長篠遠征
2019/1/23(水)、長篠方面の諸城を攻めました。例によって、記録を残さないと、記憶にも残らないので遠征記を書いておきます。
長老が浜松にいるうちに、徳川vs武田の戦いで使われた諸城を落とさないといけないということで、昨年の高天神城に続いて、今年は長篠方面を攻めました。
朝、浜松駅で、長老の出迎え。本日もお世話になります。全豪オープンテニスの大坂さんの試合の中継を聞きつつ、出発。
初めの目的地は
作手歴史民俗資料館
です。
野田城方面から峠を越えて、作手方面に侵攻。この辺りは、岡崎や豊橋に出ることができる交通の要衝だったようです。
まずは、歴史民俗資料館で、歴史や地理を勉強。埼玉から来たと言ったら管理人から、奥平氏も埼玉の秩父出身だと教えられました。こんな豆知識も嬉しいですね。しかし、この資料館は寒かった。真冬でも暖房が付いていないのですね。上着を車に忘れたのが痛恨で、早々に退散しました。
続いて、本日のメーンの1つ
古宮城
へ。言わずと知れた続百名城の1つです。
本来であれば、追手口から入りたいのですが、現在、この城は追手口から入れない様子。城の中から回って見たところ、民家になっているようで、閉鎖されているようです。ということで、推奨ルートである、神社に駐車し、神社脇の階段から本丸に突入しました。
この城は一城別郭式の城で、神社から突入できるのは東城になります。土塁などの残存状況は良好。素晴らしいです。
東城と西城の間には大堀切がありますが、これがこの城の最大の見どころです。下から見上げると、絶望感が漂う光景です。
大堀切の北端には、登り土塁があります。この城は、東南北側は湿地帯で近づけず、西側だけがアクセス可能だったわけです。そのため、東側の城域への守りとして登り土塁を設けたようです。現地ではその存在意味が分からなかったのですが、家に帰ってから、あらためてこの城の地形を考察して理由が分かりました。
最後は西城へ。西側の複雑な土塁の組合せは、今までに見たことがない入り組み方でした。
歴史の表舞台には出てきませんが、城郭の残存度合いから、さすが続百名城と感じました。
古宮城の後は、近くの道の駅で昼休憩。この近くでの目ぼしい食事処はここだけでした。食事後は思わず裏の店で、五平餅を買ってしまいました。これが、本格的なモノで、出てくるまでに時間がかかりましたが、美味しかったです。
昼食でエネルギー補充後は、
田峯城
へ。長篠の戦いの後、武田勝頼が立ち寄ったときに、裏切って入城させなかったことで、ひと悶着あった城です。
そもそも、この田峯地区が秘境とも言える土地です。古宮城から小一時間車で走って、最後に車のすれ違いも難しいような山道を登った場所に、そこそこの広さの土地があるのですね。まさに天空都市と言えるような集落です。
この田峯城ですが、しっかりと整備され、本丸には御殿が建設されており、入場料も取られます。しかし、城郭マニアとしては残念な整備のされ方です。そもそも、本丸の大手門の復元があるのですが、その門が搦手に建っているのですね。なんだよそれです。しかし、これだけ整備された城だと見やすいのはありがたいです。
田峯城を満喫した後は、本日最後の目的地の、
長篠城
へ。こちらは百名城の1つです。
まずは、長篠城史跡保存館で勉強。2回目の訪問だったので、だいたい内容は知っていたので、復習です。
続いて、城跡に突入。本丸しか残っておらず、見どころは少ないですね。川の水面から城を見上げたら、印象も違うのでしょうが、今の構造では難しいです。あと、城跡を飯田線が横切っているのも残念。歴史的な重要度からの百名城ですが、城跡としては面白くないです。
この後は車で移動して、設楽原歴史資料館へ。途中で曲がる道を間違えて、JCに不審がられました。
歴史資料館では、周辺の地理も含めて、長篠の戦を勉強しました。あらためて、日本で初めて野戦陣地を築いた信長は、天才だったと思います。この戦術は、小牧長久手の戦いから関ヶ原の戦いへとつながっていくんですよね。それぞれの古戦場を巡りましたが、再訪するといろいろと考えるところもあります。
最後は、資料館を出て、馬防柵へ。まさに兵どもが夢の跡といった感じです。
これで今回の行程は終了。
締めに、さわやかに寄って、ハンバーグを食べて解散。今回も、フェアをやっていました。
ということで、今回も長老には非常にお世話になりました。