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いろいろ書き損ねていたことを。勉強の合間にノーパソで日記打ってるはずが、日記がメインになりつつありますな。
えっとですね。話を7月まで遡らせます。もう4〜5ヶ月も前のことなんですね。恐ろしや。
まず、某授業に関連して、僕が班の課題を押しつけられたことがありました。押しつけられた、といっても、まあ強行に拒絶すればどうにかなったと思われるので、結局悪いのは僕です。 んで。ちょうどその課題の週に、某科目の択一試験がありました。多くの皆さんはそっちに手一杯でした。まあだからこそ僕に押しつけようとしたんでしょうな。まあそれもいいです。はい。 さらに。ちょうどその週とその翌週、レッズが水曜日に国立で連戦することになっておりました。7月6日がヴェルディ、13日がレイソルです。で、7日は相川のライブです。択一試験は7日。班の課題は一応4日に会合。提出は6日。さらに、5日にはとある20〜30人授業の最終回記念飲み会が挙行される予定でした。てことで、この週はかなりテンパってました。 思いついた順に並べたので、時系列順になってなくてすいません、と将来の自分に謝りつつ、話を先へ進めます。
まず、4日。なんとか班の課題の下書きを仕上げ、会合に行くことができました。この日は12時まで授業で、会合は15:30から。授業終了後も課題を詰めてたので、15時過ぎから会合やる部屋で昼飯を食べてました。このころはまだ健康的な生活してたんですね。まあですね、こう書くと一生懸命課題の下書き(含参考判例や事案のまとめ等)をやってたように思われるでしょうが…まあ実際結構頑張ったんですが、内実はふざけた下書きでして、ふざけたものに仕上げるために余計な時間を費やした、つまり、自分で自分の首を絞めた、という側面が大きいのです。これで班の人に文句言ってるんだから人間が小さいったらありゃしません。 で、この日は班の皆様が7月生まれの人間と、7月にでかい試験を受ける人向けに軽いパーティーを企画して下さっていたようなんですが、会合開始時に昼飯を食ってるお馬鹿さんがいたために、計画を狂わせてしまったのではないか、とあとから反省。いや、この日にやってくれるとは思ってなかったものでして。ほんとダメダメです。 でもですね、ほんと班の皆様には感謝で一杯です。こんな小者のためにケーキとか用意してくれて。この近辺の日に画像載せたはずですよね。
で、その後。班の課題の仕上げは何人かで分担することになりました。で、僕は、というと、相変わらず仕事が遅い。この間に他の科目の予習分担とかもあったし。まあですね、火曜が丸つぶれになりつつも(この日の飲み会で、「おいしい(正しいのかは不明)もんじゃ焼きの作り方」をマスター。マスター、っていっても、上手く作った人のを見てただけですが)、水曜の提出までになんとか仕上げ、提出しました。提出期限が確か17時で、水曜は13時から17時まで授業が埋まっていたので、13時からの授業中に内職し、さらに15時からの授業に25分ほど遅刻しましたが。本当は12時前に学校について、それからカリカリやる予定だったんですが、例によって中央線が遅れて到着が1時間くらい遅くなったのでした。まあそのへんは時間内にちゃんと仕上げない僕が悪いのでいいです。で、この先ですよ。一応仕上がったものを先生に出しつつ、班の皆様にも「こんなん作りました、意見あれば言ってね」的メールを送りました。こんなん、どう見ても「頑張ったんだ感謝しなさい」的メールです。なんせ、いままで誰もこんなメール送ってないし。自分も以前の担当の際には送ってないし。ほんと、送った後自己嫌悪に陥りましたよ。お疲れ様メールを返してくれた2人には感謝の言葉もありません。にしても、ほんと、人間小さいですね、僕は(11月に入ってこんなこと書いてるあたり、さらに人間が小さいと思う)。 水曜の一夜漬け(といっても試験範囲全部勉強できず)で択一もまあ大けがせずに済みました(生徒がみな頑張りすぎて、教授陣の想定レベルをはるかに凌駕してしまった、という予想外の事件があったのですが)。
