松山旅行記その1

囚われのアンパンマン
…ではなく、駅員帽をかぶったアンパンマン
アンパンマンってこんなにメタボでしたっけ?
特急の先頭
 さすが特急。うとうとしているうちにあっさりと松山に到着しました。

 改札へは階段を上ることなくそのままホームから直行。
 改札は、なんとなく時代を感じさせるような作りにしたかったんだろうな、という、製作者側の意図(意気込み)が伝わってくるものでした。そして、その意気込みは、駅舎全体から伝わってくるものでした。
 まあ、本当に時代を感じさせるものにするためにはある程度ボロくしなければならないんでしょうし、ボロくしたらそれはそれで問題があるわけで、なかなか難しいですね。今治城の鉄御門でも思ったことですが。

 改札を出て、さらに売店等が立ち並ぶ駅を抜けると、ロータリーが広がります。その先には、路面電車の駅が見えます。路面電車の駅に行くには(横断歩道ではなく)地下に潜らないとダメな模様。雰囲気としては、鹿児島中央をちょっと思い出す感じ。

春や昔 十五万石の 城下哉
正岡子規が日清戦争の従軍記者として
戦地に赴く直前の歌、らしいです
いよてつ松山駅前
 さて。ではどこに行くか。
 迷った結果、とりあえずホテルに行こう、ということになりました。チェックインは15時で、この時点での時間は1時過ぎくらいだったと思いますが、まあもしかしたら入れるかも、という淡い期待を胸に。
 で、どうやって行くか。せっかくなので路面電車を使ってもよいのですが、最初は歩いて町を知ろう、ということで、徒歩で出発。
 途中、ロータリーの左手に正岡子規の句碑がありました。さすが松山、正岡子規が前面に押し出されてるな、という印象。
 この句碑ですが、松山では至る所で見つけることができます。正岡子規に限らず、色々な俳人の句碑があります。僕はあまり俳句に興味がないのでしっかり調べていませんが、どうも松山はそういう路線で売り出そうとしているのではないかと思われます。俳句に興味がある人は楽しく町歩きができる、という仕掛けになっているのではないかと思われます。
 さて、ホテルでは「チェックインは3時からだから大人しく町歩きしてろ」と言われたNPは、とりあえずこれからの行動を考えます。今治でボケ〜っとまっぷるを眺めていたくせに、結局松山での行動は何も考えてませんでした。
 松山で絶対外せないスポットは個人的には3つ。道後温泉と松山城、そして松山競輪。このうち競輪は明日、道後温泉は今晩行くとして、松山城をどこに入れるか。
 松山城天守閣の入場時間を考えた結果、松山城は明日行けばよい、ということになり、とりあえず今日は別の所に行こう、ということになりました。てなわけで、まずは松山市駅を目指します。

正岡子規誕生邸址
 ガイドブックを眺めていても、松山の中心がJR松山駅なのか伊予鉄松山市駅なのか、いまいち伝わってきません。官庁街はまた別の所にあるし。で、実際足を踏み入れてみると、松山市駅にはど〜ん!と駅ビルがあって、おそらくこっちが中心街なんだろうな、と感じました。高松でいうと、松山駅が高松駅、松山市駅が瓦町駅、ってことですな。あとで聞いたら、高島屋は瓦町への出店計画もあり、結局松山に出店したそうで、瓦町に出店したそごうが再生のため閉店して今は天満屋になっている、とのことでした。
 その松山市駅に向かう途中、ひっそりと正岡子規の誕生邸址が立っておりました。

 もう1つ。ガイドブックを眺めていても伝わってこないのが、伊予鉄の仕組みです。どうも、路面電車とそうでないものがあるように見受けられるのですが、ガイドブックは坊ちゃん列車にしか興味がないようで、郊外路線がどんな雰囲気なのか分かりません。
 てことで、現物を見ると、郊外路線は普通の私鉄電車でした。路面電車の駅とも離れてるし。

