道路に飾ってあった
これはさっきの四面佛
これが見逃した聖済宮
十八羅漢もここにいたっぽい
……おれはいったい
何のために歩いたんだっけ
この道は,入船里歩道というらしいです 脇にあったよく分からない線香お供えの場所 ここを入ると歩道に到達する

 さて,そんなわけで,地上に舞い戻りました。さっき,タクシーで「下の海門天険」と伝えていたら,いま降りてきただけのルートを上らなきゃいけなかったわけですな。恐ろしや恐ろしや。
 せっかく下に降りてきたので,気になっていた北白川宮能久親王記念碑に行ってみることにします。
 ここは,戦後旧日本領下の石碑が一部削られつつも残されているという,興味深い石碑であります。また,解説を見ていると,"Taiwan's disastrous 50 years history under Japanese colonial control"という表現があったりして,日本人としてはなかなかに複雑な気持ちにもさせられます。まあ,歴史とその評価はさておくとして,こういう場所が残っているのは現代人としてありがたいと思うのであります。
 で,北白川宮能久親王のWikipediaを見ていると,「東武天皇」即位説などというなかなかに強烈な話も会ったりして,大変に興味深いです。また,日清戦争後の台湾割譲に際しての治安維持なんかも特に考えたことがなかったので(そりゃ,下関条約で決まったからってみんな簡単に納得するわけじゃないよな),乙未戦争なんて知らなかったです。さらには,このときに台湾民主国なんかもできていた?ようで,なかなかに興味深いです。


 このあたりはコンテナヤードがある場所で,道の広さも相まって,暑い工業地帯という感じです。立ってるだけで疲れます。
 ということで,脇道に入ります。脇道を歩きます。で,疲れているので注意力が低下します。で……前から歩いてきた親子連れを避けようと思って寄って歩いたら,ガードレールのさびた出っ張りにズボンを引っかけてズボンが破けました。悲しい。まあ,怪我しなかっただけよしとします。

コンテナヤード 大通りの様子
日本と街並みが違うのだが,何が決定的に違うのかが正直よく分からない
破れたズボン

 さて,裏通りを歩いていると,日本領のときの基隆の市街図が展示されておりました。興味深い。


このあたりで発見

 てな感じで,日本統治下の基隆に思いをはせつつ,続いては基隆神社跡地であります。現在は中正公園。そして,神社の拝殿・本殿は取り壊されて,跡地には基隆市忠烈祠が建っております。
 ……また階段のぼるのか。おじさんもう疲れたよ。

 神社の社殿は壊されておりますが,狛犬は残っておりました。犬には罪はないのです。狛犬は犬じゃないだろ,という突っ込みは受け付けません。この狛犬は,大正8年につくられたもので,吉岡鶴吉さんと河合治右衛門さんの名前が残っております。ここによると,吉岡さんは「和菓子店朝日堂之店主」,河合さんは「基隆小川商店店主」であったようです。

 戻りがけに,おじさんの胸像の写真を撮っていると(←なお,このおっさんは蒋介石です。それすら分からんで写真撮る馬鹿がいるんですよ,ここに),上半身裸のおじさんに話しかけられて,写真撮って貰いました。申し訳ない,当時はこの胸像が誰かも分かってなかったのですよ……。そして,この(誰かも分からない)胸像よりも,上半身裸の仙人みたいなおじさんと写真を撮りたかったNPなのでした。

解説板。新旧の比較が見られます 向かいの消防署
これはぱっと見日本と同じ
のぼる! 胡適先生の植樹あり 中腹には幼稚園あり
毎日この階段を上り下りしてたら足腰が鍛えられますな
さらにのぼります 忠烈祠 サクラ!! 忠烈祠 内部 お犬様がお休みになってます
狛犬 名前が残っております 灯籠
これも日本時代からかな
永懐領袖 蒋介石とともに 中華風の門

 と,いうわけで,基隆観光終了。実は友人が台北に着いているのです。ということで,さらば基隆。戻ります。
 もちろん,最後に買い食いも忘れません。

今川焼きとか回転焼きとか日切焼きとか呼ばれてる代物 ガチャもある 印象的な橋
金鶏橋というらしい
最後の基隆夜市 スイカジュース45でした 天ぷら70
昨日とは違う店だけど
味の違いはおいらには
分かりゃしません
台北から来たバス
最後の基隆港 浮き輪 客船
どこから来て,
どこに向かうのか
バス乗り場 台北にて
上戸彩がまぶしい

 帰りのバスもほぼ満員でした。科技代のバス停で大量に降車。バスを使ってるのは学生が多いのかな,ともおもったのですが,どうもMRTとの接続考えたらこっちが正解だったみたいです。まあいいや。
 てことで,友人と合流。


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