唐津にチャレンジその3

藩校中門 唐破風

 と,いうわけで,天守閣に向かって歩きます。

 まずは旧唐津藩藩校中門。
 門を保存してその周辺の壁も当時っぽい雰囲気(漆喰っぽい壁を見ると無条件で「当時」(注:具体的に「当時」というのが何年頃なのかは全く分かってない)のものだと思ってしまうあたりが日本人=忍者な人と変わりがないですね)にしてるのはよいのですが,この状態からなにか変化はありうるんでしょうか?なんかこれだけだと寂しいですよね…。辰巳櫓もこんな感じでとりあえず残されてましたが…。もともとこの場所にあったわけではないようなので,ありがちにどこかのお寺に移築される日が来たりするんでしょうか。

 そして,観光地図に「西ノ門館」の案内があったので寄ってみると,唐津焼の販売のほか,曳山の修理場がありました。残念ながら?修理中の曳山はありませんでした(展示場に全部いたんだからあたりまえですね)。

埋門小路

 その後,埋門小路へ。石垣の脇の小道を進みます。
 石垣がまっすぐ伸びていて,雰囲気のある道です。が,明らかに石垣の外側を歩いているわけで,この小路は一体当時(注:前同)はどうなっていたのでしょうか。頭の中にクエスチョンマークが浮かんだまま歩きます。

 歩いていると,右手に旧高取邸。時間があれば立ち寄ってもよかったのですが,このあとにSGが待ってるので無視して直進。

 さらに進むと川。どうも川ではなくお堀だったようで,立て看板によると「二ノ門外堀」とのことです。あわせて「北ノ門」がここにあったと書かれているのでありますが,イマイチ北ノ門がどこにあってどういう役割を果たしていたのか,看板にある古地図からは分かりません。……!!古地図!?
 はい,お馬鹿NPは,ここにきてようやく,立て看板に古地図がついていたことに気付いたのでした。これに気付かず,さんざん内心で唐津市に文句を垂れていたわけで,文句をいう前に見るべきものをしっかり見ないとね……。あぁお恥ずかしいったらありゃしない。
 で,この看板の地図によると,やはり自分が今歩いていた小路は当時は石垣の外で,下手したら海だったんじゃないでしょうか。くそ〜,もっと早く看板の地図を意識してたら歩き方もまた変わってたのに……。
 まあ,今さらどうしようもないのでありました。とりあえずだんだんと天守閣が近づいてきてるのでそこを目指します。はぁぁ。

看板!! お堀 石垣が続く
角の作り方が違う(石も違うな)のですが,
石垣の成立年代はいつなんでしょうか
天守閣が近づく
花もきれい
ようやく小路も終点


 そんなわけで小路も終点を迎え,階段を上がります。で,天守閣への上り方がよく分からんのですが,エレベーターがあるとのことなので,そっちの方向へ。しかし案外人が少ないなぁ。
 エレベーター乗り場はあっさりと発見できましたが,とりあえずちょっと海の方へ寄り道。海は広いな大きいな。

海側に寄り道
こっち方面はそこまで景色がいいわけではないです


 というわけで,エレベーター。どうも斜め上に進んでいくエレベーターのようです。有料!斜め上に進むエレベーターなんて,もしかしたら人生初かもしれません。別に身体が変な方向に吹っ飛びそうになるわけでもなく,むしろ揺れも小さい感じ。気になったのでネットで見てたら,長崎グラバー園に向かうスカイロードも斜めエレベーターのようです。グラバー園にはこの年の5月に行ってたので,ニアミスはしてたみたいです。
 今,これを書いてる時点でどこのメーカーが作ってるのか妙に気になってしまったのですが,いまさら調べようがないな。文系なのでよく分からんのですが,斜めエレベーター(「斜行エレベーター」という表記が多いな。斜行というとどうしても競馬的な横移動を思い浮かべてしまう)結構特殊な技術を要求されるような気がするので,特定1社が世界的に凄いシェア握ってそうな気がしますが,どうでしょうか。

案内 斜行! 上にあった券売機 本丸からの眺め


 そんなわけで,本丸に乗り込み,さあ天守閣,と思ったら……工事中!!
 これは想定外。まあ,中には入れるんですが,景観的にはちょっとイマイチ。景観がイマイチな模擬天守ってもはや模擬天守の目的を半分くらい失ってるではないですか!というわけで,少しがっくりしつつ模擬天守の目的のもう一つ,博物館+展望台を達成するために天守閣に突入します。

