神奈川のギオン花月

1 愛媛FC@SC相模原

 行き場を失い、5月末にふらふらと神奈川へ。まずは愛媛FC@SC相模原。相模原ギオンスタジアムは初めてです。
 多摩の人間としては「相模原」という場所はそれなりに近い場所であり、大学生の頃に車でなんどか乗り込んだ記憶はあるのですが(乗り込んだ、というよりも八王子から南下してたら乗り入れてしまった、程度の感覚)、横浜という土地が完全にアウェイで、そのために横浜線というものにも縁が無く、横国(日産スタジアム)のある小机・新横浜に乗り込むときにだけ使用する路線でありました。
 また、なんとなく知っていた「橋本」という駅が「相模原」にあるなんてことも実はわりと最近知りました。気付いたら政令指定都市になっていた相模原市ですが、自分にとっては知らないことの多い街です。

 そんなわけで、それなりに近場なのにあまりなじみのなかった街相模原。そんな相模原に乗り込みます。ルートはいくつかありますが、新宿からの出発なので小田急線相模大野からバス、というルートを選択。ルートとしては間違ってなかったのですが、相模大野からのバスのタイミングが悪く、試合が始まってからの到着となりました。まあ、平日夜の試合だから仕方がない。また、この相模原ギオンスタジアムは女子美術大学に隣接していて、バス停も女子美術大学というバス停で降りる訳ですが、この大学の存在も今回初めて知りました。ふと調べてみたら、杉並にもキャンパスがあるんですな。


相模大野駅 J2という新たな舞台へ! バス停から歩きます スタジアムが見えました

 新型コロナウィルスの影響下で、もちろん声出し応援は禁止です。ゴール裏の芝生席はA〜Cの3ブロックに区切って、その中での自由席という扱いでした。現実的にはCブロックにチケットを取った人がほとんどで、その中で適宜、という感じ。当日券も出ていたようですが、当日券はAブロックしかなかったとかいう噂も。
 芝生席は、立っていて足に悪影響がないのはおじさん的にありがたいのですが、傾斜をつけると大変なことになるため、傾斜が緩やかです。そのため、試合を見やすいか、というと、やっぱりちょっときついところがあります。

到着しました 試合は始まっています 平日夜なのに愛媛サポも
そこそこ入っています
着陣しました

 天気の心配がありましたが、無事雨がやみました。下が芝生なので鞄が濡れないようにビニールを敷く必要がありますが、まあその程度です。というわけで、試合に集中できるいい環境でした。観客数も多くないですし、愛媛は割と前に固まるので後ろでまったりと手を叩きながら応援すれば、傾斜が緩やかとはいえ視界も遮られません。まあ、奥の方は見づらいんですが……。
 奥の方が見づらい、という前振りから、前半15分に愛媛が先制。
 相模原はクロスに弱い、というかクロスをバンバンあげられてしまうのが相模原の悪癖である、ということは後で知りましたが、とにかく相模原を崩すセオリー通りのゴールだったといえるのではないでしょうか。

相模原の拍手煽り ハーフタイムに入りました ゆるキャラ登場 競り合い
前野のCK。忽那と何を話していたのか CK時のポジション取り
FK

 で、その後も愛媛を応援しているとなかなか経験できない決定機を何回か目にすることができましたが、追加点は取れず。とはいえ、クリーンシートで勝利。1-0の勝利というのは緊迫感があっていいですね。
 試合後は、ユーリ選手がかなりがっくりきていたのが印象的でした。こういう選手は大事ですね。
 参考までに、Jリーグ公式の結果と、Jリーグのハイライト、ついでに石本さんのブログ



 ちなみに、銘柄級の選手としては、相模原に稲本がいることはあとから思い出しました。
 さらにちなみに、これを書き始めた直前に、浦和から藤原優大が相模原にレンタル移籍することになりました。また、このあと監督も三浦監督から高木監督に交代しており、次に対戦するときには大きくチームの姿が変わっているのではないでしょうか。
 さらにさらにちなみに、これを書いているのは2021年7月5日でして、翌々日に浦和が相模原と対決することになりました。愛媛に負けた相模原に負けた浦和……とならないことを切に願っております。そして、試合前ということで、これを書いている際にBGM代わりに浦議チャンネルの相模原戦前のプレビュー動画を流していました(ライブでは聞けなかった)。2008年創立のクラブ、ということは、よく考えたら自分の社会人人生とほぼ同じじゃないか。

 帰りはどうも相模大野駅行きの臨時バスも出ていたようなのですが、よく分からなかったので原当麻駅に向かって歩くことにしました。読めません、原当麻。「はらとうま」かと思ってたら「はらたいま」でした。こんな名前の若い選手いそうです。
 で、距離があるのは別にいいんですが(下り坂だし)、何が怖いって、スタジアムの敷地を出るまでの間、ほぼ案内もなければ街灯も極めて少ない。なんだこれは。試合が人数制限かかってたせいでこんな空気感だったのだろうか。相模原は車社会で電車を使う人なんて少ないからこんな扱いなのだろうか。いやあ、これは女性が一人で参戦してたら怖いんじゃなかろうか。

