ラオノジャールその1(ツーリストセンター〜サイト1〜サイト2)

 そんなわけで,昨日会った旅行代理店のおっちゃんと合流して,車に乗ります。
 今回のツアーは,オーストラリア人の妙齢のご夫婦2組と,日本人のNP1名。計5名です。私は助手席に乗ります。昨日のバスは真ん中で見晴らしが悪かったですが,今日は絶景。少人数ツアーなんだからこうでなくては。

街の大通り ちょっと進むと郊外に出ます 川か池かでひとしきり盛り上がった
Google Mapでは“Nong Nam Ngam”と
表示されており,どうも川をせき止めた
ダム湖みたいな感じですね
さらに進みます

 まずは,ツーリストセンターに立ち寄り,名前を登録します。まあ,別にパスポートチェックがあるわけではないので,気休めに近いですね。ツアーなので,特に追加料金は発生せず。
 ここでは,いろいろとお勉強ができます。なお,冷房もきいてますが,効きはイマイチ。

 さてさて。このシェンクワン一帯は,今ではもちろんジャール平原の観光拠点となって急速に発展中なのであり,もちろん自分もなにをしに来たかと言われればジャール平原を見に来たんですが,それよりも(さっき見たWikipediaにもあったとおり)内線で徹底的に破壊爆撃された場所として知られております。この一帯に住む人やこの街がどっちの方向でこの町を売り出していきたいのかは私の知るところではありませんが,とりあえずこのツーリストセンターには,内戦に関する説明が数多くありました。

ツーリストセンター 中の様子 1960年代の戦争 洞窟
ベトナム的な地下要塞は
なかったっぽい
Cultural Attractions
Ethnic diversity 保存事業等 ここでもらったパンフレット。ジャール平原というよりはポーンサワン/シェンクワーンのパンフレットです

 このツーリストセンターの裏には,多くの戦争時の遺留品が展示されております。ベトナムもカンボジアも旅行記を書いてないので記憶がぶっ飛んでますが,ここまでのものはあまり見た記憶が無い。これの数百倍の量が降り注いでいたのでしょうから,たまったもんじゃないな……。


 そして,再び車に乗って,サイト1へと向かいます。このあたりも道路の舗装がしっかりしております。観光地だから気合いが入っているのか,道路事情は全般的にいいのか,そのあたりのことは分かりません。
 で,サイト1に到着です。


 サイト1では,まず電動自動車?に乗って駐車場から実際の遺跡に向かうことになります。
 ドライバーのおっちゃんはあくまでドライバーなので,ここから先は我々だけで動くことになります。実は,このときもう1人単独の旅行者が加わって6人で電動カートに乗ったのですが,NPはてっきりこの人がガイドさんだと思い,なにか質問してしまったのでした。お恥ずかしい。しかも,この方は日本人でして,一体おれはなにをやってんだ状態でありました。

これに乗る 平原へと向かう 注意事項 MAGの不発弾撤去アナウンス

 そんなわけで,6人で歩き出します。
 まずは丘の上へ。誰がルートを知っているわけでもないのですが,なんとなく流れはできています。

 すると……目の前に居並ぶ大量のJar!これは凄い。なんだなんだ。なにがおきているんだ。いやあ,意味が分かりません。kろえでまだ全部の大きさと形が同じだったら分からんでもないけれど,それぞれバラバラなんだものなあ。なんなんだろうか,これは。

 そして,さらっと現れる爆撃の跡。さらには,塹壕の跡まであります。まさに,この場は戦場だったのです。この大量のJarも戦場で身を隠すのにはもってこいだったのだろうなあ。

平和な平原に,爆撃の跡のクレーターが…… 石壺!!
遠くに見えた寺院
(検索した結果,
Thonghaiheen Xaiyalam Temple
と呼ぶらしい)
巨大な大仏のご尊顔が
見えるような……
爆撃の跡 塹壕の跡
上部に出っ張りがあったり無かったりして興味深い
風化したにしても,なぜここまで違いが出るのだろうか
あらためて下を見下ろす 降りていきます

 上から見ると,石壺は弧のように集まっていますが,これは爆撃から逃れたのがこういう形になっただけなのか,元々このような形に並べていたのか,果たしてどちらなのでしょうかね?
 いやあ,本当に謎が深いです。どこか1個の石壺の中に辻参謀の遺骨でも紛れ込んでないでしょうか……。

 それにしても,爆撃クレーター跡と石壺,それぞれの出す無常感がなんかたまらんですな。これらが同じ場所にあるのはもちろん偶然なわけですし,時代的には1000年以上離れたものなんだけれど,なんともいえない雰囲気です。

 あと,蓋つきのJarの存在は事前に拝見した旅行記などからも知ってたんですが,これこそなぜ風化したり,あるいは爆風で吹っ飛んだりしなかったのか不思議でなりません。というか,みたところぴったりはまってるようにも見えないんですが,こいつらは本当にここにこのような形で乗っかってたんでしょうかね?