で、自分へのご褒美として、ついでに、国立のヴェルディ戦に行かなかった見返りとして、相川のライブへ。このへん、コラムにどんなこと書いたか忘れましたが、とりあえず、木曜の授業が終わった段階で自分がどんな状態になるか分かってなかったので、もともと当日券で突撃する予定でした。 この日はクラスの人の結婚記念飲みでして、当日券ってことはべつにライブに行かなくてもよかったわけなんですが、ライブへ行ってしまいました。下戸な僕は酒飲んでストレス発散、というルートをたどれないので、まあ大声出してストレス発散したかったのです。 と同時に、もう1つ理由が。
ヘビメタさん、という番組がありました。今秋の番組改編で終了したのですが、まあヘビメタを紹介する番組です。名前の通り。 で、僕は別にヘビメタファンではありません。R&BよりはR&Rの方が好きですが、そこ止まり。まあ、たまに聞いたりしますが、そもそも洋楽をそんなに聞かないのでね。 このころ、僕の帰宅時間はだいたい0時から1時くらいでした(これは夜遅くまで勉強していたから…なのですが、だいたいにおいて、勉強モードにはいるのが夜になってからなので、特段褒められた話ではありません。「ついにNPが勉強モードに!!」と考えるのは完全に誤りです。書いてて悲しいですが)。で、家に帰ってすることといえば、とりあえずテレビをつけることです。テレビっ子ですね。 0時から1時にテレビをつけると、当然やっているのは深夜番組。深夜にやってる番組を深夜番組と呼ぶのですから、同語反復きわまれり、であります。 深夜番組、ってのはみなさんどう扱っておられるのか分かりませんが、僕は、とりあえず深夜に一人で飯を食ったり夕刊読んだりしてると悲しくなるので、BGM的に使ってます。で、面白い番組があったら見る、と。あるいは好きなタレントが出てたら見る、と。そんなですから、教育テレビの再放送番組(「○年生のさんすう」、とか)を見てたりもしました。完全に電気の無駄遣いですね。 まあ、そんなこんなですから、「○○という番組は△曜日の□時から」ということは一切分かりません。とりあえず深夜に帰宅してテレビつけて、ザッピングしつつ見るだけですから。 しかしまあ、何曜日の何時からかはわからないまでも、だいたい見る番組は決まってきます。その中の一つがヘビメタさんでした。結局あれは火曜の深夜に放映されていたんじゃないかと思うのですが、それが分かるまでに数ヶ月を要したので、序盤は結構見逃してました(他の局の番組をボーっと眺めてたりしたため)。 ヘビメタさん、何がいいって、マーティーみたいな大物を使いつつ、深夜番組らしいデレデレ感をしっかり維持しているところです。まあ、マーティー自体がそんな雰囲気持ってますが。熊田曜子みたいなどうでもいい人(音楽的に、ですよ、誤解なきよう。この人そんなに嫌いじゃないし)を無駄に使ってるあたりが最高です。 で、やっぱりマーティーってなんか格好いいんですね。これは理屈でなく。僕はギターとか全然分かりませんが(分からずに「北島がいい」とか言ってるあたりがダメダメですね)、なんとなく、どことなくやっぱりいいんです。多分、「こいつはマーティー・フリードマンっていう大物で、メガデスにいたんだぞ」って分かってることからくる先入観だと思うんですが、もしかしたらそういう次元を超えた、本能的なものなのかもしれません。多分、十中八九前者ですが。 まあとにかくですね、マーティーを生で見たい、生でマーティーのギター聞きたい、と思ったのです。一応前年のライブでも聞いてたんだけどね。その辺も前年のライブレポにあるかと思いますが。でも、ヘビメタさん見て、「やっぱり(←何がやっぱりなのかはいまいち分からないんだけど)マーティーいいわぁ」とか思っちゃったわけです。
ま、そんなこんなでライブに行くことが決まりましたとさ。 んで、昼に所持金を確認したところ、チケット代を持ってなかったので、銀行で金をおろして、17時の授業終了とともに、外出。 開場は18時でしたが、それには間に合わず(まあ18時きっかりにはあいてないんでしょうが、織田さんみたいなことにはなってないでしょう)。バスの時間的に無理だと分かってたので(だからこそ安心して当日券でいいやと思った、ってのもある)、まあそれはよし。 AXの当日券販売所は、入口の左手にあります。で、そこで「大人1枚」と言って、財布を開けると…あれ!?ない。金がない。6000円しか見つかりません。人間、錯乱状態になると思考能力が幼児レベルまで退化する、とかなんとか言ったような言わなかったような記憶がありますが、もうまさにそんな感じ。