岸滋彦引退に寄せて
1996年京王杯スプリングC。まさか、まさかの出来事が起こっていました。ナムラコクオーの鞍上に岸騎手。そして、主戦であり、前走プロキオンSでコクオーを勝利に導いた上村騎手は、ライバル馬(アドマイヤゲイル)の上に。
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これが僕と岸騎手の出会いでした。
結局、この乗り替わりはたいして話題にもならず、コクオーはこのレース、直線に向いて見事なカメラ目線で失速。やはり芝はダメなのか…
結局、上村騎手がアイルランドに行くことを考え、そして、コクオーの将来(おそらくは近い将来として安田記念)を考え、岸騎手を本番前に一回乗せておこう、という意図があったのではないかと思うのでありますが、これはあくまで個人的な意見。野村師に聞けば分かると思いますが、残念ながらつてはございません。
それはともかく、この京王杯と次のかしわ記念でコクオーの手綱をとることになった岸騎手、もちろんG1ジョッキーとして、なによりサンドピアリスやらダイタクヘリオスやらまあたいした癖馬でのG1勝利を重ねてきた騎手として、岸騎手の名は当然知っておりました。が、僕が岸騎手を本格的に応援するようになったのはこのときからでした。
このころ、つまりは1996年は、結果的に見ればすでに岸騎手はピークを大きくすぎており、とはいえコクオーへの騎乗依頼がきたことからも分かるとおり、G1での経験も実績もある立派な中堅騎手でありました。そして、そんな岸騎手はとても応援しがいのある騎手でありました。
なにより、穴騎手です。もうたまりません。僕が関東にいる以上、その恩恵には結局一度もあずかることができませんでしたが、月曜日にファンファーレ(休刊後はブック)を眺め、岸騎手の成績を追っかける作業はそりゃまあ楽しい作業でした。
そんなこんなで、下り坂、このときはまだゆる〜い下り坂ではありましたが、下り坂にいた岸騎手。岸騎手に再び上り坂がやってくることはありませんでした。
負傷、交通事故、落馬負傷。
もう下り坂を絵にかいたような下り坂。
ミカダンディーとのコンビを見に行ったスプリングS。レース後、よっぽどウイナーズサークルのところから岸騎手に向かってなにか叫ぼうかと思いましたが、結局やめてしまいました。(そういえばその直後ノーザンポラリスのレコードが消えたんだよなあ)
「あの」浜田厩舎からの騎乗依頼がきて(除外)喜んだことも今となっては懐かしい思い出です。
なんつーか、競馬っていう世界は、いや、競馬に限らないですが、基本的には上り坂にいる人や馬にスポットがあたります。優勝劣敗の競技である以上それが当然。
そんななか、典型的な下り坂人間をこうして見ることができて、ある意味で僕は非常に楽しかったです。いや、岸騎手には失礼極まりない表現ですが。
もちろん、下り坂とはいえ、いきなり死というどん底に叩き落された岡騎手に比べれば十二分に幸せな騎手生活でした。
ですが、どこかで歯車が狂っていなければ、おそらく今でもリーディング上位でG1を勝ちまくっていたと思います。
昨年引退した塩村騎手同様、G1ジョッキーが、こうしてあまり話題にもならずひっそりと消えていく様は、なんともいえずさびしいものです。
ダイタクヘリオスで、エイシンサニーで苦渋を飲ませてきた河内騎手とともに引退。かたや2000勝ジョッキーで調教師への道も確約。かたや話題にもならない引退。光と影をくっきりと表したこの2人の名ジョッキーの引退が、これまた失礼ながら競馬の面白さだなあ、とも感じていたりもします。
今後は調教助手となって、さらには調教師を目指すそうです。上り坂も下り坂も経験した岸騎手が、調教助手として、そして調教師として、どういう馬を、どういう人間を育てていくのか、非常に楽しみです。
そして、岸騎手が引退する2月23日(騎乗馬はないですが…)、高知では僕が岸騎手を応援するきっかけになったナムラコクオーが走ります。岸騎手がコクオーに対してどういう思いを抱いているのか、数多くの重賞馬の中の1頭か、それとも特別な馬なのか、は分かりませんが、当時はまさかこんな2003年を迎えると思っていなかった岸騎手とコクオーが、これからどういう道を歩んでいくのかなあ、と考えながら、これからも競馬を楽しみたいなあ、と思うのであります。
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