ラオノサヴォーン

 さて。バスは無事ポーンサワンに到着しました。
日本語版Wikipedia
2020年5月24日スクショ
 ところで,ポーンサワンという名前の街ですが,現地の白人はこうは読みません。私がルアンパバーンで泊まったゲストハウスの大将は,”フォーンサヴォーン”と読んでました。アクセントは”ヴォ”にきます。で,バスに乗るときなんかも,ほかの旅行者や現地のバススタッフなんかにも”フォーンサヴォーン?”と聞きまくっておりました。
 もちろん,日本を代表する旅行誌である「地球の歩き方」が「ポーンサワン」と書いている以上,日本人としてはこれを尊重したいところですが……。ちなみに,Wikipedia師匠は,というと,ポーンサワン郡という記事を載せています。Wikipediaもポーンサワン派のようです。
 この「フォーンサヴォーン」という響き,どことなくフランス語っぽいですよね。なので,もしかするとフランス支配下のラオスでは,この町はフランス人によってフォーンサヴォーンと呼ばれていたのかもしれません。とすると,この町をフォーンサヴォーンと呼ぶのは現地の方からしてみたらマドラスボンベイカルカッタのごとく,いろいろと屈辱的な意味を持つのかもしれません。このあたりはよく分かりません。なお,Wikipediaでは地名のアルファベット表記は”Phonsavan”となっておりまして,もしかしたら,”フォーンサヴォーン”と聞こえていたのは完全に自分の耳の悪さで,皆さん”フォーンサヴァーン”と呼んでいたのかもしれません。まあ,通じればなんでもいいのです。
 ところで。先ほど見たポーンサワン郡のWikipediaですが,2020年5月現在,中身が薄いです。そして,「街自体は埃っぽいが、他のラオスの諸都市に比べて新しい街のため、近代的である。」という,「要出典」の文字がつかないのが不思議な,極めて主観的な文章が載っています。ちなみに,英語版Wikipediaは歴史について詳しく触れられています(但し,米軍が関与している時代は薄い)。フランス語版Wikipediaは街が1970年代までに破壊されていたことについてはさらっと流して(戦争はラオスvsアメリカ扱い),「それゆえ何もないけれどPlain of Jarsが近い」という解説であります。

 ここで重要なことは,このあとこの町をなんと表記するか,ということなんですが,とりあえず私は地球の歩き方を(迷い方,と揶揄しつつも)愛する日本人でありますので,歩き方に敬意を表して「ポーンサワン」と表記することにします。ルアンパバーンも,昔の文献なんかを見ていると「ルアンプラバン」と書いてるものが多かったりするので,ポーンサワンも将来的に表記が変わるかもしれません。

 閑話休題。
 ポーンサワンでバスから降りたNPを待ち構えていたのは,旅行会社のおじさんでした。「宿は予約しているか」との質問。まとわりつかれるのが面倒だったので,まだ予約してないのに「予約している」と答えてしまいました。これで宿が満杯だったらあとでこのおじさんに土下座して宿を探してもらうハメになります。もしかしたら予約していないのがバレたのか,「どこに宿を取ったのか」という質問をされ,歩き方に載っており,さっきバスからも見えた「ナイスゲストハウスだ」と回答。この質問の意図は正直分かりかねるところでした。このおっちゃんの旅行代理店は,ナイスゲストハウスの斜め向かいで近かったんですが,別にゲストハウスの出口で待ち構えられていたわけでもなし。

 で,宿については諦めたようですが,「ジャール平原へのツアーをやってるから来い」と誘ってきます。まあ,悪い人じゃなさそうだし(初見で悪い人そうだったら営業としてアウトだろうけど),ツアーを探すのが面倒だったので,荷物を置いてから彼の店に行くと約束します。で,ナイスゲストハウスへ。一応歩き方にも載ってるレベルのゲストハウスだし,場所もよさげなのでまあ部屋を見せてもらうことにします。これで空きがなかったらどうしようかとビクビクしてましたが,空室あり。まあ,新年1月1日ですからね。料金は1日80,000キップ。1000円前後のお値段です。

 それにしても,1月1日とは思えないくらい,店があいています。

街へと向かいます 店はあいている メインストリートへの道 両替屋の表示
日本語は無い
STOPサイン
白地に赤です
ナイスゲストハウス 室内 横にある店 メインストリートの様子 旅行代理店
道を挟んで反対側