何と言って窓口を去ったか忘れましたが、とにかく窓口を離れました。ああ恥ずかしい。 で、急いで最寄りのコンビニなりなんなりに駆け込もうと思って財布を覗くと…今日ATMでおろした新札が紙の間に挟まっていました(NPの財布はお札コーナーにも、小銭コーナーにも、色々なカードやら何やらが突っ込まれています。あれだけがさつな高2チーフに思いっきり馬鹿にされた記憶がふと蘇りました。あれって、たまたま電源のあるマックを求めて代々木に行ったとき、たまたま彼も訪れたんだよな。4年の夏学期のアサカの試験前のことでした。ほんと、偶然って怖いですね)。 顔を真っ赤にしつつ(確認したわけではないですが)、反転して再び窓口へ。窓口の方はいったい何なんだこいつ、と思ったことでしょう。
まあとにかく無事チケットを購入して入場。 これはコラムでもブーたれたことですが、今の相川にAXは広すぎますね。まあ、お前に言われたくないだろ、ってことも確かコラムにしましたっけね。でもまあ、結果的には、ハコが大きすぎたことを感じさせない、熱気のこもったライブだったと思います。これはコラムに書かなかった気がするけど。ハコが大きすぎたから実際に問題があったわけではなかったんだったら、まあハコが大きすぎてもいいのかな、とは思います。予算の問題は知らんけどさ。 う〜んと、何を書き残してたのかちょっと思い出せないですが…。 まず、やっぱり織田さんがらみの話に反応してしまうので。相川のマイクスタンド、織田さんのやつを相川さんの身長に合わせて切ったヤツらしいです。それをずっと使ってるんだそうで。ぼろいから一度塗り直したらしいですが。「ものは大事に、環境に優しく」という話ではなく、まあマイクスタンドってこだわりあるものなんだなあ、と、素直に驚いたというのが僕の感想。音楽業界の中では当たり前なのかもしれませんが、個人的には結構びっくりでありました。 そして、CDのお話。確か今年の前半の前半(最初の四半期)にバラードアルバムを出してたんじゃなかったかと思いますが、これは買ってません。単に貧乏だから、ってのが理由なんですが、やっぱりロックアルバムを買いたいよね、ってことです(買ってないくせになにゆえ「バラードアルバム」と断言できるのか、という突っ込みに対しては、すいません、と謝ることしかできません)。いやですね、ここ最近、というか1年くらい、相川さんと田村さんの器の大きさの違いを結構感じてたんですよ。もちろん、器の大きさだけの問題ではなく、形の問題とかもあるんで、単純に比較はできないんですがね。でも、田村さん(もちろんパールを含む)のいろいろなCDを聞いてると、なんつーか、「すげぇな、この人」と思う場面が結構あるんです。それがあまり無いんですね、特に最近の相川さんについては。もちろん、相川さんとて僕に評価されようがされまいが知ったことではないと思うんですが。 以前、モンテ氏が、プリンセスプリンセスを指して、「日本で(男のプロデューサー等の操り人形としてでなく)女性が主導した数少ないバンド」と高く評価していたんですが(詳しいコメントは完全に忘れましたが)、パールってバンドもやっぱりその希有な例の一つなんですね。んで、相川バンドはその域に達することができるのかできないのか。現状では何ともいえませんが、とにかく、そういう域を目指して欲しいな、と思うわけです。 で、ライブにて、「最強バンドでロックアルバムを作る」と相川さんが宣言したとき、当然のことながら会場は盛り上がりました。この盛り上がりは、単に「アルバムが出る」ということに対する盛り上がりなんではなく、「ロックアルバムが出る」ことに対する盛り上がりなんだ、と、個人的には思いたいです。別に相川さんがどういう方向性でアルバム出そうが個人の勝手なんですが、やっぱりファンはロックを求めてるんだ、と思うんですね。バラードだと歌唱力的にもボロが出るし(君が代の事例を出すまでもなく。もちろん、聞けないレベルではないと思いますよ、普通なら)。 まあそういうことで、R.U.O.K.!?は買います。はい。おおいに期待して買います。期待はずれだったら今後相川のCD買うのやめるかもしれません。
