さくっとくさつ

 てなわけで,前日は友人と草津で飲んで,その場で予約したホテルに宿泊。関東人的には草津といったら群馬の温泉地ですが,滋賀県民的には滋賀でかなり栄えている部類の街だということであります。
 ホテルから駅まで歩きつつ,道中の神社に寄ります。

 ここで中山道を歩きます。望月のときにも書いたような気がしますが,基本的に甲州街道で育ってきたため,中山道という道にはとんと縁がなく,中山道がいったいどのあたりを通っているのかよく分かってません。多くの方がそうであるように,中山道といったら一日中山道なのです。よって,「草津に中山道がある」という事実を聞いても,特にへぇともおぉとも,ふ〜んとも思わないのでありました。
 ぶっちゃけ,「中山道の別称が木曽路である」ということも,この解説板を読んで知りました。キソジゴールドって懐かしいですね。

草津歴史街道
どうでもいいけど,社寺仏閣って言葉はありなのだろうか
迷惑駐車禁止! キソジレッド

 そんなこんなで,中山道の周辺には,多くの神社仏閣があるようです。これ,読んだときにはなんとも思わなかったのですが,よくよく考えてみると,なんで中山道の周辺に神社仏閣が固まるんでしょうか。遠くからの旅行者向けの社寺があったのか,それとも修験僧なんかが旅行しやすいように街道近くに寺院を建てたのか,はたまた神社仏閣が最初からあって,そこに後付けで中山道を通したのか。
 細かいことはさておき,まずは伊砂砂神社。タイプミスではなく,本当に砂が2つくっつく名前のようです。この名前は明治2年についたとのことなので,それまでは解説文には挙がってない神仏習合期のなにかがあったのではないかと邪推してしまいます。
 ここの特徴は,なんといっても表情豊かな狛犬ですね。いつ誰がつくったのか調べようともしてませんが,コミカルな狛犬は見ていて心が安らぎますな。というか,新しめの狛犬ってどれも似たり寄ったりな気がするのは気のせいでしょうか。冒険する石材屋さんや神社さんは現われないのかなあ。

鳥居 由緒書
左の木板のものはどなたの作成か不明ですが,
教育委員会のものと草創期についてのかきぶりが若干異なります
「いささ」というのは,御祭神の頭文字のようです。
後ろの「いす」を無視してよかったのでしょうか…
手水。立派な龍がおりますが,水は蛇口から出ております
草津市渋川合併記念碑 この本を閉じることは可能なのか 有志奉納の解説板 解説その2 拝殿 逆側より
本殿は重文です 本殿 なんの鳥か不明
摂社 摂社 摂社 龍神社

 向かいにあったのが光明寺。ここの由緒記を見て,そういえば応仁の乱があったことを思い出しました。さっきの伊砂砂神社の社殿は1468年創建という説があるとのこと。自分の小学校知識では,応仁の乱は1467年から延々続いたことになっております。応仁の乱が実際どういう争いで,戦場になった場所や参戦した(させられた)人員がどのあたりの人々なのかよく分かってませんが,1468年に社殿創建ってことは,そういう争乱が鎮まってほしいとか,そういう気持ちもあったのかもな。
 他方で,この光明寺の本堂は,1465年に比叡山の僧徒によって破壊されたようです。戦地で空地になっていた当地に1574年にお堂を建築したとのこと。ということは,先ほどの伊砂砂神社の社殿は当地になかったのかな。う〜ん,応仁期の戦乱状況・混乱状況がよく分からないな。


 さて,時間がないのでとりあえず中山道を越えて,町歩き。昨日閉まっていた銭湯を見学に行きました。

覚善寺。中には入らず 右東海道
左中山道
この道標自体は
どうも明治期のものらしい
桜湯 昨日は営業時間外でした 料金
滋賀は400円のようです

 で,小汐井神社。
 社号標には「小汐井水天宮」ともあり,とりあえず水にまつわる神社のようです。
 入って左の手水舎の水が「御神水」と呼ばれており,地元の方が汲みに来ておりました。名前の由来となった小汐井村に「汐」という字が入っているで,どこかの時代にこの地域が海水と縁があったのかもしれませんが,まあよく分からないところです。
 街中の一画にある神社でありましたが,御神水はもちろん,池があったり社殿も奥深かったりで,面白い神社でありました。

鳥居 御神水 解説 由緒書
拝殿 本殿方向
随神像 摂社・末社
池と水天宮 夫婦木

 ここで折り返してもよかったのですが,せっかくなので本陣付近まで進みます。

 道中,大がかりな橋の下をくぐりました。こんなところに道なんてあったっけな,と思いつつ壁を見ると,「ここは旧草津川」と書かれていたので,かつての草津川もいまでは流れが少なくなったんだろうな,だから洪水の心配なく天井川にできるんだろうななどと甘く考えていたのでした。


市指定文化財の道標
東海道と中山道の合流地点であれば,さぞかし栄えたことでしょう
ここは旧草津川
よく見たら左にも看板があるな
なんで90度曲がった状態で
固定されているのだろうか…
高札場跡? 延命地蔵尊
トンネルと,右手に道標 草津川トンネルの由来

 さて,さらに進むと,目的地だった草津本陣跡に到達。まあ,跡地は所詮跡地で特に面白くないのでここで折り返します。で,せっかくなので天井川の様子を見に行きます。どうやって洪水を避けられるようにしてるのだろうか……。
 ……そうしたところ,なんとびっくり!水がない!これは想定外。天井川どころの騒ぎじゃなかったのか!いや〜,これは新鮮。本当に全く想定してませんでした。水の流れていない天井川の下にトンネルを掘るってのは面白い光景だなあ。ここに道路を通すとかの計画は生まれなかったのだろうか……。地盤が緩いのかな。
 基本的に事前知識をいれずに思いつきであちこちふらふらしますので(そもそも草津に泊まったのも昨日の飲みの場所が草津になったからにすぎないからな),こういう思いがけない発見と驚きに出会えるのは嬉しい限りです。

本陣 草津宿の絵 旧草津川!

 てなわけで,あまり時間もないので大津に向かいます。

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