大村に再チャレンジ

 2011年11月,時間があったので大村に再度行くことに。
 旅としては午前5時に小倉港にフェリーで乗り込み,そこからバスで博多天神,博多天神からさらにバスで県営諫早BTへ,という感じであります。その後電車で大村,大村市内でバスとタクシーを使い,最後は飛行機で東京羽田という旅なので,一日で陸海空3種の交通機関制覇ということになります。だからどうした,といわれると辛いので言わないでください。

 前回諫早に行った際には眼鏡橋の方面に行ったので(旅行記はいずれアップしたいが……),今回は前回パスした諫早神社へ。
 諫早のバスターミナルは相変わらず昭和な感じ満々です。九州は天神といい諫早といい大村といい,建物としてのバスターミナルが残ってる場所が多いですね。小倉は違うけど。
 バスターミナルから諫早神社までは徒歩数分。朝のいい運動です。

雰囲気は昭和です 外観

 諫早神社の向かいには飛び石が。どうもドラマ撮影のために仮設されたものを,眼鏡橋のイメージで(←よく分からない)常設にしたとのこと。大雨でも流されないような構造になっているのか,流されてもすぐに誰かが補充するのか,どっちなのでしょうか。
 しかしですね,「足元に気をつけましょう」という看板がありますが,どう考えても子供はここで遊ぶだろうし,夏休みには1日1人以上は水に落とされてるんじゃなかろうか……事故は起こらんのかな。それともこの地域のガキ大将はそういう危険なまねはしないのかな。だとしたら素晴らしい。

説明 飛び石 足元に気をつけて! 本明川というらしい

 そんなわけで,諫早神社。
 大きな楠が並んでいていい感じです。七五三だからか,朝早くから参殿してお参りをしておられる方がいらっしゃいました。

解説 外観 鳥居 手水舎 写真や文献募集中
こういう歴史を大事にする社寺ってよいですね
拝殿 狛犬はこんな感じに
本殿 本殿右手の池
庭園,とまでいえるかは
よく分かりません
なぜか神社に「Webで検索」
とやってほしくない自分がいる
クス群 歴史が育んだ楠
西南の役の碑
佐賀の乱のときはこのへんはどうだったのでしょうか?
摂社。新しそう。

 ここ数年,九州を旅行することが多く,西南の役関係の史跡をよく見かけました。西郷さんの生き方(逝き方)が本当に格好いいなあと思う三十路男なのであります。鹿児島で人気があるのも分かります。
 ただ,場所が長崎だけに,西南の役ではなく佐賀の乱関係の話はないんかな,と思ったりもするのでした。
 当時の日本の雰囲気は自分には知るよしもありませんが,政府軍側として戦った方々も,非政府軍として戦った方々も,いろんな思いで戦ったんだろうなと思うのでした。


 まあ西南戦争に関しては特に勉強をしているわけでもないので,これ以上付け加えることはありません。ちょっといろんな本を読んでみたいな,という思いはあるんですが,これ以上読んでない本を本棚に並べると大変なことになりそうだな……。

 てなわけで,諫早はこれでオシマイ。諫早駅に戻ると,目の前を見覚えのある青い電車が出発していきました。嫌な予感がしたので時刻表を見ると,まさに今,大村に向かうシーサイドライナーが出発したところだったのでした。
 仕方がないので駅のミスタードーナツに入り,新聞を広げます。前回諫早に来たときもミスドに入ったような記憶があるんですが,その確認のためだけに当時の写真やメモを読み返す気力はありません。
 スマートフォンの電池消費の早さは覚悟していたので,ここでJRAの馬券を購入。この日はジャパンカップ。いつも通り人気薄外国馬と日本馬の組み合わせをかいつつ,日本馬ボックスを補充してどっぱずれでした

 さて,しばらくすると電車の時間。大村に向かうシーサイドライナーに乗り込みます。電車は程なく出発し,程なくして大村に到着。それっぽいおじさま方も下車されておりました。
 久しぶりの大村です。前回は歩いて大村城(玖島城)に向かいましたが,今回は趣向を変えて第2次大戦の遺跡を巡る旅に。目の前のタクシー乗り場には目もくれず,正面の観光案内所へ。ここで大村競艇場の無料入場券もゲットできたので収穫あり。

 それはそうとして,大村駅前のバス停の場所が分からず,ちょっと戸惑いました。ふと前を見たらバスターミナルがあったので安心しましたが。あとでバスに乗ったところ,大村駅前バス停は駅を出て右手。まるで競艇場行無料バス停留所のようなちょっと外れた位置にあったのでした。