 次の問題。路面電車には1日券があるみたいなのですが、どこで買えばよいのか。伊予鉄のターミナルに行くと、伊予鉄のチケットセンターみたいなものがあり、そこでは高速バスのチケット発券や定期券販売をしてます。が、1日券販売の文字が見あたりません。てことで、ちょっと困惑しましたが、普通にここで買うことができました。1日300円。安い。2回乗ったら元が取れます。400円で売った方がいいのでは?
 ところでこの路面電車。松山市駅はいいのですが、街中のえきになると、ホームが狭い!まあ、ホームを広げると自動車の通る道幅が狭くなるので、ホームの幅は必要最低限にしたいのは分かるんですが、真横を電車が通っていくので、最初はびっくりします。

城山の 浮み上るや 青嵐
 まあ、そんなわけで、これで路面電車には乗り放題、やりたい放題。移動手段に困ることはありません。
 で、目的地はロシア人墓地。
 日本に連れてこられたロシア人捕虜の話は、断片的にはいろいろ聞いたことがあるのですが、実際に松山にその墓地があるとは知りませんでした。実際の当時の待遇がどうだったのか、当時の松山の雰囲気、日本の雰囲気がどうだったのか、あるいは対応も上と下では同じだったか分かりませんし、まあ、つまるところ、歴史の専門家でもなんでもない自分としては、とりあえず平和な時代に生まれてよかった、と、平和ボケするだけのことであります。
 さて。このロシア人墓地。マドンナバスの移動ルートに組み込まれている場所なのですが、それ以外の観光ルートからは大きく外れています。るるぶにも特に記述は見あたりません。
 まあ、とりあえず最寄り駅に行ってみるしかない、という結論に到達。

 というわけで、松山市駅から路面電車に乗り込みます。目的地は松山城の逆側なので、環状線でぐる〜っと回っていくことになります。
 この路面電車、郊外(城の反対側)に行くと、道路から離れて独立した線路上を走ります。単線なので、駅ですれ違うことになります。旅行者的にはのんびりした雰囲気が心地よいです。

木屋町駅の雰囲気
住宅の合間を、近い距離で電車が抜けていくのが分かります。
洗濯物を飛ばしたりする人はいないのでしょうか。

 そして、木屋町駅。ここから先の道は大雑把にしか分かりませんが、とりあえず北に行ってしばらくしてから東に行けばなんとかなるだろ、というノリで進んでいきます。雰囲気は普通の住宅街、という感じです。商店があったり、マンションがあったり。




 しばらくして、「ロシア人墓地」の案内板が登場。おおっ。間違ってなかった。
 喜び勇んで進んでいくと、山道へ。んんっ!?凄い勢いで坂道を上っていきます。しかも、お寺への案内表示はあれど、ロシア人墓地が消えました。間違えたか?

ここで右折 この道を進む 右側を上る さらに上る お寺の案内しかない… 墓地前から見下ろす

 ……と思ったところ、右手に見えてきました、ロシア人墓地。まあ、あまり観光名所化しても仕方がないと思うので、ひっそりと、来たい人が辿り着ければいい、くらいな感じでたたずまいがあるのがいいんでしょうね。
 で、ロシア人墓地ですが、いかんせん歴史を知らないので、深い感慨があるわけではありません。ですが、碑文を読んで、ここで亡くなった人や、その人々のために尽くした人々なんかに思いをはせると、やっぱり平和な時代はいいなぁ、と、再度平和ボケにひたるのであります。
入口
きれいに整備されております
説明書き 合掌
永久眠る 孝子ざくらの そのほとり 合掌

 その後、再び市街地に戻ります。逆方向だと、今度はどこで曲がれば駅に着くのか不安になります。いやはや。
 途中、裏側から松山城が見えました。山の上に見える天守がいい感じです。

マドンナバスが止まってました 裏側?から見る松山城

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