下妻物語2021

1 多賀谷城

 ちょっとした仕事で、ここ1年半ほど、数ヶ月に1回下妻に通っていました。コロナ禍ではありますが、昼間に動く限りでは特に筑波エクスプレスも混雑しないので(動く方向が通勤客と逆だし)安心安全な電車旅であります。

 で、下妻というと、宗任神社も気になるのですが(とはいえ、大河の炎立つをDVDで見た以上の思い入れはない)、残念ながら時間と体力が合わず。下妻駅からほど近くにある、多賀谷城を攻略することにしたのでした。
 多賀谷城趾は、その名もズバリ、多賀谷城趾公園にあります。一般に知られているとおり、基本的に遺構は残っておらず、「ここに城がありました」という感じの場所です。自分が子供の頃は「城=天守」だと思っておりましたので、こんな城址公園を見たらがっかりして泣いてしまったかもしれません。が、今となっては立派なニワカですので、こういう場所に行くと「こういう場所こそ風情があっていいんだよ」などと調子に乗って語り出すのです。
 現代の道路を見ていると、駅の東側、つまり城跡側は道路が碁盤の目になっていて、計画都市感が出ています。とはいえ、これが多賀谷城の町割りかというと、多分違うんでしょうね。このあたりの公共施設は公園のすぐ北東に市役所、公民館、体育館がありますので、このあたりが二の丸かなにかだったのでしょう。線路を挟んで反対側に裁判所と法務局がありますが、これらがある場所はかつてどうなっていたのかは分かりません。

 てなわけで、公園散策。平日の昼間ですので、ほとんど人はいません。近くの幼稚園なんかのお散歩コースになってたら写真撮りづらくて(←どう考えても不審者になるので)どうしようかと思ってましたが、そういうことはありませんでした。

整地されていて、
ちょっとした高地にあります
24時間営業ではないようです 多賀谷城趾公園 結構広い公園です
こっちが公園正門 なんかしょか高台があって、大きな木が植えられています
「かつての櫓台です」と言われたら納得してしまいそうですが、
どうやらまったく関係ないようです
レンタサイクルの案内

 てっきりこれで終わりかと思ったら、きちんと城趾の案内がありました。
 解説によると、昭和30年代までは曲輪や堀のあとがしっかり残っていたようです。つい最近まで残ってたんだな、と思ってしまいそうになりますが、もう50年以上前ですね。
 そして、ここはどうも沼地の中にあったお城のようです。北関東、とくに利根川霞ヶ浦まわりの地形は改変されすぎていて、知識無く想像力だけで縄張り妄想をするのは難しいです。

ここに高台があります 解説 解説2
水色は沼地ってことで
いいんですよね?
正面から 横から
←こっちは平和塔
近代化以降の記念碑ですね


2 城山稲荷神社

 下妻駅から一番近くにある神社じゃないかと思います。その名も城山稲荷神社。
 名前からして、ここに城があったのか、と思いたくなりますが、解説によると、北条氏との戦いに勝利したあと、西館の高台に社を作った、ということです。ということで、ここには西館があったんでしょうね。まあ、見張り台を兼ねたちょっとした支城があった、ということでしょうかね?


3 下妻駅

 下妻駅には何回か出入りしているので、写真も日付が分かれます。
 下妻駅は、線路を渡って反対側のホームに行くスタイルですが、駅の反対側(多賀谷城趾公園側)からは跨線橋を渡ってくることになります。
 下妻に限らず、跨線橋からの眺めは大好きなのです。

多賀谷城方面 跨線橋からみた線路

 下妻駅の様子。

下妻駅 鯉のぼり 緊急事態宣言下の時刻表 竜ヶ崎線120年 駅名表示 線路を渡ります

4 石下駅

 石下駅も構造は下妻駅に近いです。線路を渡るのは気持ちいいです。

石下駅の線路を渡ります 「鳴っ」にはなにがあったのか

 というわけで、石下駅から歩いて、豊田城を攻略します。続く。

セイコートヨダジョー


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