ユキノリンリンその3

かわらっこにあった地図
蛍は「ちょーーーーきれーーっ!!!」らしいです
とにかくすげぇーーらしいです。夏に来たいですね

自動販売機の設置会社にこだわっているあたり,
地図を作った人の並々ならぬ思いが伝わってきます
こういう手作り地図っていいですね
かわらっこ


 さらに自転車で進んでいきます。
 途中停車せずに進むと,やはり基本的に下り坂なだけあって気持ちいいですね。夏だと暑くてきついんじゃないかと思いますが。


 さて,そんなわけで気持ちよく集落1つ分自転車をかっ飛ばしていたところ,気付いたら勝間沈下橋を通過していたようです。一応,集落に入ったので沈下橋の案内板が出てないか注意はしてたんですが……。まあ,いいかげん沈下橋も見慣れて飽きてきているところでしたし,体力・時間的に山登りをして勝間まで戻る必要も気力もないので,このままスルー。
 すると,道沿いに「かわらっこ」という幟の立ったドライブインのようなものが現れました。ちょうどおなかも空きかけている頃合いだったので,とりあえず寄り道。簡単な地元商品売り場があり,あとは夏場のカヌー目的の建物のようです。とりあえず昼食を購入して,あとで川べりで食べることにしました。

 さて,→の地図を見たところ,近所に妙林寺文殊堂というのがあるらしいので,桜の季節ではないものの行くことに。到達すると,階段があって急にやる気を失いましたが,気力を振り絞ってのぼっていくことにしました。

 のぼってくと,「妙林寺」の看板(表札)のついたお堂が。そして,左手には朱色の建物。さらに奥には石のの仏像が並んだお堂がありました。
 さて,どれが文殊堂なのでしょうか……。

 このへん,お寺の伽藍配置については日本史で習ったものの,神社ほどの全国統一性はないのでカオスでよいですな。
 そもそも何宗のお寺なのかもよく分かりませんが。

階段をのぼる お寺 本堂? 一応表札 朱色のお堂 石仏


 場合によってはここで昼食をとってもいいかな,とも思っていたのですが,とてもじゃないけどそんな雰囲気では無かったので,拝んで退散。

 さらに下流に進んで,高瀬沈下橋であります。いい加減沈下橋にも慣れてきて,感動が薄れてきているのでした。

水難事故多発!
危険の根拠が具体的で,旅行者的には勉強になります
沈下橋詳細 ぐにゃっと曲がって沈下橋へ 一直線! 下流方向


 ここで,国道に別れをつげてさらに下流に進みます。道はグニャグニャと進み,こうしてやがて三日月湖になっていくんだろうなあ,という感じであります。

 だんだん四万十の風景に慣れてきているのですが,それでもそこそこ綺麗な景色があると止まって写真を撮ってしまい,さらに体力と時間を削る自分の愚かさや……。

適宜撮った写真(疲れてるので撮り方もアップの仕方も雑に・・・)



 それでも,そうこうしているうちに,三里沈下橋の登場であります。「さんり」ではなく「みさと」らしいです。
 ここは自転車でしたまで下っていったのですが,そこそこ下ったのでちょっと泣きそうになっておりました。とはいえ,橋を自転車で渡る勇気もなく(もう雪もやんでるし,雪もすべて溶けてるのに),結局途中に自転車を止めて歩くのでした。

沈下橋 近づく 湖のような風景 対岸 元来た道


 さて,対岸に渡ると,なにやら看板が。この上に,霊験灼かな大師堂があるとのことです。ううむ,怪しさ満点の立て看板ですね。こういうものを見るとテンションが上がります。
 社会,平和発展は帰依かららしいです。なかなか平和への道のりは長いですな。それにしても,看板に文字を書く前に下書きをしなかったのでしょうか。

 というわけで,大師堂到着。見るからに新しい,朱色の建物が異様に目立ちます。大師堂というからには当然大師様がおられます。が,この法師は本当に大師様なのでしょうか。八十八カ所霊場等で見られる大師像と比較すると若くて小さいですね。こっちのほうがリアルだという気もしますが。

 そんなわけで,怪しい大師堂も見られて満足したので,再度三里沈下橋を渡って自転車に戻り,坂を上ります。ひーひー。

怪しさ満点の看板 新しい点を除けば案外まとも 平成18年に奉納された石像 大師堂。招福大師と書かれています
もしかして弘法大師とは一切関係ないのかも
その横にあるトイレ 手前にあった自販機には冷たい飲み物しかなく… 大師堂とは(おそらく)無関係の公衆トイレ
しかし,その上には怪しい看板。
こっちもやはり下書きしてない様子
この「小春日や 母の慈愛の 大師堂」のあとに
書かれた「凍児」の意味が凡人には分かりません
こっち(公衆トイレ)は中に入りました
綺麗なトイレです