さて。相川さんもデビュー10周年だそうでございます。思えば遠くにきたもんだ。まあ、僕が相川のCDを買うようになったのはトラブルメイカーからなので(Redとの購入時期の先後はちょっと不明確。まあ、最初に買ったシングルがトラブルメイカーだ、ってことで)、僕にとってはまだ10年経ってないといえば経ってないのですが、まあデビュー曲とかもあっちこっちで流れてるのをお聞いていたので、一応10年ってことでいいでしょう。
10年ですよ、しかし。早いですね。ライスシャワーの2度目の天皇賞から、そして、あの宝塚からも10年ですよ。来年はナムラコクオーのプロキオンSから10年ってことになりますね。いやはや。早いの何のって。一体、あれから僕はどれだけ成長したんでしょうか。 「NP君って18の時からあまり変わってなさそうだよね」と、先日ある人に言われまして。まあ確かにそんな気が自分でもします。周りの人はどう思ってるか分かりませんが。一体、18の時から、25まで、僕はどんだけ成長したんでしょうか。個人的には、12・3〜18にかけて(ようするに中学高校時代)は結構、というかかなり成長したんじゃないか、と思ってます。いい意味でも悪い意味でも。なんつーか、大学生活はその余波・貯金・流れで過ごした、というイメージが強いです。このことは、大学4年の時にも当時同じゼミにいた学士入学の人(僕は浪人してるので、4年になると、いくら留年者が多い学部とはいえ、年上に会う機会が激減します。)に愚痴った記憶があります。その時は、「それが分かってるならまだまだ成長できる」とか言われた記憶があるんですが、あのときからも成長した意識が皆無です。僕はもう熟し切ったのでしょうか。いくつか成長した点を挙げるとすれば、競輪と競艇への理解が深まった、ってことでしょうか。これは成長と呼べるのでしょうか。 スピードワールドにはなりたくないです。
とまあ、内省的な話はさておき。10年、という言葉にさらに付随して、「情熱」という言葉が僕の中でこだましました。言うまでもなく、「情熱に死す」という(ライブ的な意味での)名曲を聞いたからなんですがね。 「情熱」という言葉は大好きな言葉です。「Passion」ではなく、「情熱」です。パッションなんちゃらとかいう芸人もそれほど嫌いではないですが。 「情熱」って言葉はあまり使わない気がします。どうでしょう。僕は、高3の運動会のパンフのチーフコメントの所で、かなり意識して「情熱」という言葉を使いました。なにをどう意識したか、というと、単に好きな言葉を書きたかった、ってだけですが。 とにかく、そういう運動会的な意味を含め、「情熱」って言葉は中学高校時代を思い起こさせます。
10年、ってのが今回のライブの個人的キーワードだったんですが(ライブレポの題名もそんな感じにつけたはず)、それを強調する付随的な言葉として、「情熱」ってのがあったのでした。
ライブ終了後、短冊になにか書くコーナーがありました。貧乏性な僕は、そういうのを見たら参加せずにはいられません。ということで、何を書いたかと思えば「合格祈願」。はい。こんなところに来ないで勉強してなさい、って話ですね。でも、短冊に何か書く、って作業、いったい何年ぶりにしたんだろう…。
さて、この翌週。 この週は、木曜に小テストでした。水曜の国立レイソル戦に行くか行かざるか、迷うところです。 が、この週、大事件が起こりました。そう、エメ退団です。 僕のレプリカには10番が入ってます。これは、それしか無かった(正確に言うと室井選手とかの選択肢もあったんですが)ためにこれにしたんですが、でも、エメが好きだからこそ(市衛とかでなく)これにしたわけです。やっぱり、エメは神です。神だからこそ、合流遅れは個人的には許せなかったんですが…。 そのエメが退団しました。この時点で僕の心は固まってました。いや、正しくは、前の週の国立ヴェルディ戦を切った時点で8割方レイソル戦に行くことは決まってたんですが、8割を10割にしたのはこの事件でした。 そして、エメのレプリカを着るかどうか、これは迷い続けました。そして、国立に行く途中も、着ることをためらってました。国立に入ってからも、最初はためらってました。本気で迷いました。こんなことで迷う前に自分の人生について迷えよ、と思ったりもするんですが。 で、結局着ました。 そして、試合は完敗しました。ゴール裏の雰囲気も最悪でした。つーか、他人に突っかかってる暇があったらもっと試合中に声出せよ…。試合中に全然声出してない方にも問題あるかもしれんけどさ。
