30blues


 30歳の終わりになってちょっと思ったことを何ともなく文章化してみます。
 目的としては40代くらいになって自分で自分の文章を読んで赤面しつつ自分の成長と勘違いを知るという感じであります。人生の恥はかきすて。
 これをネットにアップして全世界に恥をさらす必要性は皆無なのでしょうが,どこかに書いておくとなくなってしまうのが目に見えてるので全世界にあほをさらけ出すこととします。

1 親父の本棚
 自分が10歳くらいの頃,両親の本棚というのはあこがれの対象でした。廊下の本棚にあった山岡荘八の「伊達政宗」を読もうとして母から「まだ早い」と言われ,意地になって読もうとしたらやっぱり挫折し,中学に入ってしばらくしたらちゃんと読めるようになったのに感動したのはいい記憶です。余談ですがそれ以降伊達政宗は大好きです。
 で,父親の部屋の父親の本棚には小難しいビジネス本,ゴルフの本,将棋の本が並んでいました。まあ,ガキが父親の部屋に入ることはそんなにないのでよく覚えてないってのも事実ですが。

 翻って。今の自分が父親になったとして(なれる見込みすらないのがポイントですが,それは10年後にどうなってるかのお楽しみということで),「親父の本棚」には何が並ぶのか。競馬本,競馬雑誌,漫画・・・・・・。なんでしょうか,このがっかり感。いやもちろん普通の(こうして自分で競馬関係が普通でないことを認めたくはないのだけれど)文庫本や新書本なんかもそれなりに持ってはいます。が,やっぱり変な本が多いんですよね,我ながら。一見まともな装丁で「性の文化史」とかそういう社会学的な本も好きなのですが,こういうのが親父の本棚に並んでていいんでしょうか。
 まあ,親父になる見通しも書斎のある家に住める見通しもないんですがね。
 そんなことより「親父のホームページ」がばれないか心配した方がいいのかもしれんし,「親父のパソコン」はもっとまずいだろという気もしますが。

2 いつまで「お兄さん」と呼ばれるのか

 30です。
 基本的に,競馬場や競輪場に行くと,だいたい「お兄さん」と呼ばれます。
 特に競輪場は平均年齢が異常なのでいいのですが,僕は競馬場において(あるいは街中で)いつまで「お兄さん」と呼ばれるのでしょうか。
 昔,幼稚園〜小学生期に,友達の家に遊びに行って友達の母親を「おばさん」と呼ぶとたしなめられましたよね(たぶん一種の定型的ボケとツッコミだと思います)。ただ,この「おばさん」・「おじさん」という響きはなかなか強烈で,たぶん自分が初めてどこかで「おじさん」と呼ばれたら(自称はしてますが),その瞬間は結構グサッとくるんじゃないかと思う次第であります。競輪場で「おじさん」と呼ばれるのは何十年後か・・・・・・。

3 最近の若いやつ

 僕は,高校時代くらいから「年をとったら絶対に『最近の若い奴は』と文句を言ってやる」と公言してきました。
 が,こうして年をとると,いつから「最近の若い奴は」という文句を言ったらいいのかがよく分からんのであります。北村宏や戸崎はあまり「若い奴」っぽくないイメージで,彼らが三浦あたりに「最近の若い奴は・・・」と言っても個人的にはそんなに違和感がありません。が,朝青龍が「最近の若い奴は・・・」と言うとなんとなく違和感があります。これは単に朝青龍が偉そうなことを言える柄じゃないからなだけな気もしますが,なんとなく朝青龍には若いイメージがあるのです。これも単にやんちゃだから若いイメージがあるだけな気もしますが。
 まあ,そんなこんなで,自分はいつから「最近の若い奴は・・・」と言ったらいいのかが分からんのであります。これからは積極的に「最近の若い奴はノーザンポラリスも知らんのか」(←若くなくても知らない可能性あり)とか発言した方がよいのかなあ。

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