小倉若松探訪記2009(若松編)
小倉競馬を堪能し(自分の記録を読む限り,馬券的には全く堪能できていなかったようですが),続いて若松競艇場に向かいます。
若松競艇場への行き方はいろいろありますが,せっかくなので若戸渡船という渡し船を使って乗り込んで見ることにしました。
若戸渡船を使うのはいいのですが,若松競艇場行きのバスとこの渡し船をどう結びつけるか,地縁がないと出てくるバス停名がさっぱり分からないので困りものです。様々な調査の結果,大橋通バス停から乗り込むのが正解であると判断しました(実際,多分これが正解だったと思う)。
そんなわけで,わざわざ小倉駅から電車で戸畑駅へ。
戸畑駅は駅前にSATYのある,いかにもな地方中堅中心駅であります。
戸畑駅 | 駅からまっすぐ前に 橋が見えます |
裏にはSATY | 皇太子殿下(大正天皇) 御乗船地碑 |
碑が2つあるのはなんでなんでしょう? | 戸畑恵美須神社 |
駅からまっすぐ歩くと,渡船場乗り場に到着します。
乗り場には誰もおらず,自動券売機が2つ。旅行者的にはこういう無機質な,それでいて味わいのある待合室ってのはなんとなく嬉しくなります。現地の人的にも面倒なことがなくていいんじゃないかと思われます。
橋脚のたもとに渡船待合室 偶然だけど,2枚の写真の橋が1本に繋がってちょっと嬉しい |
券売機 | 待合室 | 桟橋へ |
そのまま船に乗り込みます。こういう短距離の渡し船っていうと,ほかに日野の駒形の渡し船と音戸渡船くらいしか乗ったことがありません。どれも事故無く存続していってほしいものであります。
自転車も運びます | 船から若戸大橋を見上げる | 船内ではテレビが流れています |
そんなわけで,渡し船は若松に到着。短い時間(公式設定は3分。戸畑でカップラーメンにお湯を注いだら若松で食べられます)ではありましたが,船の上で風を感じるのって気持ちいいですよね。
船は次の客を乗せて,また戸畑に戻ります | 若松側から見る若戸大橋 | 桟橋 | ||
若松側の待合室 | 競艇の案内あり | 渡船場 |
待合室内には,競艇の広告もありました。日程が書かれているだけで,競艇場の場所も,最寄りのバス停も書かれていませんが……。どっちかというと,「広告費」を使って公式に競艇のお金を渡船に回すことが目的なのかもしれないですね。
さて,競艇場へのバス停を確認するのに精一杯で,この若松という街について事前知識が全くありませんでした。
渡船場から洞海湾沿いに並ぶ建物を見ていると,どうみても明治〜大正期につくられたであろう,なんとなく歴史を感じさせる洋風建築が並んでおります。
いろいろな話を総合すると,このあたりは石炭産業華やかりしころ,福岡の内陸部で採掘された石炭をここから船で積み出していたようであります。てっきりここで石炭を荷揚げして八幡製鉄所あたりに持って行ってたのかと思ったら,逆なんですね。
そんなわけで,写真を撮りつつ,若松を散策。
なにかと英語の解説があるのが印象的です。さすが港町というか,さすが大陸が近い街というか。海外に開かれた街なんでしょうな。
正直,若松港について全く事前知識がなかったので,こういう歴史を感じさせる建物や施設が並んでいてびっくりでありました。なんにせよ,若戸渡船に乗らなかったらここをとおることもなかったわけで,やっぱりこういう寄り道は楽しいですね。
そんなわけで,目指すは大橋通バス停。案外簡単に見つかりました。バスが時刻表より遅れてきたので,「もしかしたらこのバス停にはバスがこないのではないか!?」とひやひやしましたが。
そんなわけで,若松競艇場に到着であります!
大橋通バス停 | 若松競艇 | 入口 |
このころはあまり競艇場内の写真を撮ってなかったので写真は少ないです。
とりあえず,若松と言えばひびきのホルモン!行列が出来ております。この日はオーシャンC優勝戦だった,ってのもありますが,おそらく普段から並んでいると思われます。その他,健康に悪そうな食べ物をつまみまくります。
ところで,若松競艇のナイターは「パイナップルナイター」と呼ばれておりますが,なんでパイナップルなのでしょうか?
よく分からんけど,とりあえずパイン | 昼 | 夜 | 夜の水面 水があまりきれいじゃないな |
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行列の出来るお店 | ホルモン3本 | 3つ合計するとカロリーはどうなるのだろうか…… |
さて,この日はオーシャンカップ優勝戦でした。まーったく記憶になかったのですが,自分の記録をほじくりかえしてみると,どうも優勝戦を的中させて,競艇だけなら(小倉競馬の負けを回収しきれていないけど)プラス回収になっているのであります。ううむ,全く記憶にないぞ。どうも菊池→浜野谷の2連単1点的中のようであります。確かに自分なら買いうる舟券だな。それにしても,我ながらびっくりです(当てたことも,優勝戦を1点的中させてるのに記憶がないことも)。当時の日記を読み返すと,1日分の負けを回収できてないのであまり記憶に残ってないっぽいな。我ながら贅沢なことを言ってやがる。どうも,浜野谷が「ピンロク勝負」宣言をしつつチョイ差しして2着を確保したようです。うむ,さすが浜野谷。
で,優勝戦後には花火が上がりました。NPにとって花火といえばレース場で見るものなのであります。
さて,表彰式には行かず,小倉行きのバスに乗り込みます。小倉→松山フェリーに乗るためであります。
このあと,おそらく10回程度は乗ったであろう小倉松山フェリーですが,このときが初乗船でありました。これすなわち,物心ついてから夜行フェリーに乗るのが初めてであることを意味します(物心つく前も多分乗ったことはない)。このドキドキの展開にもかかわらず,時間は結構タイト。若松はそれなりに早くバスを出発させたようですが(記憶にないので多分いらついていない),大村や芦屋のような感じだったら危なかったんだろうな。
ぶれたけど,バス | 動く歩道を進む | 小倉駅方向 | 乗り場の案内板 | 待合所 | |
乗船を待つフェリー | 待合所内部 | 近くから | 夜の甲板って怖いけどなにかいい雰囲気 | 関門海峡大橋 |
この小倉松山フェリーその他関西汽船のさんふらわあについては,感謝の気持ちも込めて別の記事を書きたいと思っているのですが,思い始めてから1年以上経過しているので,どうなるかはお察しください……。
そんなわけで,小倉若松探訪終了。
そういえば,この年古村敏比古さんがTottototottooto-Chaというアルバムを出し,広島JIVEのライブでそれを聞いていたのですが,小倉と無縁の生活をしているのに,出てくる地名が分かってしまってちょっと幸せになれたのでした。世の中,何がどこでどう結びつくか分かりませんね。やはり旅打ちはしておくに限ります。