ラオノジャールその2(スプーンビレッジ〜サイト3〜Russian Tank)


 しばらくすると,車が止まりました。“They are making schools”と聞こえて,てっきり学校を建設中なのかと思いましたが,どうもschoolではなくspoonだったようです。そういえば,spoon village に行くとか言ってたな。それにしても,spoon villageというわりに,1軒しか見当たらないんですが……。村はいずこ。

もふもふのわら屋根の
家があった
中国語の看板が見えたので何かと思ったら,どうも発電所をつくっている様子
水利電力対外公司,という名前だけ見ると,水力発電所をつくる会社みたいですが,そんな川は無さそうなので別の発電かもしれない
舗装されていない道路を進む。雨季とか大丈夫なんでしょうか……

 さてさて。
 車から降りて,スプーンを作っている様子を見学させてもらいます。
 このスプーン作りは,アルミを溶かして型に流しておこなわれております。そして,そのポイントは,ここで使われているアルミは,インドシナ戦争で当地に降り注いだ爆弾等の余剰物を使っている,ということにあります。つまり,原材料費は基本的にはかかっていません(誰が爆弾の残骸を集めて配ってるのかは知らんけど)。
 そんなわけで,戦争の惨禍の残るここラオスで,平和ぼけした観光客がその一部を上から目線で垣間見ることができるという意味で,このスプーンビレッジ見学は意義のあるものなのでした。それにしても,アルミってすぐに固まるんですね。びっくりです。
 ちなみに,ここではスプーンや記念品の直売もしております。せっかくなので,ラオスの形をした栓抜きを買ってみました。10,000キップ。そこそこ値が張ります。酒は飲まんのですが,いつだったかふるさと納税の返礼品で受け取ったリンゴジュース(@弘前)のふたが王冠で,酒を飲まないが故に栓抜きがなくてちょっと困ったことがあります。そのときどうやって王冠を外したのかは忘れました。

連絡先です おそらくはご自宅 作業場 お子様
これで火をおこしてる
のでしょうか??
溶けたアルミニウムを型に流し込む 冷やしている間,もう1つの型を開けてスプーンを出す できあがったスプーン
後ろから
余ったアルミは再利用します
型を開ける あらためて後ろから
この不発弾等を使う ここから,アルミを取り出すらしい ここでスプーンを綺麗にする 商品 ラオス形の栓抜き スプーン

 スプーンビレッジをあとにして,続いて昼食へと向かいます。
 道路を眺めていると,新旧様々なかたちの家があります。まあそれは当たり前なんですが,やはり高床の家が多いのは雨季の対策なんでしょうかね?ぱっとみネズミ返しはついてないし。他方で,レンガ・コンクリの新しそうな家も散見されます。このあたりに住む人は,どういう層なんでしょうか。さっき見た中華資本の発電所で働く人や,観光業などの新規住民もいそうです。家だけ見てると貧富の差はありそうですが(単に家が新しいかどうかの問題の可能性もあるけど),いざこざとかないんかな。
 床が高いのはいいとして,これからこの国が高齢化すると,次はバリアフリーの問題が出てくるんでしょうかね?

 車から外を眺めていると,学生さんたちが歩いています。どうも,家で食事を取るために学校から一旦家に戻っているようです。1月2日に学校なのか……。皆さん,本当にお疲れ様です。
 人によっては日傘を使っている人もいます。このあたりも,貧富の差の問題なのか,それとも単に好みの問題なのか。てか,雨季にスコールが来たら傘さすのかな。それとも,傘じゃどうしようもないレベルの雨だからそんなもの使わないのかな?
 日本だと,少なくとも自分の小学校時代なんかは「子供は年中半袖半ズボン」文化がありましたが,ここでは皆さん長袖です。というか,パーカーを着たりして,見た感じ結構寒そうな格好をしてます。そこまで寒かった記憶も無いのだけど。それよりも紫外線の害の方が問題なのかもしれんな。あるいは子供は肌を出しちゃいけない,みたいな文化があるのだろうか。
 あと,日本では集団登下校したりとかもしますが,ここではそういうことはないのかな。危なっかしい車とかがいてもおかしく無さそうだけど。

道路の様子 高床の家(倉庫?) これは木の家ですが
外観は高床ではない
新しめの家
入口は階段で5段程度上がったところにあります
これは高床 学生たちが歩いています 傘をさしている 相合い傘の人も 歩きながらも勉強?
帽子の人もいる 手前は兄弟かな? 野菜や果物の露店

 で,昼食。このあたりの店の昼食は,麺orライス+上に何を載せるか,という選択肢になるようですね。オージー4人衆はビールを飲んでましたが,わたしゃ下戸なのでコーラです。久々だな,酒飲んでる奴らの傍らでコーラ飲むの。

ご飯がもっちりしていて
おいしかった
店の脇にいた牛
食用でしょうか……

 昼食を済ませて,続いてはサイト3へと向かいます。おそらく,賑わっているのはChao Hoの街かと思われます。
 道路脇を眺めていると,まだ学生がいますね。これから午後の授業でしょうか?