 んで。荷物を置いて,旅行代理店へと向かいます。
 そもそも,私が何をしにこの街に来たかというと,言うまでも無くジャール平原を見るためです。もう夢とロマンに満ち触れているとしか言い様がない,この謎の平原。しかも,辻政信が当地で失踪,という日本人のロマンをかき立てる歴史も加味されております。しかも,ですよ。この「ジャール平原」という名前。てっきりこのあたりが「ジャール地方」とかなんとかいうのかと思ったら,英語のPlain of Jarsの和訳。そして,”Jars”の語源は見たまんま,石の瓶が並んでいるように見えるから,というではないですか。なんだこのやる気も無ければ現地への敬意も見られない名前の付け方は。てか,現地ではこの石の並びを見てもなにも名前をつけてなかったのか。もう,とにかく,いろいろと興味深いとしかいいようがない。
 でも,日本人はあまり興味が無いようで,2020年5月26日現在,日本語のWikipediaは,英語フランス語に比べて貧弱です(中国語はもっと貧弱)。

 で。先ほどバスターミナルで会ったおっちゃんに話を聞きます。ちなみに,ナイスゲストハウスにも代理店はくっついてるみたいでしたが,人はいなかったので,まあ人がいる旅行代理店が分かってたのはよかったといえるかもしれない。なんせ,1月1日だからな。
 このおっちゃんの旅行代理店では,明日はジャール平原のサイト1〜3をまわるとのこと。ここポーンサワンでは,ジャール平原のほかにワット・ピアワットを見たかったので,そこには行かないのか聞いたところ,明日は行かないとのこと。おっちゃん曰く,明日はすでに別の客が入っているようで,単価が安いとのこと。ふむふむ。もちろん,単価が安くても合計は上がるような価格設定にしてるんだろうけど。
 てことで,明日はジャール平原サイト1〜3をまわり,あさってワット・ピアワットに行くことにしました。あさってはNP1人だけなので,多少高くつきます。でも,人生で2度と来ることが無いであろう街な訳で,ここでケチっても仕方がない。

 そんなわけで,旅行の予約をしようと思ったところで,大事なことに気付きました。キャッシュが無い。
 もちろん,旅行代理店はニコニコ現金払いがモットーです。1月1日に果たして両替所はあいているのか。さっきバスターミナルの近くになにかあったよな……と行ってみたら,両替商自体はお休み。どこかのホテルかなにかを探すか……と大通りを歩いていたら,ATMを発見しました。無事,キャッシングして現金ゲット。いやあ,ここまできて現金が無いためにツアーに行けないとかいう自体になったら大変だった。危ない危ない。

 てな具合に,明日の旅行の予約も済ませました。
 あとは1日フリーなので,読書タイム。この町でそこそこ落ち着けそうな喫茶店を探すのはなかなかにきつい。Google Mapさんでヒットしたお店を使うことにします。店の中はBGMがうるさいし,店員の目も嫌なので外へ。日が落ちたら暗くて読書できなくなるかな,と危惧してましたが,ライトで読書できました。内陸国であるラオスまで来て播磨灘物語を黙々と読む奴は何を考えているのやら。

お酒も出るようです
そうしないと儲からないよね
オシャレなアイスラテ 店の様子
新年早々飲んだくれる人はいない
看板

 で。夕食です。どこにしようかと思ったんですが,面倒なので宿の向かいの店に行くことにしました。
 若干油は多いけれど,健康的な食生活であります。

夜の街。大通り沿いは明るくて危険は感じない メニュー表 豚肉入り野菜炒めとご飯
sticky riceは「無い」と言われた
店舗外観

 ちなみに。食事を終えて宿の部屋でゴロゴロしていると,外からTT兄弟の歌を歌う子供の声が聞こえてきました。「おお,ラオスでもTT兄弟が受けてるのか,それとも同じ歌がこっちにもあるのか」などと思ってたら,日本語の会話が聞こえてきました。普通に日本人のお子様が歌っていただけのようです。
 それはそれとして,どうも日本語を話せるガイドさんがおられるようで(子連れだといた方が安心だものな),夕食の場所をガイドさんと相談されておりました。そして,候補として「ラオス料理,インド料理,イタリア料理」が挙がっていて,そのご家庭はラオス料理を選択されました。すると,どうも宿の向かいにある店を紹介されていたのでありました。つまり,自分が行った店は日本向けのガイドさんが紹介するレベルの店(ほかに店が少ないだけ,の可能性は高い)だったことが確認されたわけでして,まあよかったよかった。

 てことで,就寝。ルアンパバーンよりは蚊は少なかった記憶です。

 翌日。
 とりあえずの朝食を求めて……向かった先は,昨日夕食を食べた向かいの店です。果たしてラオスの朝食とはどんなものなのか。メニューを見ると,まあ米か麺か,という感じで普通ですね。昨晩は米を食べたので今朝は麺にします。肉は今日はビーフ。そういえば,ラオスって仏教国だけど,肉食には特段のこだわりは無いのかな。
 付け合わせで出てくる生野菜は,怖いので見なかったことにしておきます。ヘタレであります。

ゲストハウス 朝の大通りの様子
1月2日ですが,特別感はありません
横の店
朝のレストラン 朝食メニュー 牛肉と米麺 コーヒーとお茶

 そんなわけで,いよいよジャール平原へと向かいます。


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