 続いて,洞窟へ。なぜここでJarを追わずに洞窟に向かうことを知っていたのか謎ですが,とりあえず私の目的は「迷子にならないこと」「ここで置いてきぼりを食らわないこと」なので,とりあえず馬群から離されないようについていくだけであります。
 この洞窟,こちらの旅行記によると,ガソリン貯蔵庫だったようです。だからこそ,この洞窟まわりをバンバン爆撃してたわけですな。ちなみに,こちらのサイトは今たまたま発見したんですが,旅行記が豊富で素晴らしい。こんなサイトをなかなか上に上げないGoogleさんはいかがなものなんでしょうかね。あと,こちらの方は2007年にポーンサワンに行かれておられるのですが,当時のポーンサワンは道が舗装されていないのがよく分かります。10年ちょっとで大きく変わったのですな。

さっきいた場所 ここのクレーターは大きい 洞窟 洞窟へ向かいます 今となっては何もありません 上の空洞。爆撃であいた穴なのか,
もともとあいていたのかは分かりません
その脇には
石が積み上げられてます
宗教的な慰霊の意味は
あるのでしょうか……
洞窟側から見るクレーター 洞窟脇に開いた穴
見たところ,人工的に(銃か何かで)あけられた
穴のように見えます
ポーンサワンでよく見る
ゴミ箱です
ゴム製であります

 そんなわけで,駐車場に戻ります,
 順序が逆な気もしますが,ここには博物館があるのでここでお勉強です。
 ここの展示もJarsの謎のことだけで無く,インドシナ戦争・内戦についてのものが多く,やはりこの地域における内戦の傷というのは大きいのだろうな,と思った次第。

The Plain of Jars Jars through the ages The Rediscovery 発見された人工物 理論と伝説
とりあえず,埋葬のためだった,
というのは通説なんだろうな
戦略的重要性 進行中の調査
distil corpsesというのは,
死体を浄化する,というような
意味なのだろうか?
サイト1の特徴 上空写真 様々な写真
インドシナ戦争における爆撃についての展示 Jarsの状況
歴史年表。写真の撮り方が下手っぴいなことには突っ込んではいけない

 そして,続いてサイト2へと向かいます。
 ここも道路は基本的に舗装されておりますが,一部未舗装道路があり,また橋も現在進行形で工事中のものがあったりと,ちょっと楽しめます。最後は未舗装道路に入って,サイト2到着であります。

こんな道を進む 牛がいた! 工事中の家 一部未舗装 こんな橋を渡ります さらに進む 未舗装道路に入って
サイト2に着きます

 サイト2のJarは,サイト1よりも細長いものが多く,また空洞も長方形のものが多いように思えました。単なる印象に過ぎないかもしれません。そもそも,サイト1のJarがどの程度地中に埋まってたのかも分からんしな。イースター島のモアイのごとく,地中深く凄いことになってる可能性もある。

 あと,ここは林の中にJarがある感じで,「平原」感はないです。ここの木がいつ植えられたものなのかは分かりませんが,戦時中はこのあたりはどんな感じだったんでしょうかね?

サイト2へ入っていきます 振り返る
なんとなく日本でみるような
松林です
サイト2です 細長いJar。先っぽ(奥側)が細くなってるんですね
ぱっと見,カプセルホテルのカプセルっぽくも見える
これも四角い 木にもたれかかっている
石もありますが,
Jarの下から木が伸びたのだろうか
斜めになっている。中には水がたまっております
このJarだけやけに溜まってる気もするが,
開いている穴は
風化したせいなのか,
戦争と関係があるのか
パッと見ると,普通の石が並んでるだけのようにも見える
ジャングルとかだったら見過ごしてしまいそうです
蓋でしょうかね?

 サイト2後半戦。近くの丘にもJarが並んでおります。こっちは木は少なく,平原感が強いです。
 ところで,競輪の記事見ながら「平原」とだけ書いてると,「へいげん」ではなく「ひらはら」と読んでしまいそうになりますね。


サイト2前半戦の林はこちら このあたりの景色
もうちょっと高台があるとよかったのですが…
雄大な景色をバックに 蓋が落ちている
2000年クラスの代物だと思うのだけれど,よくぞここまで形が残ってたな……
こんな雰囲気の場所です
さすがにこれだけ吹きっ晒しで風化せずに1000年以上残ったとは思えないので,
ジャングルか何かの中に埋もれていたのでしょうね。
何年前に割れたのだろうか。よく残ってるなあ

 そんなわけで,サイト2終了。
 車に乗って移動です。

 最初は1つのページにしてましたが,長いので2つに分けます。後半へ続く。


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