翌日の小テストは惨敗。まあ、惨敗しても成績にはそんなに響かないからいいんですが。 問題は、のどです。元に戻りません。翌金曜日もなんか違和感。いつも通りトローチ舐めて応急処置?してたんですが。
違和感の消えないまま、日曜日はタモリゼミのOB会。受付の所に先生がいらしたんですが、僕が受付の人(現役)に名簿上の名前示してると、「NP君は今どうしてるの?」と先生が尋ねてきました。 !! ビックリ仰天。先生、僕の名前覚えてたんですか! いやはや。名前覚えるついでに、参加申し込みメールに書いたこと(現在の身分)も覚えてくれててもいいかな、とも思うんですが、それにしても驚きです。あんな40人規模のゼミで、しかも週1回の半期。さらに、先生もそんなにやる気を示してなかったし……何より僕は男です。 まあ、合宿に雀牌持ち込んだ人間として話題をよんでたり、宮城で結構大きな地震があったときにちょうど発表グループで前(先生の横)にいて、いち早く震源と震度情報をゼミに伝えたり(NPはメルマガマニアです)とか、1桁しか来なかった3月の飲みに参加したりとか、なにかと変なところで目立つ行動はとってましたがね。でも、本質的に僕は目立つ人間じゃないしね。 なんにせよ、先生に名前覚えられてて、ちょっと驚いた、というお話でした。 ちなみに、このときのゼミでの僕の発表内容は、ベトナム旅行と結構関係してたんですが、結構関係してることを思い出したのは現地に着いて、ブリーフィングが始まってからでしたとさ。この前、ベトナムの研修報告レポート書いてるときに、気分転換がてら昔のレポート見てましたが、懐かしく感じると同時に、内容の薄さと酷さにがっくりきました。まあ、あの時点の僕の力量考えたらあれ以上のものは作れなかったのかな、と思ったりもするのですが、あの時点の僕の力量はあんなに酷かったのか、と思うと、悲しくなります。 …ベトナムの研修報告レポートはそれに輪をかけて酷いんですが。
------------------ さて、以上を書いたのが2005年の11月〜12月はじめにかけてです。 今は2006年1月です。いったい、これはどこまでを補充する意図で書き始めたのか、既に僕の記憶からはなくなっております。困った困った。まあ、もう少し進めてみたいと思います。 ------------------
え〜っと。そんなこんなで、試験1週間前になりました。 のどの違和感が消えません。たまに咳をするようにもなってきました。こっちもちょっと焦り出します。 この学校は、試験1週間前になると「自習期間」と題して、予習が要求されるような授業は行われなくなります。なにを甘ったれてるんだこの馬鹿たれ!というおしかりを受けそうな気がしますが、まあルールはルールであります。 で、この間、回りに迷惑をかけるのも嫌なので(風邪ひいてなくても、横の人に精神的・騒音的に迷惑かけるので)、ゼミ室に一人こもったりとかしてました。 水曜提出のレポートもしっかり書き上げました。相変わらず直前にでっち上げてるんですがね。ま、Aが来たからよしとします。
そんなこんなで木曜。普通の授業の代わりに質問を受ける形式の授業が行われました。任意出席です。僕はこれにいそいそと出席してたわけですが…どうもやばいのです。何がやばいって、ついに来たのです、寒気が。いい加減、風邪をひいたことを認めざるを得なくなりました。試験に向けて黄信号点滅です。 翌金曜日、最後の授業です。実務系科目は最終週も出席とる授業をやってよい、とのことで、やりやがりました。まあ、それは別にいいんです、体調が万全なら。しかし、こちとら体調不良です。保険センターは13時オープンなんですが、授業も13時からです。行けません。かつての僕ならば授業なんかには目もくれずにサボってたところですが、今の僕は出席点が1点でも惜しい人間です。 授業後に保険センターに駆け込み、4日分の薬を受け取りました。熱は普通に38度くらいだったと思います。この期間、熱はずっとこのくらいでした。まあ、慣れればなんとかなるものです。ほんとに何とかなってたのか、には若干の疑念もありますが。