大村駅 バスターミナル
ホテルを併設してますが,どれくらい入っているのか…
それにしても,ちゃんとSGの幟があるのが大村ですね
ターミナルの中
自動販売機が新しいので平成な感じですが,
他方で「電話コーナー」の案内なんかは非平成ですな

 さて,バスに乗り込んで向かうは防空壕跡地。
 防空壕自体は何カ所も見てますが,ちょっと形が面白そうだったので目指してみました。とりあえず試験場の次で降りてちょっと戻ると,場違いな雰囲気で発見。史跡指定されてるせいでこのスペースは開発できないんでしょうな。

外観
平和です
新しい史跡表示 この危ない表示は小学生に
効果を発揮するのでしょうか
こっちから見ると単なる野山 出入口
コンクリで封鎖されてます ツタが生えてますが,
中はどうなってるのか……
逆側 逆側にも入口 解説板
「平和教育の唯一の遺跡として永久に残し
教訓とすべき場所です」
という解説は最後に必要なんだろうか

 というわけで,写真上は大きかったのでなかも見られたりするのかと思ってたらそうでもなかったのでちょっとがっかりしつつ,それでも完全に土地に同化する姿をみて平和を感じ,次なる目的地へと歩きます。
 歩いていると,グラウンドではラグビーの大会。競艇にも行かずみなさん健全ですな。
 で,歩いている最中,遠くから「こちらは,ボートレース大村です。本日は,いよいよチャレンジカップの最終日です」というアナウンスが聞こえてきました。びっくりして思わず顔を上げて音源を探してしまいました。最初はアナウンスの出所が防災無線かとも思ったのですが,どうも音源が一定ではない+音源は1カ所のみ。もしかして移動車か!?とも思いつつ,まさかそんなことを……いや大村ならあり得るな……などと思い,音源を探しました。が,よく分からず,あきらめて目的地目指して歩き続けました。
 途中,知らない人の史跡化されたお墓を見つつ,異人堂というお菓子屋さんを発見したので寄りました。お土産としてカステラは定番ではありますが,いかんせん切れてないと職場では対応できないので代わりにカステラ饅頭を購入。お茶はおいしくいただきました。
 さて,異人館を出て信号待ちしていると,目の前を大村競艇宣伝カーが通過。慌てて写真をとりました。気になってた音源が分かったのでよしとします。

ラグビー 天正遣欧使節団が大村発だというのは
全然知らなかった
確かに大村純忠=キリシタン大名ではあるんだけど
とりあえず史跡だったので撮ってみた
競艇表記がボートレース表記に
変わるのは何年後か…
かすてら饅頭 発見!
八坂神社。鳥居の背が低い 厳密に計ったら絶対711mではないと思う

 そうこうしつつ胴塚跡を探しても見つからず(八坂神社の近辺にあるはずなんだけど),探すのも時間の無駄なのでパス。首塚跡は道路上に案内が出ていたのですぐに発見。
 まあ,特に歴史的な現存物があるわけではないのだけれど,以前キリスト教家の学校にいたことのある身としてはちょっと気になる(気にしないといけないという強迫観念がどこかにある?)史跡ではあるのです。

首塚跡 その他遺構


 そして,そこからちょっと進むと掩体壕があります。この掩体壕,松山に3つ残っているのに結局1回も見に行かなかったので,かなり心残りだったのです(車を持ってなかったのが最大の原因なのだけど)。で,大村にもあるということで寄ってみました。
 公園の一画にあるということはわかってましたが,到達したらびっくり。公園と完全に一体化してました。てっきり公園の一区画に防空壕のような感じで保存されてるのだと思ったら,まさか子供向けの遊具になって滑り台付きとは。まあ,中世遺産とかならともかく,戦時中の近代遺産をどこまでどういう形で残すかってのは議論のあるところなのでしょう。個人的にこれはなかなかいい残し方だと思った次第。
 しかしですね,とりあえず周りを見てみましたが,解説板もないんですな。

掩体壕や公園管理者ではなく,
鍵の管理者からの警告文なので,
鍵の器物損壊が問題となっているようです
外観
今は物置。滑り台がすばらしい。あまり滑らなそうですが。
一部に穴が空いてますが,これは戦争中にあけられたものでしょうか。
公園の中

 時間も押し迫っているので,近くのスーパーでタクシーを呼んで大村駅へ。

続く


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