唐津城の碑
こういうのってあちこちにありますが,
実際作ろうと思ったらいくらくらいするんでしょう?
工事中! 旗竿石


 それにしても,こんな立派なコンクリ建築を作るってのはすごいなあ。まあ,こうして立派にコンクリ建築に釣られて唐津にやってくるNPみたいなのがいるから十分にその意義を果たしてるんでしょうが。
 さて,中は当然博物館。古地図をみても何を見ても,やっぱり唐津には天守台はあれど天守閣は存在しなかった様子。天守台を作った目的は分かりませんが,仮に天守閣を造る目的で天守台を作ったのであれば,第2次大戦を経た昭和の日本人(唐津人)が昔の人の目的を代わりに達成したことになります。どうだ徳川,江戸城天守閣は現存しないのに唐津にはあるんだぞ。しかも木造天守なんかよりもよっぽどか堅牢なコンクリ天守です(と書いたはいいものの,寺院とか見るにもしかしたら木造の方が長持ちするのかもしれないな)。火事なんか怖くない。シロアリにも負けない。
 ところで,ここに来るまで存在を知らなかったのですが,唐津城のゆるキャラ「唐ワンくん」が2010年のゆるキャラ投票で2位になったとのこと。で,今(H23.3)ちょっとネットで見てみたんですが,着ぐるみが貧相でびっくりしました。いいのでしょうか,これで。俊敏に動けそうではありますが。1位は当然ひこにゃんなのかと思ったらタボくんというキャラでした。ひこにゃんは殿堂入りしてるのかと思ったら単に携帯の組織票が動いてなかっただけのようです。ゆるキャラも裏舞台は全然緩くないですねぇ。まあ,今(H23.3)のNP一押しゆるキャラは和歌山競輪のわかちゃんなので,唐ワンくんについてはこれ以上触れません。グフフフ〜。

ペーパークラフト
2頭身だとかわいげがあります
本丸エレベーター&売店方向 北側の島々 二ノ丸
現在は学校
二ノ丸の先まで 三ノ丸方向 藤棚 松原方向
海上タクシーが2艇
このまま決着しそうな気配が漂ってますね

競艇場は見えません
城の模型 天守閣の解説 勢いで買った唐ワン君ストラップ

 このお城のもう1つの突っ込みどころが天守閣の説明(上の写真参照)。
 「お城に天守閣を造った殿さまは,それはもう,鼻たかだかでした」とありますが……そもそも唐津城に天守閣を造った殿さまは存在しないだろ,とか,一般論としても本当に「鼻高々」と断言していいのか,とか,鼻高々だったのは殿さまでなく唐津城天守閣建築当時の市長なりなんなりのお偉いさんじゃないのか,とか,まあいろいろ突っ込みたくなります。

 お殿様鼻高々の天守閣。さすが現代に作っただけあって,眺めは抜群です。気持ちよいです。
 が,このあと行くべき場所もあるので,あまり感慨に浸ってるわけにもいきません。退城!
 ところで,この天守内で,かの有名な虹ノ松原の存在意義を議論するご婦人方がおられました。城の位置・市街地の位置からみて,虹ノ松原は暴風の役割を果たしていたのか?別の目的があったのか?という内容でした。なるほど。考えもしなかったのですが,いわれてみれば確かに。なかなか面白い視点です(←なぜ上から目線なのかには突っ込まなくてよいです)。気になったので,本丸内の売店で売られてた本を立ち読みしたところ,田畑の暴風の役割を果たしていたとのこと。ふむ,いわれてみれば確かに。市街地なんかより田畑の方が大事な上に風に弱いな。結局一番弱かったのはNPの頭だった,というお話でした。

もう一度天守 いきなり団子!

 この売店で「いきなり団子」というサツマイモとあんこ入りのお団子を買いました。あとで見たら熊本のガイドブックにこのお団子の紹介がありました。なかなかボリュームがあっておいしいお団子であります。

 というわけで,本丸をあとにします。ここから下っていく道が本来の登城ルートですな。

石垣整備事業の解説 本丸櫓門 ご登城ありがとうございました
工事してなければ…… 藤棚 工事が…… 藤棚から下っていきます もみじ
虎口
その先に藤棚
紅葉を撮ろうとしたけれど,
撮る人間の技術がダメすぎてよく分からない写真になった図
この石垣は当時のまま?
斜面に石垣を築きあげるのはかなり大変そう…
多宝塔
海仙寺が作ったとされております
猫×3 猫in公衆電話 下から天守を見上げる

 ううむ,下っていくとどうしてもスピードが速くなってしまう(競艇場に急がないといけないというのもある)ので,いろいろ見落としがあるかもしれないな。
 しかし,藤棚は凄いしっかりしております。藤の季節に行ったらさぞかし綺麗なのではないでしょうか。
 あと,石垣越しにみる天守はやっぱり雄大ですね。コンクリだろうが模擬だろうが美しいものは美しいのです。いやまあ,昭和期に戦争用途関係なく見栄えがするように作ってるんだからこれでみすぼらしかったら建築時の担当者出てこい,って話になるんでしょうが。

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