ビッグウィーク
2010年11月、当時私は愛媛に住んでおりました。そして、大学時代の友人が神戸で結婚式を挙げるということで、私も神戸に向かうことにしました。
これを書いているのは2024年4月です。もう13.5年も前のことです。ここまでの記憶はあります。
問題は、何故か私が愛知経由で神戸に向かっていること。なぜ愛媛から神戸に向かうのに愛知を経由するのか。時空がゆがんでいるのでしょうか。全く記憶にありません。
記憶にあるのは、私が愛知→常滑→一宮と向かったことと、おかげで一宮競輪場に行く機会を持てたことです。あとで写真を見ると、常滑→一宮ではなく、常滑→蒲郡→一宮と、愛知〜岐阜の中でも無駄行動をしていますね。おかげで改装前の蒲郡に行けてたわけだけど。
もう1つの問題は、残された写真が少ないこと。常滑に関しては暑くてばててたのは記憶にあるんだけど、蒲郡の写真が少なすぎないか。まあ、当時はまだスマホも普及しきっておらず、競艇場内で嬉しそうに写真を撮るのがキツかったんだろうと思います。せっかく快走前の蒲郡に行ってたのに、残された写真が少ないのは残念至極であります。
それはそれとして、自分の記憶を喚起するためにも、とりあえず写真を見て思い出しながら旅行記を書きます。書かないと、このとき行った城がどこだったのか完全に記憶からぶっ飛んでしまう。
てなわけで、早朝に夜行バスで名古屋近辺に着いています。どこから出発したのか、さっぱり記憶になかったんですが、とりあえず早朝に名古屋まわりに着いています。
ちょうどこの直前の2010年11月10日、名古屋グランパスがJリーグで初優勝しておりまして(ゲキサカ)、名鉄では優勝記念セールもやってたようです。まあ、名古屋はグランパスよりもドラゴンズの方が人気でしょうから、まあそこそこ、という感じの雰囲気でしょう。いずれにしても、まだデパートが開く時間ではないので静かです。
そして、ここからの移動過程が若干謎で、というか、自分が残した写真が謎です。午前7時14分〜18分にかけて、太田川駅の写真が並びます。撮ってる構図自体は自分が好きそうな構図でこのへんは成長がないな、と納得なんですが、なぜ私は太田川駅の外観を撮っているのか。太田川で乗り換えたのであろうことは分かるんだけれど、なぜ改札外に出たのか謎です。
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太田川駅の線路をまたいでる写真
自分が好きな構図 |
太田川駅外観
なぜ自分は外にいる |
ご当地缶コーヒー |
太田川駅 |
細かいことは気にせず、次の写真を見ますと、無事目的地に到着しています。大草城の最寄り駅は大野町か新舞子になるんですが(舞子って兵庫県になかったっけ)、駅の様子を見る限り、大野町ですね。普段撮ってる(太田川でも撮ってる)駅名表示をなぜこのとき撮らなかったのかは不明です。
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大野町駅 |
踏切から |
この当時の自分の趣味と、夜行バスで早朝に着いた時間的余裕がセットになった様子で、通りがかった神社仏閣にはほぼ各駅停車で立ち寄っている様子が出てきます。
まずは駅の北東にある風宮神社と稲荷神社。
そして、その北にある小倉神社。
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稲荷神社 |
風宮神社 |
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小倉神社 |
吽 |
阿 |
拝殿 |
拝殿にポストがついてた |
ちょっと歩いて慈光寺。大草城跡の西側にはこの慈光寺、東側には地蔵寺。お寺が密集している当たり、大草城が放棄されたとはいえまだまだ寺町自体は残されていたのでしょうかね。
ここは知多四国69番。もちろん私には知多四国霊場をまわる気力も根気もありませんが、見たところまだ元気な霊場のようです。
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卍の文字が目立つ |
山門 |
境内 |
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本堂 |
二本の椎
日本の四位ではありません |
大草城を見上げる |
続いて、大草御嶽山宝栄教会と大草御嶽山心願講支部。こういうのにもちゃんと立ち寄ってた時期でした。こちらも城の麓にあります。御嶽信仰についてはまったく詳しくないのでこれ以上コメント出来ません。
あまり奥まで立ち入ってないので彫られた文字を確認してないのですが、どなたの石像でしょうかね?