 帰りがけに再度沈下橋を撮ってみました。初めて沈下橋を渡る車を見ましたが,器用に渡るもんですな。本当はここで昼ご飯食べようと思ったのですが,思ったより河原に降りる土手が急で,へたれて次に行くことにしました。


三里沈下橋 車が渡ります 戻ってからお別れの写真


 さて,そんなわけで自転車でさらに突き進み,今成橋,通称「佐田の沈下橋」へ。ここは市街地に近いため,観光バスも来ておりました。
 下流に位置しているだけあって川幅も広く,必然的に橋も長くなり,それゆえ橋に2カ所,すれ違い用のスペースがあります。しかしですね,このガードレールもない橋ですれ違えとかいわれても怖くて仕方がありませんな。恐ろしや恐ろしや。

 で,中村市(ATOKに「四万十市」だ,と突っ込まれました。これを書いててようやく中村市というのが存在しないということを知りました。何しに旅行してたんだろうか)の中心部に近いだけあって,ちょっと離れた場所に東屋がありました。なので,ここで昼食タイム。
 というかですね,急に雪が強くなってきたのであります。写真を見比べれば一目瞭然。恐るべし高知。

沈下橋に人と車
たぶんほかの沈下橋よりも幅が広い
今成橋
なぜローマ字表記が「Imanari Chinka-bashi」なのでしょうか。
どこから沈下が!?
案内 まっすぐ! 脇から
河原から 昼食タイム!
魚姿寿司であります。これで400円っていいですね。
最初の写真から20分後にはこんな有様に


 そんなわけで,激しく雪が降る中,下流域であります。
 正直,雨よりも雪の方が自転車をこぐ分には楽ですね。積もらなければ,ですが。

 で,時間的に中村城もあきらめ(簡単にあきらめてしまうあたりが所詮は急造お城マニアなのであります),百笑堤と赤鉄橋(地図を見る限りこれが正式名称なのか?)を見て,市街地に入ります。

百笑堤
どよめきと呼ばれる地域らしいです
堤の説明文としては誤りなのでは
上流方向 下流方向


 市街地に入って,とりあえず駅に直行するのも癪なので,一條神社を目指します。まあ,せっかく鞄に御朱印帳入れて重い思いをしてきたので何もせずに帰るのは悔しい,ってのもあります。

 一条氏,というと,信長の野望的にはあまり,というか,全くいいイメージがないのでありますが,おそらく統治者としての一条氏,室町〜安土桃山を生きた一条氏の評価は信長の野望とは違うところにあるんだと思います。なんにせよ,最後にまた階段……。
 しかし,咲かずの藤や御化粧の井戸など,それなりに見所もあったのでお参りしてよかったです。

鳥居 まっすぐ延びる階段 咲かずの藤
なぜ文久元年にそれまで咲かなかった藤が咲いたのか,
全く解説されていないのでかなり消化不良なのは僕だけでしょうか
冬なので当然咲いていない 御化粧の井戸 手水舎 手水の使い方の案内は誰が作ってるんでしょう?
神社本庁が作ってるのかな?
いずれにせよ,このバージョンは初めてかも
奇岩 天神社由緒書 天神社
一條神社由緒書 拝殿 中村御所「館」跡 愛宕神社 中村開府五百年
国鉄中村戦開通の記念碑


 そんなわけでこの日のサイクリング終了。
 時間的にかなり切羽詰まっていたため,最後はダッシュで自転車を返し,そこからダッシュで中村駅。なんとかセーフ!
 それにしても,冬の雪の日に自転車を返しに来る奴がいるなど想定外だったのか,単にNPが不審者に見えたからなのかなんなのか,かなり奇異な目で見られました。まあ自分が担当者でも奇異な目で見るのでこれは仕方なし。

 特急で高知駅へ。それにしても,最近のアンパンマンのキャラクターの多さには全くついて行けません。

商店街の様子 中村駅 予想外に近代的な時刻案内


 高知では,松山行の高速バスまで時間があるので,汗を流しに駅から一番近そうな銭湯へ。
 愛宕温泉,という名がついていますが,単なる銭湯だと思われます。

愛宕温泉


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