タイラノイシゲ

 本当はこれで終わりにする予定だったんですが、まだ時間が合ったので気合いでもう少し見ていくことにします。
 ということで、線路を渡ります。そして、鬼怒川へ。
 いまさらですが、この一帯というのが小貝川と鬼怒川に挟まれた土地だということを認識。水海道という駅もなんとなく通り過ぎてましたが、よく考えたら(よく考えなくても)水に縁のある駅名でして、「川と川に挟まれた、水害に悩みつつも大量の作物を生み出す耕作地帯」ということなのですね。まあ、「豊田」という名前もまさにそのまんまです。
 なお、水海道の名前の由来は、てっきり江戸時代当たりに街道を整備した際のものかと思ったら、Wikipediaによると「坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)という故事に由来」とのことで、想像とは全く違うものでした。

踏切を渡ります 石下駅


7 櫓その5

 ネットを見ていると、この城郭風建築物を4つ発見した人はいましたが、5つめは駅を挟んで反対側になるのでなかなか発見が困難です。
 石下橋を歩きながら、鬼怒川を眺めていると……左前に、登場しました。立派な櫓の登場です。
 せっかくたくさんつくったんだからスタンプラリーでもやればいいのに、と思わないでもないですが、まあ車に入ってこられても困るだろうし、これでいいのでしょう。

鬼怒川 石下橋から斜め左 櫓発見! 鬼怒川を見下ろすように櫓が立っています あらためて櫓を撮る

8 向石毛城(平将門豊田館跡)

 そして、向石毛城・平将門豊田館跡です。ちょっと疲れが溜まっているので、地形をしっかり確認したりする余裕が消え失せております。一直線に跡地へ。
 立派な石碑が建っており、そこに縄張りの絵があります。この絵を信じるとするならば……現在地は館跡であり、本丸は既に通過してきた場所にあったっぽいです。場所としては、背後(東側)を鬼怒川に守られた立地で、大手からたしかに少し土地が下がって、この館跡がある曲輪にむけて少し登ります。ただ、この高低差は城由来というべきなのかどうか……。
 石碑をあらためて見てみると、てっきり大河前につくられたのかとおもったら、大河のあと、昭和61年につくられたんですね。大河ドラマが昭和51年ですから、その10年記念でしょうか。ほかの石碑の製造年とかはとくに見てないのですが、ほかも全部昭和61年だったのかな。ならばその時期になにか予算がついた、ということでしょうか。

前に見える木々が目的地です 石碑裏側 関東平氏の略系図 縄張り図
石碑表側 アップで 平将門の像 敷地の様子

 この跡地は法輪寺の境内にあるのですが、どちらが先でどちらがあとなのか、あるいは全体的に法輪寺の敷地なのかどうかも正直よく分かりません。まあ、土地はそれなりに余っている場所なのではないかと思うので、あるていどルーズなのかもしれません。

館跡の石碑 法輪寺境内 石塔 本堂 石仏

9 将門川

 この先に将門川という川があるようなので、立ち寄ります。
 特になにも特別な解説板があるわけではなく、将門川の案内板を写真に撮っただけで終了。いつからこの名前がついたんでしょうかね?

将門川。なにか川の名前の由来の解説があるといいな、と思いましたが、なにもありませんでした。
西側から見ると
向石毛城がちょっと高台にあります
ただ、これがいつからなのかは不明
十二天神社 道路側から向石毛城
手前が西館
奥の木々が法輪寺
久々に避妊具の自販機を見た ママの店

10 香取神社

 さきほどの縄張り図にも名前が出ていた香取神社。せっかくなので、寄ってみます。
 平将門軍はここに集結して戦勝祈願をした、とのことです。まあ、実際は分からんですが、伝承としては非常にいい伝承です。由緒書だと、平将門と豊田政幹も祭神になっているようですね。将門由来の神社にしては、目立たないですが、まあそれもそれ。

香取神社です 由緒書 鳥居 拝殿 皮被ってます 力石なのでしょうが、
←を見ると別の玉に見えます

11 石下中央商店街

 本日のラストイベント、本石毛城に向かいます。石下やら石毛やら、本石毛やら向石毛やら、もう素人には訳が分かりません。とりあえず、歩き疲れました。

 石下橋に向かう途中、遠くに豊田城が見えます。太陽の当たり方によっては白く神々しく輝いていて、なんか凄いですね。
 石下橋から、再度向石毛城方向を見ます。見たとしても、向石毛城の本丸があったかどうかなどは分かりませんが、まあ気にしない。

堤防から、豊田城(偽)を見る 太陽に照らされて神々しくなっています 向石毛城本丸方向

 そこから、本石毛城に向かう途中、石下の街の商店街を抜けます。どういう経緯でここに商店街ができたのかは分かりませんが、それなりにピークを過ぎた商店街であることは歩いていて分かりました。

商店街へ 開いている店もあれば、閉まった店もあります 商店街看板
ショッピングマップ 公民館 長塚節の像
豊田城前と同じかな?
解説 医食同源 安いコピー機あります

12 本石毛城

 さあ、本石毛城。裏側から到達したので、本石毛城の唯一の遺構と言われる、土塁が最初に目に入ってきました。裏側から入っているので、そもそもこれが本石毛城跡地なのかどうかも確証がないままに「土塁っぽいのがあるからこれが本石毛城ではないか」という感じで写真を撮っております。

裏側から。土塁っぽいもの発見 境内から土塁を撮る

 で、境内に入ります。やはりここが本石毛城の跡地だったようで、立派な石碑がありました。さっきの石碑は昭和61年でしたが、こちらの石碑は昭和59年につくられていました。まさか、別の年、しかもこっちの方が早かったのか。
 もともと石碑が大きいので上の方が読みづらいのに加え、白いペンキがかすれていてさらに読みづらくなっております。ううむ、もうちょっとなんとかならないでしょうか。
 この本石毛城は、1500年代に築かれて利用されたもののようでして、豊田城(本物)の支城だったようです。セイコーマートは石下中央商店街に進出しないのでしょうか。

正面から八幡神社を見ます 南無八幡大菩薩 本石毛城跡解説 鳥居 拝殿 横から八幡神社 様々な石碑石仏 引いたところから

 もうちょっとこの神社の中をうろうろすると、しっかりした堀跡なんかも見つかったようですが、疲れていたし電車の時間もあったので、退散。

13 石下駅

 そんなわけで、お疲れ様でした。ただひたすらに歩きまくる旅行でしたが、まあだからこそ櫓を5つ発見できたと、前向きに考えておきます。

中央商店街からちょっと外れた道路沿い
ここも閉店が続いているようです
石下駅


セイコートヨダジョー


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