島原旅行記 その1

 おはようございます。今日は島原を探索する日です。参考資料として、当時の観光パンフレットを。

   

1 霊丘神社

 まずは霊丘神社。霊丘公園のなかにあります。由緒書きが薄くなっていてもはや読める状態にないのですが、Wikipediaによると、もともとは島原の乱以降に東照宮が勧請され、その後島原藩主の深溝松平家の7代の霊が合祀されたようです。
 公園内にある銅像は植木元太郎氏のもので、Wikipediaによると、この人は初代島原鉄道社長、初代島原市長という、分かりやすい「地元の名士」であるようです。
 摂社だと思われる潜龍園神社については、なにも解説がなく、霊丘神社のWikipediaでもスルーされております。

線路を渡ると霊丘神社 植木元太郎氏 ご由緒
読めません
霊丘神社 潜龍園神社

2 理性院大師堂・弁天宮

 とりあえず、お寺さんに立ち寄りながら散策を続けます。「島原映画案内」という看板がありました。少なくともこれを書いている2023年時点では島原には映画館は無いようで、「八木館」「松竹館」「八木館2」と3館揃っていた時代はいつ頃なのだろう、と昔に思いをはせるのであります。
 なお、Wikipediaによると、島原八木館2の建物が取り壊されたのは2020年であるとのことで、訪問した2011年時点ではまだ建物は存在していたようです。

島原映画案内 大師堂案内 境内正面の山には弁天宮 山からの眺め サクラが咲いております

3 江東寺

 島原の商店街を進むと、右手に江東寺が登場。商店街から見える姿は小さいのですが、由緒書きを見るとまさかの松倉重政&板倉重昌御墓所。
 松倉重政といえば、重税をかけて島原の乱を引き起こした、ザ・悪代官的な藩主として著名です(史実は知りません)。そして板倉重昌といえば、文官板倉勝重の息子にして、島原の乱で突撃して亡くなった武将。信長の野望で、戦闘力が低い奴が突撃して死ぬ、あのシーンを思い出すのであります(史実は知りません)。名前が似てて混乱を招くことでも有名な御両名のお墓がまさか同じお寺にあったとは。
 そして松倉勝家どこ行った。

 さらに。こんな街中のお寺に大きな涅槃仏。予想外のものが出てきてびっくりです。解説によると、日本最大の鉄筋コンクリートづくりの涅槃像で、足の裏に仏足石が描かれたのはこれが最初だとか。
 また、後悔はされていないようですが隠元さんの扁額もあるとか。隠元さんについては前年に長崎興福寺でちょろっとお勉強しました。島原にも来られてたんでしょうね。

商店街から入れます 由来書
正面から撮ったら光で反射したので斜めからも
隠元禅師の扁額「獅子吼」があるとのこと
重要文化財らしいです
参道 山門
境内案内 鐘楼 本堂 観音堂 涅槃仏
解説 松倉重政 板倉重昌

4 宝篋印塔型流死供養塔

 そして、商店街に立っていたのが宝篋印塔型流死供養塔。1792年の津波による死者を弔うため、翌1793年に建立されたようです。
 基本的に街中でお地蔵さんを見かけたら手を合わせるタイプの人間ではありますが、なにせこのときは2011年3月11日からまだ1カ月も経っていないときでありました。あの衝撃的な津波の映像を見せられて、やはりこういう供養塔を見ると手を合わせたくなるのが人間です。
 ……というわけで、何の気なしに手を合わせていたところ、通行されていた方から、なにか思いがあるのか、というかたちで声をかけられました。
 本当に、3月11日の直後だったからという意味合い以上のものを持っているわけではなかったので過大評価を受けてしまい、こちらとしては戸惑って変な対応になってしまいました。かえって悪いことしたな、と10年以上経った今でもこのときのことを覚えているのであります。

宝篋印塔型流死供養塔

5 商店街&六兵衛〜島原城大手門跡

 そんなわけで、商店街を進んでいきます。島原は(さすが雲仙が近いだけあって)湧水、そして温泉の街でありまして、あちこちで湧水や温泉に触れることが出来ます。

案内図 商店街 湧水 島原温泉 洗い場

 そして、一体どこでどうやって見つけたのかは分かりませんが、島原名物の六兵衛を食べたようです。私の記憶は供養塔で止まっており、このろくべえの味は全く覚えておりません。
 当時は若干すすがかった白い壁のお店だったのですが、今Google Mapのストリートビューで見ると、赤い壁に塗り直されておりました。


 あとは平和の女神像。平和とか女神とかよりも、その下にいる馬に気を取られていたことは想像に難くありません。
 また、平成新山の火が保存されておりました。子供ながらに雲仙普賢岳の噴火というのはインパクトがありましたし、3月11日から日も浅いので自然の怖さというものへの畏敬が強かったのであります。

平和の女神 萬乃泉 平成新山の火

 そして、島原城大手門跡地を通過。特になにも遺構はなかったように思います。
 その先に、島原拘置支所の文字が。捕まらないように気をつけないといかんですな。

大手門跡 拘置支所の文字に反応

 さあ、いよいよ島原城が近づいてきました(既に大手門は突破してるんだけど)。

アリアケキング〜長洲多比良有明フェリー島原旅行記その2(島原城)


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