白馬の会について


1.創設のきっかけ

あれは1997年の秋のことでした。当時真面目な高校生だった現会長のSWが、英語のI十嵐玲輔先生(この人は参考書も出していて、結構有名だったりもする)の授業中、暇を持て余し、「ペーパーオーナーゲームでもやってみよう!」ということを考え出しました。授業後の休み時間、現『白馬』編集長のNPにそのことを伝えると、SWに負けず劣らず暇な生活を送っていたNPは、翌年に控えた受験のことなど考えず、すぐにその話に乗りました。そこで、SWとNPは学校の競馬仲間5人を巻き込み、「白馬の会」を発足させたのです。それが今まで続いてしまったこの会の始まりでした。


2.会誌『白馬』について

もともと投稿マニアだったNPは白馬の会が発足すると同時に、「PO馬の情報を発信する」という名目で会誌を発行しようじゃないかと言いました。それを聞いた他の連中はあまり深く考えずに、「面白そうじゃん」ぐらいの気持ちであっさりと同意しました。罠でした。 初めはごく薄い雑誌だったのですが、時がたつにつれ、S.W.、トリもパワーを発揮し、次第に厚くなり、ついに1号200ページを超えるまでになりました。内容もS.W.、NP、トリ(だけではないですが)の趣味が色濃くあらわれて次第に多様になり、競馬だけにとどまらず、ゲーム、音楽、スポーツ、はては声優まで手を広げています。
『白馬』は高3年の受験直前、だけでなく、後がないはずの浪人期(S.W.とNPに加え、トリも浪人)にも元気に発行を続けました(浪人期は特にパワーが有り余っていたので、高校時代よりも分厚くなりました)。会合も、浪人期にもかかわらず毎週定期的に積み重ねたのでありました。行き場の無くなったパワーを吐き出した甲斐あって、S.W.、NP、トリは無事大学に合格したのでした
当サイトの完成後は『白馬』の発行は停滞、2003年に1号発行されたのみとなっております
また、計画の発端となったPOGは、集計の面倒さからもはや存在しなくなりましたが、ハマが指名したリージェントブラフが2004年にドバイワールドC出走を果たすなど、なかなか面白い展開をみせてくれました

3.会誌『白馬』の名前の由来について 

白馬の王子様にあこがれていた会員の某氏がどうしても『白馬』にしてくれというのでなりました。というのはうそで、会誌名を何にしようかといってた時に会長が好きな某馬の名前をあげたところ大ブーイング。そのため、少しひねって某馬の毛色の白馬にしました。

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