で、この間の僕の風邪の特徴は、「咳風邪」だったことです。この時期、学校内では結構風邪がはやっていたみたいなんですが、僕ほどゴホゴホやってた人間はそんなにおりませんでした。咳風邪、迷惑きわまりないですね。うるさいし、病原菌ばらまくし。もちろんマスクはしてましたがね。なにより、咳風邪がよくないのは、「風邪をひいていること」を周囲にアピールしてしまうところです。 どこかに書いたと思いますが、僕に風邪の兆候が現われる1週間前、横の人(必修は基本的に全授業座席同一固定)が風邪をひきました。で、その人の具体的な症状は僕の知るところではありませんが、少なくとも咳風邪ではありませんでした。つまり、風邪自体はその人からうつされたわけではない、ってことになります。僕の咳風邪の根本原因はレイソル戦で喉を痛めたことにあるので。 なのですが、まあタイミングが非常に悪いわけです。時系列をたどると、横の人から僕に風邪がうつっているような状況な訳です。
話は飛びます。 これは10月のお話。例によって生活が崩壊している僕は、体調を崩しました。ダメダメです。まあ、自分で体調崩して死んでる分にはなんの問題もありません。問題は、前の席の人が、そのあと、時系列的に見たら僕がうつしたような時期に風邪をひいたことです。これには焦りました。なんでそんなに焦ったか、というと、その人が風邪をひいた時期、某試験の最終試験直前だったのです。実力的には落ちるはずのない人なんですが、「もし落ちたら僕のせいじゃなかろうか」と、まあ小心者なだけあって、ほんとにびくびくしてました。まあ、無事、実力通りの結果になってくれて、こっちも一安心したのですが…。 なんでこの話を書いたか、というと、要するに、「自分が他人に風邪をうつした」こと、というのは結構精神的につらいものがある、ということです。いや、もちろんこれは単に僕が小心者なだけ、ってんならいいんですがね。
話を戻して、横の人の風邪(非咳風邪)と、僕の風邪(レイソル戦に原因がある咳風邪)は別物である、ということをもっと強調しておくべきだったな、ということを、その時になって反省したのでした。まあ、仮に実際にその人にうつされてたとしても、風邪が治るまではうつされたことを否定したでしょうが(他人に余計な心配かけたくないからね)。まあ、治ってしまえばこっちのもので、風邪をうつされたことにしてグチグチ言うだけなんですが。 あと、言うタイミングを逃したのと、改めて言うのはこっ恥ずかしいのと、むこうがどういう意図で送ってきたのか分からないのとで、面と向かっては言ってないんですが、試験の半ばくらいにその横の人から励ましメールをもらいまして、まあ僕はなんだかんだと単純な人間なので(「おせじ」がいかに嬉しいものかは運動会後に痛感しました)、結構それに励まされました。どうせ見てないと思うので、この場を借りて感謝。
さて、そんなこんなで楽しい試験週間を迎えます。熱は38度くらいです。 僕は、見た目を全く気にしないので、試験中は脇の下だけでなくおでこにも冷却シート(冷えピタとか)をつけてました。先生にも何も言われませんでした。それはそれでいいんですが、この冷却シート、つける前にちゃんと汗を拭き取らないと結構剥がれ落ちるんですね。剥がれ落ちかけたものを左手で頭に押しつけておくのも着かれるので、僕は引っぺがして机の上に置いてたんですが、これって一歩間違ったらカンニングに使える/カンニングしてると間違われるよなあ。まあ、うちはカンニングに関しては基準ゆるゆるなので、特に問題ないのですがね。
結局、試験期間中熱は下がることがありませんでした。まあ、いい経験になりました。終ってから考えるに、熱がなかったとして、成績がどれだけ変わったか、というと、まあせいぜいD食らった民実がCになったくらいのものでしょう。むしろ、いい言い訳が出来た、ってなもんです。 そして、お馬鹿な僕は、試験後の打ち上げにも行きました。さすがにオールはしませんでしたが、終電間際までいました。はっきり言って、バカです。そして、21時くらいから、胸の上あたりが痛み始めたのでした。咳き込むと痛むのです。これには結構焦りました。あせってるくせに、飲み会に居座り続けてるあたりがダメダメですが。
