水都にすいすいその3

 さて,さきほどからちょくちょく出てきておりますが,大垣のもう一つの売りは,「奥の細道のむすびの地」であることらしいです。
 奥の細道も,まあ,松尾芭蕉という幕府の隠密だかなんだかが日本中を歩いて大量の俳句を詠ったというくらいの知識がせいぜいで,奥の細道に乗せている俳句は芭蕉が一人で考えたのではなく合議で決まったらしいなんてことは浪人中に古文の教師から習いましたが,まあ本当かどうかも確認してません。確認しようと思ってWikipediaを見たら教科書は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を採用しているらしいということを今知りました。大垣市は「奥の細道」を正式採用しているようですが,これでいいんでしょうか?

 さて。前置きが長くなりましたが,岐阜県は岐阜国体に向けて観光予算が潤沢に出ているようで,大垣市も奥の細道むすびの地として売り出そうと頑張っているようで,記念館は本年(2012年)4月8日に移転新装開店予定とのことでありました。ちょっと早すぎましたな。まあいいや。

記念館(予定) むすびの地 大垣から伊勢に向かったんですね そもそも木因さんを知らなかった 水門川の歴史 四季の路 芭蕉と木因

 川の反対側には観音様。星合信令氏の作品らしいです。例によってNPはこの方を存じ上げませんが,ネットで検索してみると,なかなかファンの多い方のようです。
 陶芸家さんの作る観音像ってのもまた違った趣がありますね。

水門川 観音様 星合信令氏の作品らしい アップで

 少し進むと,神社が見えてきました。住吉神社ってことは,船の神様ですね。ある意味水神神社よりもこっちの方が大垣にふさわしい気がしなくもないです。
 あわせて,住吉灯台。この手の灯台というと琴平の灯台を思い出します。馬鹿にしてましたが,Wikipediaに独立の記事もあるんですね。
 中京地域の歴史的な意義というと,関東人としては織田信長に始まり名古屋城が出来て終わってしまうのであります(といいつつ清須越しを知らなかったのだけど)。大垣〜桑名・伊勢への海運の重要性はまったく意識したことがなかったな。伊勢っていうとお伊勢参りのイメージしかない。

鳥居 拝殿
住吉灯台 別角度 解説 ミニ奥の細道

 で,さきほどの四季の広場に戻ると……なんと!水が流れておりました。
 さきほど「愛が枯れた」とか言ってゴメンナサイ。近所迷惑だからなのか経費節減のためかなんだか分かりませんが,たぶん9時から水が流れるんでしょうね。
 豪快な水の音を聞いていると,前日泥酔していたファミ氏からの「ちゃんとタクシー代払ったっけ?」というメールに気付きました。まったく,これだから酔っ払いは困ります。

愛の泉は枯れません!
愛の水であふれます!
滝のように流れる水 湧き出る水 虹の橋にある楽器
"Harpian"と書かれていますが
検索してもハーピアンが楽器名なのかどうなのか
確証を得られない
四季の広場

 さて,八幡神社を目指して北上します。
 道中,なにやら立派な山門があるな,と思ったらとだけの廟所がある円通寺というお寺さんでありました。
 この山門は大垣市大垣市景観遺産に選ばれているようです。景観遺産を選ぶのはよいのですが,大垣市のホームページで大垣市景観遺産のページに行こうと思ってもなかなか到達できないのはなんとかならんのかな。悪いのが大垣市なのか検索エンジンなのかよく分からんけど。ただ,観光協会から断絶されてることを考えると大垣市にも責任があるな。なんつーか,観光目的ならもっとアピールすべきだし,文化財保護目的ならもっと上手いやり方があるような気がするんだよな。都市計画課と観光協会と教育委員会がちゃんとタッグ組めてるのかな?それとは別に,「大垣競輪場のおっさんたち」は昭和の香りを残す景観遺産にならんもんでしょうか。

道中見かけたお地蔵さま 山門 山門 解説 景観遺産 戸田家廟所
本堂 地蔵堂 戸田家廟所。殿様だけあって厚遇されております。
お地蔵さま
かわゆい
こもり居て木の実草の実拾ハばや
御影たづねん松の戸の月
水子地蔵

