メジロアシガラ

伝説との対面

 NP版北海道遠征記(2002)ができる気配が感じられないので、この馬を取り上げることになりました。

 メジロアシガラ、ご存じの方も多いかと思いますが、火山の噴火で牧場が壊滅的な打撃を受けたときに、賞金を荒稼ぎして牧場最大の危機を救った、「メジロの功労馬」であります。
 僕がこの馬のことを知ったのはおそらくは後藤正俊氏の文章ではなかったかと思いますが、この話を読んだとき、いろいろなことを思ったものです。もちろん、メジロ牧場という日本有数のオーナーブリーダーの中で、功労馬として真っ先に取り上げられるのが、殿堂馬でもなく、大障害馬でもなく、グランプリホースでもなく、こういう、重賞勝利実績のない馬である、ということの驚き。そして、当時の障害の賞金の高さ。

 ということで、この馬は、僕の中では伝説上の馬となっていました。個人的な扱いとしては、トキノミノルやクリフジ、キタノオーとほぼ同じです。
 例えば、マルゼンスキーなんかは血統表でちょくちょく見るので、非常に現実味の強い馬です。テンポイントやハクチカラは血統表では見ることはありませんが、あまりに馬がメジャーすぎてなんか「伝説」とはまた少し違うところにいる馬になっています。
 で、アシガラはといいますと、この馬は重賞を勝っていないがために、僕が高校時代に暇をもてあまして作った重賞勝利馬一覧に登場してきません。さらに、別冊宝島の名馬列伝や、その類似の本でもこの馬はおそらく成績付で取り上げられたことはないのではないかと思われます。
 ということで、僕はこの馬がいったい何年に生まれ、何戦何勝したのか、ということを全く知らなかったのでありました。知っているのは本当に最初に書いた一文のことだけ。まったくお恥ずかしい限りであります。

 さて、この馬。僕の中では伝説上の馬となっておりましたので、まさか生きているなんてことは考えもしていませんでした。もしかしたら後藤氏の文章にはちゃんと生きていることまで触れられていたのかもしれませんが、とりあえず僕はそのことは知りませんでした。「伝説」になっている以上、もう現実にはいないのです。

 そして、2002年秋。トリ、長老、BT、そしてNPの4人は、北海道に遠征しました。その最終日。我々はメジロ牧場で敗北し、ユートピア牧場の墓参を経て、白老のオーシアンファームを見学させていただくことになりました。お目当ては、というと、ノースガストです。モンテプリンスの項でも書きましたが、僕にとって、モンテ世代(こういう表現になるのはやむを得ないのです)は、非常に重要な世代であり、その前にオペックにふられていたこともあり、さらに、モンテプリンスが死んだ直後、ということもあり、是非とも会いたい馬だったのであります。
 そうして訪れたオーシアンファームに、いたのです、メジロアシガラ。

 失礼ながら、そして恥ずかしながら、ここを訪問した時点で、オーシアンファームという牧場が、いったいどういう牧場なのか全く分かっていませんでした。まして、メジロアシガラがいるなど、知りもしませんでした。当然です。この馬は僕の中では伝説上の馬となっていて、既に天国にいることになっていたのですから。
 ので、最初に「メジロアシガラ」という名前を見たときにも、全く反応できませんでした(ついでに、ウズシオタローに至っては、帰るまでどういう馬か思い出せませんでした…本当にお恥ずかしい)。

 …生きてたのか…!!
 いや、もちろん、勝手に伝説に祭り上げて殺したこっちが全面的に悪いんですが。本当に衝撃でした。もう、ほんとに。

 ということで、なんとかもう一度会いに行きたいなあと思う日々であります。是非長生きしてほしいです。はい。

 それにしても、Google、Yahooともヒット数がたったの6でした。驚愕。
 ちなみに、同時アップのシービークインは616(Google)、モンテプリンスは826(同)でありました。

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