そして、ようやく大草城に登城。
南側から入ると、一応左に折れる形で虎口的な雰囲気になっており、ちょっと期待が高まりますが、すぐに本丸に到達し、模擬天守がお出迎えしてくれます。そして、そこには一応案内板もあり、縄張りも描かれております。これは助かる。
縄張り図によると、かつては本丸を囲むように堀があったと思われるのですが……今ちょっと検索してみたところ、どうも私が行った2010年時点と最近(2023年に行かれた方の写真がこちらにあります)とで、縄張り図に変化があります。すなわち、南西側の堀がなかったことになっているように見えるのであります。もしかしたら単に赤く囲ったペンキなりシールなりが劣化あるいは剥離しただけの可能性もありますが、もしかしたら直近の調査によると、南西側には堀はなかったのかもしれません。
本丸の東側はグラウンドになっております。まあ、平坦な場所には特に用事もありません。
そして、早朝にもかかわらず模擬天守内に立ち入ってもOKな仕様です。浮浪者とかはいない平和な街なのではないかと思います。なかにはトイレまである便利仕様。というか、どっちかというとトイレ代わりに模擬天守をおいた、というべきなのかもしれない。
ちなみに、南南東方向には大野城が見えるようなのですが、なぜか当時の私はそっち方向の写真を全く残していません。ちょっと我ながら理解不能。
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中には入れました |
トイレ |
外にも出られます |
展望コーナー |
北方向 |
西方向 |
本丸を見下ろす |
さて、天守を出て、そのまま通路に沿って北方向に抜けます。北側には二の丸があるので、本丸から二の丸に向かう流れです。
本丸北側にはしっかりした土塁がありますね。かつては本丸と二の丸のあいだにも堀があったようですが、今は空堀。
問題はこのあと。私の写真を見ても、いったいどこを撮ったのかサッパリ分かりません。我ながら酷い。とりあえず水堀に興味があったことは伝わってくるんですが、いくらなんでも酷くないか。こんな写真撮るなら記憶があるうちに旅行記書いとけよ。
一応、Google Map城に写真情報をあげていただいた方のおかげで、おそらく二の丸の東側の堀から外に抜け出たのではないか、と思われます。自分の性格を考えるともう少し二の丸に興味を向けそうですが、よく分からないですね。
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南側虎口の土塁 |
あらためて模擬天守 |
北へ |
北側から模擬天守 |
北側から本丸 |
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本丸北側の土塁 |
二之丸へ向かう |
二之丸虎口の土塁 |
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本丸と二之丸の間の空堀 |
多分二の丸 |
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東側へとおりる道だと思う |
これがどこか不明 |
水堀 |
土塁の上からと下から |
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水堀 |
土塁を見上げる |
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とまあ、自分に文句を言っても始まりません。あらためて(見にくい)写真を見ても、土塁がかなり大規模であったことは分かります。もうちょっとしっかり見直してみたい城ですね。
続いて、津島神社。そして、地蔵寺。こちらは新聞記事によると、ご本尊の地蔵仏よりも、井戸から救われたお地蔵様の方が人気があるとのことです。まあ、井戸から救い出されたとか、目やハンセン病などに効果があったとかの効能の問題はあるとは思うのだけれど、やっぱり秘仏よりも目に見えて触れるお地蔵様の方が親しみがわいてしまうのではないでしょうか。
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津島神社 |
吽 |
阿 |
拝殿 |
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地蔵寺 |
境内 |
大日如来 |
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大師堂 |
本堂 |
地蔵堂脇の千体地蔵 |
裏手の水子地蔵 |
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井戸から上がったお地蔵さん |
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そこから南に、大野城に向けて歩きます。道中、小倉天神社にも立ち寄ったようですね。
そして、ようやく大野城が見えてきました。こちらも小高い丘の上に模擬天守という構造。大草城に似てますね。どちらも織田長益が築城したからでしょうか。
そして。こちらも大草城にも負けず、自分の写真がいったいどこを撮っているのかさっぱり分からない。本当に、我ながら酷い。ほかのサイトを見た結果、本丸背後の堀に注目していたのではないかと推測されます。
それにしても、ほかのサイトを見て状況確認するなら、最初から自分のサイトいらんだろ。ほんとなにやってんだ。
ちなみに、本丸櫓台にあるのが佐治神社。この佐治さんとは、佐治一成のことでありまして、お江が嫁いだお方です。というわけで、当然某大河ドラマでは注目されることになるわけですが、あの某大河ドラマは2011年放映。つまり、私が訪れた当時はまだ「大河ドラマに出てきた人縁の神社」ではなかったのであります。
なお、私は某大河ドラマはかなり初期に脱落しており、また、後日DVDを買うなり借りるなりして見ることもしてませんので、佐治さんが某大河ドラマにおいてどのような役割を果たしたのかは知りません。Wikipediaを見る限り、平岳大さんが配役についているようなので、それなりに大事に扱われたのではないかと思われます。
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公園案内図 |
冠木門 |
大野佐治氏の歴史 |
模擬天守 |
スタンプラリーやってるようです |
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地形図 |
展望台からの眺め |
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本丸櫓台方向 |
模擬天守と冠木門 |
海を見下ろす鳥居 |
櫓台 |
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佐治神社 |
大野城趾碑 |
多分本丸裏手 |
模擬天守を見上げる |
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本丸裏手の堀 |
土塁っぽいもの |
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このあとの私の写真は唐突な時刻表のみで、駅舎やホームすら撮ってないのですが、各停しか止まってない時刻表であることから、おそらくは大野町駅ではなく、西ノ口駅に向かったのだと思います。
というわけで、常滑へ。
常滑をとことこ歩く
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