 そして,八幡神社……の前に,その横にある神社へ。
 何かと思ったらこんぴらさんでした。住吉と並ぶ海の神様ですな。

金刀比羅神社 その横には大聖不動

 でもって,大垣八幡。一応ホームページはあるようですが,途中で力尽きています。せめてアクセスくらいはなんとかしてもいいんじゃないかと思うわけですが……。こういうホームページって,宮司さんが作るのかな。それとも,氏子さんが作られるのでしょうか。

 で,ここでは湧水の水が飲めます。NPは味音痴なので味はよく分かりませんが,とりあえずここで水分補給。
 また,天満宮もありました。頭がよくなりますよーに。

鳥居 湧水 解説 天満宮 天満宮といったら牛
子牛までいるのは結構珍しいような
子牛でも角はしっかりしてるんですね
鳥居

子犬が親の方を向かずに
こっちを向いてるのも結構珍しいような
拝殿 拝殿右手の恵比寿様と大黒様 龍田神社と廣瀬神社 由緒書

 さて。ここでもう一度お城に戻ってみることにしました。やっぱり中に入りたいですよね。そういえば,今Wikipediaを見て,大垣城が2011年に屋根瓦の葺き替えと外壁改修工事を終えていたことを知りました。Wikipedia城の旧外観写真を見る限り,旧外観はそんなに白くないですね。
 さて。大垣城は入場料100円です。コンクリ天守であるとしても,これは安い。
 中はまあ普通のコンクリ天守兼博物館なのでありますが,この中には2つジオラマがありまして,どうも大垣城としてはこの2つをプッシュしているようです。町屋のジオラマは,誰がどういう意図で予算をつけたのか,若干気になるところであります。城内の解説には誰が作ったかは書いてないんだよな。
 杭瀬川の戦いのジオラマはなかなか興味深く見ました。これまで杭瀬川の戦いは単なる前哨戦としてしか知らず,大垣城とも全くリンクしてなかったんですよね−。

あらためて天守
やっぱり白い
関ヶ原と伊吹山方向 たぶんこれが伊吹山だと思います 町屋のジオラマ
杭瀬川の戦い

 さて,天守の外にでて散策。さっきは見落としていた鉄門跡や麋城の滝を発見。いやはや,「麋城」ってふりがなふってもらわないと読めませんね。大垣城の別称らしいです。「麋」っていうのは水辺という意味らしい……。さんずいじゃないのか。この滝,よくわからんのですが水はポンプであげてるのでしょうか?まさか自噴でこの高さまで上がってないよなあ……。

本丸城郭図 鉄門跡 麋城の滝 別角度
別角度 大洪水のときの水位
恐ろしいな……
別角度
きれいなお城ですね
木造再建する予算はつかないだろうな…
戊申の役顕彰碑

 というわけで,歩いて大垣駅に戻ります。
 途中,駅前の金蝶園という和菓子屋さんに依って金蝶園饅頭と芭蕉餅を購入。実はどうも水まんじゅうが売りだったようです。まあ仕方ない。
 それはそうと,ネットでこの店の正式名称は「金蝶園総本家」だと知りました。「総本家」といわれるとどこかに「本家」でもあるのかと思ったら,もう1つ「金蝶園総本家」が見つかりました。どっちのお店も寛政十年に喜多野弥右エ門が創業した菓子何処「舛屋」を出発点としているようです。ううむ,両店の関係がよく分からん。そのほかにも金蝶堂もあるようです。いったいなんなんだ。

 あと,金蝶園では柿のお菓子が売られておりました。特に岐阜県で柿が採れるなんていう話は聞いたことがなかったのですが,もしかしてダジャレなんでしょうか。それとも,本当に柿は大垣の名産なんでしょうか。

金蝶園饅頭 芭蕉餅

 最後に,駅ロータリーの片隅に貨物駅の記念車両が。
大垣貨物駅 列車


大垣21年ぶりの荒尾
旅行記