NPの広島里帰り記2001/12/21〜12/24
本当は日記に貼り付けるだけにするつもりだったんですが、せっかくなんでHTMLにしてみました

というわけで、広島帰りの記録をば。
初日は、JASの広島行き最終便で広島空港で。飛行機のほうが安いってんだから世の中変わったもんです。バースデー割引やらタダ切符やら。飛行機会社も大変です。JASとJALは合併するんでしょうかねえ?
到着後、レンタカーで宿舎へ。泊まり先は音戸ロッジ。ま、どこだか知ってる人は国民宿舎マニアか地元の人でしょう。
この日はとっとと就寝。

2日目。まずは音戸大橋を渡って倉橋島の、父の両親が住む実家に。宿舎からは来るまで10〜15分程度。なんでここに泊まらないかというと、父方の実家は小売店を営業していて、部外者(店的に)が泊まったりするとまあ迷惑極まりないからなのです。祖父とは母方の祖父の葬式で会ってたので約7年ぶり、祖母とは10年ぶりです。また、叔父・叔母とも10年ぶり。10年前ってーとまあ僕もまだくそがきの頃で、町並みもずいぶんと変わってるわけです。特に、広島は地震があったので、実家の壁にひびが入ったとかで、作り直したそうです。しめて200万。保険から80万ちょい出たらしいのですが、折角なので壊れなかった部分も作り変えたとのこと。う〜ん。200万。
さて、まずは近所巡り(田舎なので親戚は近所にいます)をして、仏様をお参りして、江田島へ。江田島というと、そうです、旧海軍兵学校、現自衛隊第一術科学校があるところです。某漫画のキャラクターの苗字もこの島が元になってますね。ま、この辺は呉軍港の影響をもろに受けてる地域なので、こういう軍事施設の名残がかなりあるわけです。
が。なんと22日、すなわち訪問したまさにその日から見学休止(1月6日まで)。ま、学校なので冬休みが影響するのかな?と思ったら、後で別のところで話を伺ったところ、どうやらそうではなく、テロの警戒のためだそうです。
仕方が無いので、倉橋島に戻り、桂浜と呼ばれる場所へ。
ここには何があるかというと、倉橋島資料館(正式名称忘れた)と、長門の造船資料館が2大ポイントです。ま、桂浜は本来海水浴場なので、夏は泳げるのですが、冬のさなかに瀬戸内海に飛び込む勇気のある人間はいないでしょう。それに加え、日本初の西洋式ドックがあったことでも知られています。知られています、といったところで知ってる人が何人いるのか知りませんが。
ここでちょいと倉橋島について。西洋式ドックができたってんだから、船の寄港地だったことは想像つくかと思いますが、歴史は大昔に遡ります。瀬戸内海を通行する船の寄港地として栄えていたんですね。遣唐使船、遣新羅船などが寄港し、また、ここでそれらの船を建造していたのです(倉橋島は木造船の造船で有名でした)。そして、後に平清盛が、もともと陸続きだった半島の付け根を船が通れるように切り開いたのです。ここは音戸の瀬戸、と呼ばれていて、音戸大橋を渡ってすぐのところに清盛塚というものがあって(見たこと無いんですが)、清盛を祭っております。その後、江戸時代まで、瀬戸内海を航行する船の寄港地として栄えたのでした。明治時代になり、呉に軍港ができると、この島は特別区域に入り、あちこちに射撃訓練場などができたのでした。
以上、どこかで読んだり聞いたりした記憶をつなぎ合わせたものなので、間違いは多々あるでしょうが、ご勘弁。現在は呉などにある鉄鋼やパルプ会社の社員が住んでたり、あるいは牡蠣の養殖してたり、といろいろやってる島であります。音戸の瀬戸をまたぐ音戸大橋ができてからは本土への移動が一層楽になりました。広島といえば、池田元首相、宮沢元首相、亀井元運輸相など、土建万歳利権万歳の政治家の方々の地元でありまして、こういう橋が出来てしまうのですね。ただこの橋はなぜか通行量が多いです。こんなにこの島に住んどるんかいな?という感じです。ま、江田島に行く人も通ってるんでしょうが(江田島から本土に行くには、フェリーを使うか、倉橋島経由で行くかのどちらかです。江田島と倉橋島はこれまた橋で結ばれております)。
話が思いっきり飛びました。そういうわけで資料館2つを見たのです。年間何人が見学に来るのか教えてもらいたい場所ではありますが(前者は客がこない間は電気を切っていたので、てっきり休みかと思いました)。造船資料館には遣唐使船を復元したものがありました。一体この金はどこから?なんてことは多分タブーなのでしょう。ちなみに、ここには町民会館?のようなものもあり、大浴場には町民がたくさん入りに来ているようでした。
そんなこんなで晩飯は実家で食べました。
そして、音戸ロッジの大浴場に入るわけなのですが、ここの大浴場、桂浜のものと同じように、周辺にお住まいの方々がたくさん入りに来ているわけです。それはいいんですが、場所は広島、周辺にお住まいの方々の中には…そう、当然いるのです、やくざ。現役なのか元なのかは分かりませんが、ば〜ん、と刺青が入ってるのです、腕に。いやぁ、壮観壮観。なんて、刺青を凝視する勇気は無いですが。
サウナもついていて、地元にお住まいの方々が井戸端会議のサウナ版?をなさってるのですが、話は聞いてて面白かったです。曰く、「昔は競輪ですってもその分すぐ仕事を見つけて取り返せたが、今は不況ですった分を取り返せない」そうです(広島には競輪場があり、さらに高速船で一発のところにある松山にも競輪場があります)。「もうけた金はすぐ次のレースで使っちまう」「いくら儲かっても2週間持たない」あたりは正しいギャンブルおやじと言えるのではないかと思います。また、「孫が来ると家がはちゃめちゃに汚れる」のが悩みだとか。ま、当然なんですが。僕にも思い当たるふしがありまくりますし。特に、この辺は5人兄弟、6人兄弟当たり前の地域なので(僕の祖父・祖母とも6人兄弟です)、親戚が集うととんでもないことになるのですね(「今孫が3人来ちょるんですがねえ(←この孫3人の1人に水のシャワーをぶっかけられて死にそうになりました)」「うちにゃあ6人おるわいのう」という会話も)。

3日目。まずは長谷(ハセではなくナガタニと読みます)という集落(ここも倉橋島の中です)に住む親戚(父の叔母ってなんて言うんでしたっけ?あと、その娘さん一家もおります)を訪問。もう80を超えるお年寄りも、大変元気です。流石に足は悪いそうなのですが、その分喋る喋る。このまま元気に長生きしていただきたいものです。
その後、江田島からフェリーで宮島へ。直行便は無いのですが、宇品(広島港)経由で行けます。実家広島のくせに宮島行ったことが無かったんですね、僕は。
宮島は、というと、まあこんなもんか、という感じです。実際の神社よりも土産物屋の並びのほうが大きいのは何とかならんのか、と言いたい気もしましたが、ま、しょうがないんでしょうね。時間が無いので水族館などには行きませんでした(時間があっても行かなかったでしょうが)。
知らなかったのが、ここの鹿にはえさをやってはいけないということ。奈良とは違うんですね〜。と書きつつ、奈良の鹿を見たこと無いんですが。

最終日。まずは実家に寄ります。それから、周囲を散策して、島谷ひとみの実家を拝見。見ただけで他に何をするってわけではないのですが。
その後、空港へ向かうわけですが、途中、広(呉市の東部)に住む親戚を訪問。これまたよく喋る喋る。これが元気の源なんでしょうね。
それから空港へ。飛行機の1時間ってのは短いです。