週末(試験が終ったのは金曜)。家で寝てました。確か。おかげさまで、体調は結構回復。しかし、痛みはなくなりません。 週が開けて月曜日。病院に行ってみました。まあ、肋骨にひびが入った、とかいうこともなく、普通に筋肉がおかしくなってるだけでした。 で、都合のよいことに、桐生のSGが天候の関係で1日順延されていて、この日が優勝戦でした。体調が回復傾向にあったことに気をよくした僕は、いそいそと片道3時間かけて桐生競艇場に行ったのでした。この辺は昔の日記に書いた記憶があります。いやぁ、ほんと、素晴らしい優勝戦でした。ちなみに、僕が白馬賞に投票したのはこれとは違うレースです。 すばらしいレースだったのはよいのですが、回復傾向にあった体調が再び悪化。正真正銘のバカです。
翌日、お世話になったBさんの事務所訪問、ってことで、学校へ。保険センターでは、3度目の登場に、新しい薬を渡されてしまいました。ついでに、「何とか性喘息」の危険あり、とまで言われてしまいました。……すいません、治りが遅いのは完全に僕の不摂生に原因があるのです…。 事務所訪問の後は懇親会。咳は止まらず、オール組と別れて新橋に向かう頃には、吐くんじゃないかと心配してしまいました。いやはや。
で、まあ上に書いたとおり、風邪と成績にはおそらく因果関係は皆無です。まあそれはよしとして、風邪っぴきで試験を受けたのって、実はこれが初めてなんじゃないかと思うのです。少なくとも、38度オーバー、咳出まくり、マスクに冷えピタ状態で受けたのは初めてです。その意味で、いい経験が出来ましたし、もてる体力の全てを試験時間に投入する(いや、ほんとに投入してたら飲み会行けないだろ、って感じではあるんですが)、ってこともできました。試験後にこれだけの達成感があったのは久々な気がします。 まあ、周囲の方々にはほんと騒音的にも精神的にも迷惑きわまりなかったと思うんですがね。この場を借りて改めてお詫び申し上げます。まあ、周囲の方々も試験本番に近くにうるさい奴がいたときのシミュレーションができてよかったね、ってことで。
それにしても、なんか喉が(気管支が?)弱くなってるんでしょうか、風邪をひくと、咳にきます。12月に風邪ひいたときも咳にきました。このときは別件で喉を酷使した、とかの事情もなかったのです(ちなみに、2005年のサッカー観戦はFC東京@味スタ、横浜FM@日産、柏@国立の3試合)。咳にくると、周囲にも迷惑ですし、こっちもなにかと吐きそうになるので嫌ですね。
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とまあ、こんなところですかね。多分、書いてる本人以外には訳が分からなかったでしょう。全部読んだ人がいたらお疲れ様でした。
そうそう。この日記があったせいで、本編でR.U.O.K!?に触れなかったのでした。 表題曲(偶然見たポップジャムでも歌ってたので、多分扱いとしてはシングルみたいな感じでしょうな)は素晴らしいです。そのほかの曲もいいノリです。歌詞チェックが若干甘くなってる感がなきにしもあらずですが。あと、織田さんがExecutive
Producerからも外れたのって、このアルバムが初めてでしょうかね?前作(例のバラードアルバム)買ってない(レンタルもしてない)ので、分からんのですが。 2月20日のライブに行きたくなりました。行けないんですがね。1月1日だかに発売されたDVD、買いたくなりました。試験が終わったら多分買います。1月はなんとか1日平均300円生活に成功したので(家計簿つけてないから断言できないけど)、金はあります。1月は、とかいいつつまだ1月終わってないんだけどね。
そして、僕が白馬レコ大の最優秀アルバムに投票した、田村さんのCRISIS。これまた素晴らしいアルバムです。相川とこっちと、どっちか選べ、と言われたら、(レコ大でこっちに入れてることからも分かるとおり)こっちを選びます。 先行発売されたサンクスの500円CD(レコ大でノミネートさせた奴です。知らない人も多いでしょうが…。お近くのサンクスに行ったら置いてある、と思うんですが、結構ない店も多いんですよね。どういう基準で置いてるんでしょうか。ちなみに、田村さん以外は知名度低い人たちが多いです。紅白出場経験ある人が混じってるのは、結構異質です)に収録された曲(曲名忘れた)はほんと、いい曲です。そして、味のあるアルバムです。2,3曲目(MDで聞いてるので曲名分からん)は聞けば聞くほどよい感じです。11月23日のライブ行きたかったなあ。
2006/01/27(Fri)
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