ナムラコクオー物語(4歳編・その6)
レース後のコメント
上村騎手
ナリタを見ながらいい位置でレースができたが、少し馬場の悪いところを走らされたからか、勝負処でナリタが動いた時に、ついて行けなかった。距離が少し長かった気もする。
次走へのメモ
ナリタと前後する位置で決して来れない展開ではなかった。4角では余力がなかったように、距離が長かったのかも。
(以上、競馬ブック)
上村騎手
馬は最高に仕上がっていたのに人間の方が…
(サンスポ)
上村騎手
スタートも良かったし理想的な流れだったが馬場がボコボコしていて外に出そうにも出せずじまい。4角辺りで手ごたえがあやしくなったのはやはり距離の壁。
RACE WATCHING
中団より四角。追い上げるも伸び欠く。
(以上、週刊馬)
厳密にはレース直後ではないですが、馬劇場の上村騎手インタビューより抜粋
「予想外のことが起こりすぎて、自分の考えが全く通用しなかった。
あの馬はデビューの頃から手綱を取って、僕が教えたとおりに動ける競走馬になっていました。まだ若い馬だから100点満点とはいえなかったけど、70%までは仕上がっていたんです。あの日は朝の7時に馬場を確かめました。もちろん前の晩はいろいろな状況も考えられる限り考えたんです。ポジションは理想的でした。本当に自信があったんです。でも、ダービーって普通のレースじゃないですよ。考えられないことが、道中で入れ替わり立ち替わり襲ってくるんです。ダービーは甘くないですよ……」
(馬劇場1994年10月号)
で、敗者は一体何を語ればよいのでしょうか。ということで、まあ言い訳がましくレースを振り返りましょう。
もちろん、このコーナーの性質上、敗因を「能力」に求めることは出来ません。いや、別に出来ないってことはないんですが、まあ気分的にそういう結論は避けたいところです。じゃあ騎手に責任をなすりつけてしまえ!というのもまあよく見られる手段ではありますが、しかしまあそれもどうかと思います。
まず、結論から申し上げますと、距離は明らかに長すぎました。
この当時、当然キンググローリアスは日本で産駒が走り始めてまだ間が無いので、今ほどは「早熟・短距離・ダート」三拍子そろった種牡馬、というイメージは無かったように記憶しています(もちろん、競馬始めて間もない頃の記憶なんでいい加減なものですが)。ただ、まあ結局、キンググローリアス産駒としての距離の限界はあったなあ、という感じでしょうか。
キンググローリアス産駒では、後にボールドエンペラーがダービーで2着に突っ込みますが、あれはよく言えば馬の力を100%出すことを考えた、悪く言えば2着狙いの河内騎手の騎乗の賜物でありまして、2番人気で打倒ブライアンを託されていたナムラコクオーがあんなレースをしたら半殺しです。
そして、距離に関して言えば、南井騎手にやられました。3コーナーから動く、というのは言うまでもなくスタミナ勝負です。直線に入るまで仕掛けを待ってくれればそれまで脚をためることが出来ますが、3角で動かれてはたまりません。エアダブリンなんかはそれでもいいかもしれませんが、コクオーには無理です。
さらに、上村騎手のコメントにもあるように、コクオーは他馬との関係で3角でブライアンを追うことが出来ませんでした。南井騎手の狙いすました騎乗といえると思います。逆にいえば、自分から動くことが出来なかったコクオーの弱みがあるといえばあります。それは、レース前に上村騎手が公言していたとされる「ブライアンの前での競馬」が出来なかったことに起因するものですが(どうでもいいですが、僕はこのコメントを知らなかった…)そのへんのレース展開のあやはいかんともし難いものがあり、(少なくとも2400mでは)レース展開のあやに左右される実力しかなかった、と言ってしまうことは可能でしょう。
そういえば、どこで読んだかは忘れましたが、レース前、野村調教師は上村騎手に「掲示板に載れればいい」という内容のことを言い、当然勝ち負けを意識していた上村騎手はその言葉に驚いたそうです。この出来事から、なにをどう読み取ればいいのかは自分でも分かりません。単に上村騎手をリラックスさせるための言葉だったのか、やはり距離の壁、能力の差を感じていたのか。できることならば野村師の騎手時代のクラシック騎乗実績なんかを見てみたいところですが、残念ながらそこまでやる気力が今の僕にはありません…
まあ、ということで、とりあえず、ナムラコクオーVSナリタブライアンの第1ラウンドは終わりました。結果は残念ながらブライアンの圧勝。おそらくコクオーは菊花賞には向かわないので、次の対決はいつになるやら……来年の大阪杯?宝塚記念?天皇賞秋?
そして秋。
ナムラコクオーは案の定矛先を短距離路線に変え、秋の最初のレースはスワンSと決まりました。
…が
これからコクオーは辛く苦しい闇に入っていきます。屈腱炎発症、長期休養へ。
その間、ノーザンポラリスが嵐山Sを日本レコードで圧勝。それを見てショックを受けたナリタブライアンが翌日の京都新聞杯でスターマンに敗れたのは有名ですね。
しかし、そのノーザンポラリスもまた屈腱炎で長期休養。
最大の敵を失い、気が楽になったナリタブライアンは菊花賞を圧勝。余力を残して?古馬との戦いへとコマを進めることになります。
また、コクオーの進むはずだった路線、おそらくスプリンターズSは怪しいので、とりあえずマイルCSですが、は、ノースフライトが圧勝。この年の年度代表馬投票でノースフライトに1票入って物議をかもしたりもしました。2着にサクラバクシンオー、そして、それを追い詰めたのがフジノマッケンオー、ご存知、NHK杯でコクオーに完敗した(まあダービーでは先着されてるけど、あんなの勝負に行った馬とそうでない馬との違いだけ、とここでは言い切らせていただきます。異論は当然あるでしょうが)馬です。
たら・ればは禁物といいますが、たら・ればを言わないと故障続きの馬については語りようがないので、使います。
フジノマッケンオーとナムラコクオーの能力を比較すると(もちろん参考になるのはあくまで4歳春の時点のものですが…)、やっぱりコクオーのほうが上。文句はあるでしょうが、そうしないと話が進まないですし、一応コクオーの力は(距離次第では)ブライアンよりも上である以上、マッケンオーよりは上!
…ってことで、もしコクオーが無事マイルCSにコマを進めていたら、ノースフライトはともかく(個人的な馬の好き嫌い・笑)、バクシンオーについてはとらえることはできたのではなかろうか、という気がしております。
…え〜、ということで、秋については僕の手元に全く情報がありません。関係者のコメントなんかを紹介できるとよかったんですが…
まあ、なにはともあれ、またしても、不戦敗。
ナリタブライアンは適距離1800の天皇賞馬や長期休養明けの天皇賞馬らを相手に有馬記念勝利。年度代表馬に。
フジノマッケンオーは根岸Sの勝利が評価され(時代を感じる…)、最優秀ダート馬に。
こうして、コクオーは古馬になりました。