すきよ清須2

 次なる目的地は,近くにある日吉神社であります。豊臣秀吉の日吉丸の由来がここだったりするかもしれないとかなんとか。
 ここにつく頃には雨があがっておりました。よかったよかった。

由緒書 鳥居 太鼓橋 神門 蕃塀
天下随一お申神社
子産石。いわゆる陰石ですね 神馬 手水の龍
なんか前に乗り出してゲーッとしてるように見えるのは気のせいでしょうか…
富士塚…ではないんでしょうが,
いろいろ祀られている塚
神仏習合の跡かな?
入山形ベースの紋 はきだしまいり 多数の摂社末社が
こんな並び 稲荷神社への鳥居
キツネ1対 もう1対
お稲荷さんには詳しくないんですが,このキツネが来てる服はなんなんでしょう?
お稲荷さん
巨大絵馬 拝殿 サルがどっしりと

 ところで,この日吉神社で,参道を遮るように立っている木の衝立のようなものを見ました。
 で,その後訪れた松山神社にも似たようなものがありました。日吉神社は大きな(←明治期の地位がどうのこうのとかはよく分かっていないので,単に有名とかその程度の意味)神社なのでまあこういうものがあってもいいかな,とは思うのですが,松山神社というのは地図上の扱いを見ても,町の中の小さな神社,という感じです。そういう,ローカルな神社にもこの衝立があるってのは,関東人には結構びっくりでした。で,おそらく,愛知のこの辺にしかないのかな,と思い,これを書きながらいろいろと調べてみました。
 そもそも,なんという言葉で検索すればよいのかも分からず,しかも日吉神社のホームページ上にはこいつの解説がありません。苦心の結果,これはどうも「蕃塀」と呼ばれているらしいことが判明。しかも,やはりネットは広いもので,この蕃塀を研究しているサイトもあるようです。いやはや。
 で,別のサイトによると,この蕃塀というのは愛知県北西部に特に多く見られるものらしいです。なるほど。まあ,これらのサイトを見ていると,実はこれまでに行ったことのある熱田神宮や真清田神社なんかにもあったらしいんですが。確かに真清田神社にはあったような遠い記憶があるな……。まあ大きな神社だからスルーしたんだよな。さらに見たら犬山の針綱神社にもあったのか……。これは全く記憶にないぞ。ううむ。

 ところで,一般に,神社の参道の真ん中は神様の通り道だから開けるように,と言われます。この蕃塀は問題ないんでしょうかね?


 日吉神社からさらに歩いて,駅を目指します。
 その途中,神社があったので寄ってみました。松山神社というらしいです。
 松山神社,というからには松が茂る山があるんだろうという推測が成り立つわけで,そのような推測に基づいて拝殿前にそびえる松の木を嬉しそうに撮って帰ったのでした。が……神社名の由来は,ここによると,山神社と松陰神社を併合したものらしいです。なんと。歴史って面白いですね。
 それにしてもこの松山神社,なめてかかってたら蕃塀は立派だし,拝殿右手のろうそくには火がともっているしで,この辺りの氏子さん方の熱心な姿が浮かんできます。

鳥居 松山神社 手水舎
水がない
水がないとなんか不格好
今度は石造りの蕃塀 下の3匹の獣
真ん中は虎?右が獅子で左が狛犬?
ちょっとよく分からんけど,興味深いですね
松に隠れる拝殿 拝殿
住宅街の中の小さな神社だろうと
なめてかかっていたら,
ろうそくに火がついていました
横の鳥居

 さて,時間もないので松山神社を出て須ヶ口駅方向を目指します。
 せっかくなので(時間が無いのに)正覚寺を目指します。

正覚寺脇の一里塚

 時間が無いのに山門が西側にあるとは思わず,無駄にお寺まわりを3/4周するはめになりましたが……。
 とりあえず到達であります。

正覚寺 お地蔵さん 山門 仏足石 お地蔵さん
今川塚供養碑 今川塚の左後ろにあったもの
意味があるのかと思ったら特になさそう
本堂

 解説によると,お墓というよりも供養碑なんですね。
 それにしても,今川義元の供養碑が愛知県北部にあるとは……。ちょっとびっくりだったのでありました。まあ,桶狭間の位置もよく分かってないんですが。
 須ヶ口駅に向かう途中に,もう1つ一里塚発見。あれ,一里も歩いたっけ,と思って解説を見直すと,さっきの外町一里塚はもともと一里塚があった場所にあったわけではないんだな。なるほど。

須ヶ口一里塚

清須1名古屋

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