ちょっとした集落というか,繁華街を抜けていきます 学生たち STOPサインが
ポーンサワンの街の
中のものと違っている
いろいろな家。建て売りみたいに同じ形の家が多くても良さそうですが,それぞれ異なってますね

 そんなわけで,サイト3に到着です。
 ここは駐車場から遺跡まで若干距離があります。サイト1のように電動カートは用意されておらず,天が用意してくれた二本脚で歩いて向かうことになります。この方がアトラクション感あって楽しいですね。
 ここの道は,これまで以上にMAGのサインが目立ちます。地中に埋まっているものは分かりますが,上に突き出ているサインは,どういう趣旨なんでしょうかね?目立つようにしたい,ということなんでしょうか?それとも,雨季に土砂や水がなだれ込むと,ここまでの高さになるってことなのかな?

サイト3はアメリカが担当 橋を渡る あぜ道を進む 田んぼのようす。水田だったり,水を入れてなかったりしますが,
どういう種類の稲を植えてるんでしょうかね?
二毛作だとか,そのあたりの作り方についても興味あるところです
MAGのサイン さらに歩きます ここを超える MAGのサイン。上に突き出ております

 楽しみながら,サイト3に到着です。2018年を強調する入口が何なのか気になりますが,2018年に整備されたんですかね?
 ここは,木の下にJarがまとまっている,という保存状況です。2020年の今となっては,木の下にJarが集中しているのは分かるのですが,これが2000年の間どのように保存されてきたのか,まったく想像がつきません。
 サイト1〜3,いずれも丘の上のJarを見てきましたが,それはたまたまなのか,水はけがいいから残っただけなのか,どちらなのでしょうかね?死体を入れていたという説が本当だとしたら,なんか眺めと風通しのいい丘の上に死体を保存する死生観は現代日本のお墓に通じるものがあるようにも思えます。ただ,昔の日本の土葬文化だと平民の埋葬ってそんなにいい場所キープさせてもらえてたんですかね?縄文とか弥生時代の平民の埋葬がどうだったのか,完全に記憶の外であります。

2018年! サイト3
真ん中にあったJarは
車両の通行の邪魔だから
撤去されたんでしょうかね
倒れたJar 縦に割れてます 下の部分が割れてます 蓋が埋もれております
サイト3の様子。適度の木の量と,そこそこの量のJar。時代が経っているにしては,きちんと直立しているJarが多すぎるような気もしますが,よほどしっかり固定されてるんでしょうか
単立のJar 日本の神社の手水場に
ありそうな形ですね
このあたりだけ
破壊が進んでます
爆撃されたのだろうか
ちょっと角度を変えてみたりして撮ってみた
熱心に撮影しております 狙いはかまきりでした サイト3からの眺め

 では,駐車場に戻ります。
 途中,牛が誘導してくれました。動物が道を誘導してくれる,という話から,ふと吉田牧場でテンポイントのお墓まで誘導してくれた犬のことを思い出しました(当時のブログ)。これを書いているのは2020年6月14日でありますが,この直前に,吉田牧場が生産を終了するというニュースがあったのでした。
 吉田牧場の誘導犬とは違って,ここの牛は別に誘導する気は無かったようで,途中から道草してどっかに行っちゃいました。行きがけに通り越した柵も,牛が動く範囲を絞るためのものだったのですね。
 ところで,この牛はいったい誰のもので,このあたりの土地は誰のものなのでしょうか。牛は自由に草を食べてますが,作物はそれでいいのだろうか。まあ,糞が天然の肥料になるからそれでよい,ということなのかもしれないな。

牛が先導してくれます 最後まで先導してくれるのかと思ったら,途中で道草して,どこかに行ってしまいました
あらためて,田園風景 よく見ると,牛が多いですね 牛の糞

 最後は,Russian Tankであります。
 道から降りたところに,戦車の残骸が放置されております。

 解説がないので,いったいどういう経緯でここにロシアの戦車が放置されたのか分かりません。そもそも,ロシアじゃ無くてソ連じゃ無いのか,というところから疑問は出るのです。いったいいつの戦争のための,どういう戦車なのでしょうか。ロシア(ソ連?)の戦車だとして,なぜこの1台だけがここに残されているのか,中の人はいったいどういう人生を歩まれたのか,とか,興味は尽きませんが,おそらく現在この地に生きる皆様にとっては,今あるこの鉄の塊が観光客を惹きつけるならばそれでよし,以上のものはないのでは無いかと思います(まあ,無料で見るだけだから観光客を惹きつけてもメリットは無いのかもしれんけど)。

一応案内は出ているが
小さいし,下向いちゃってるし…
こんな感じで放置されてます 下りていく この部分だけ,放置されている なんか空を飛びそうですね 中を覗く
ハッチだけさらに放置されている 下から見上げる。これ以外の部品はどこに行ったのだろうか
(最初に寄ったツーリストセンターに
戦車部品があったことを書きながら思いだした)
雨とかで下に
転がり落ちないのでしょうか?
中を覗いてみる ここの奥にあった家

 なお,検索してみたらいくつか参考になりそうな情報が。どうも,ベトナム戦争で用いられたPT-76戦車のようです。Wikipediaの運用国にラオスも入ってますね。

 そんなわけで,この日のツアーは終了です。時間的に,Old Capitalに寄れたんじゃ無いか,と思わないでもないですし,ネットを検索してみると実際にOld Capitalに寄っているツアーもあるようなんですが,まあ文句は言ってはいけません。明日行くからいいのですよ。

道路の様子 2人乗りしてます 最後に,オージーさんの要望で果物屋に寄った

 このあと,オージー2組はどこかに飲みに行くと言っておりました。こちらは下戸なので彼らと別れまして,単独行動をとります。寂しい奴なのですよ。



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