原当麻駅方面
合ってるのか不安になります
こんな道を進みます
暗いぞ!
原当麻駅 駅の歴史 GIONスタジアムへの案内 改札 ノジマステラの案内も クルッポゥ

2 弘明寺

 そして、日が変わって、ヒマな週末を迎えました。
 やることがないので、どこかのスーパー銭湯に行こう、と思って色々と検索したところ、弘明寺に京急一押しのみうら湯というのがあり、京急はみうら湯の入湯料とセットになった切符も売っているようです。
 ただ、いかんせんコロナ禍ですので、このセット券が売られているのか不安になります(必死に検索した結果、みうら湯が開いていることは確認できた)。その結果、販売していないことを示すものはなかったので、乗り込むことに。

 ところが。品川駅で残念なお知らせ。やっぱり弘明寺みうら湯きっぷは発売中止でした。う〜ん、頑張って検索したんだけれど、もしかしてもっとちまちま検索したのが失敗で、もっと大きく発売中止なことが書かれていたのかな。
 まあ、ここまで来てしまった以上、キップはどうでもいいので、風呂に入りに弘明寺に行くことにします。

ラピスタ新橋
6月1日の営業再開に向けて準備中
残念なお知らせ

 弘明寺駅に到着したので、まずは弘明寺に向かいます。お寺が駅名になっているところは数多くあり、中には梅津寺や大川寺のようにお寺が完全に没落しているところもあります。が、ここ弘明寺はしっかりとお寺が栄えております。さすが横浜市。

弘明寺駅

 弘明寺駅から坂道を下っていくと、弘明寺の山門に到達します(せっかく下ったのに、山門くぐったら階段登らないといかんのよね)。住宅街の中の狭い敷地にお寺が収まっている感じで、頑張ってるな、という印象。Wikipediaをみると、廃仏毀釈期に寺域の8割くらいを失ったようですので、昔はもっと凄い伽藍だったのではないかと思います。
 なお、これは行くまで知りませんでしたが、坂東三十三カ所の第14番札所でした。坂東は意識せずに回ってますが、これで何カ所くらいまわったのだろうか。

山門 仁王様 大提灯 山門から正面

 5月末はあじさいの時期です。お寺とあじさいというのはなぜかセットな気がしますが、どうでしょうか。
 山門をくぐると、右手に六地蔵、左手に馬頭観音です。さらに、身代わり地蔵様もおられます。
 馬頭観音といえば、この日はダービーデーです。全国民が注目する日本ダービー。弘明寺を参拝しながらネットで投票です。本命はタイトルホルダー。皆様ご存じの通り、レースはシャフリヤールの勝利。こんなぱっと見意味の分からない馬なんて買えません。仏教寺院参拝しながら、ペルシャ語由来の馬なんて買えません。おんかかかびさんまえいそわか。

あじさい 六地蔵
下にいる小さいお地蔵様が
かわいいですね
馬頭観音の石碑 身代わり地蔵菩薩

 階段を上ると、正面に本堂です。コロナ禍ながら、さすがは坂東霊場、そこそこの数の参拝者がおられます。


 本堂参拝を終えました。ふと左上をみると(本堂から見たら右手側だけど)、さらに上があるようです。まあこれくらいの登りなら恐れるに足りません。上にいるのは歓喜天様す。その道中、屋根付きのところには庚申様です。

のぼります 歓喜天 島田貞吉の碑
この手の石碑の碑文に
「ハマッ子」というポップな
表現があるのが面白い
庚申塔

 あとは境内にあるその他のものを見て回ります。歴史のあるお寺で、寺域が狭まったために色々ごったごたになっているのでは……と思いきや、案外スッキリとしています。色々捨てられたのでしょうね……。

大師堂 色々まとめられている 七ツ石 石の上に小石が
鳥の仕業かな?
なんとなくおっぱいに見えます
地蔵様

3 みうら湯

 弘明寺からちょっと行くと、アーケードのある弘明寺商店街に出ます。弘明寺の門前町、という形になるのだと思います。
 ちょっとだけ商店街を歩きましたが、このコロナ禍で用もないのに歩き回るのもあれなので、おとなしくみうら湯に向かいます。
 みうら湯は線路下のスペースを有効活用しているお風呂なんですね。確かに風呂なら音や振動は気にならない。こんな感じで日本全国線路の下を風呂だらけにしてくれるとこちらとしてはありがたいですが、まあ需要と供給と温泉が掘れるかという問題があるからな。

弘明寺商店街 みうら湯

4 花月園跡地



 さて、いよいよ花月園です。こんなタイミングでも無いとここに行くことがないので、今回訪れてみました。
 私が花月園に行ったのは2010年2月。既に廃止が決定しているなかでの、短時間の訪問でした。
 で、今回行くにあたって、何を思ったか私は前回行った際に書いたものを見ずに乗り込みました。何のために書いてるんでしょうかね。そのため、どこが入口だったのか、どうやって入場したのか、について何らの記憶のブラッシュアップもできない状態での訪問です。大昔に廃場になっている三津浜競馬場に行くならまだしも、廃止されてから10年ちょっとしか経ってない場所に行くのにこれだから救いようがありません。
 そして、今回訪問して驚いたことがあります。駅名が変わってました。いつの間に、と思って見たWikipediaによると2020年3月14日でした。案外最近ですね。

 競輪が廃止されてから10年以上経っている上に駅名まで変わっているので、駅構内に競輪場最寄り駅だった痕跡はありません。まあ、駅名変える前でもそんな痕跡廃止と同時に消されてそうだけど。
 ただ、一応花月園の歴史に触れたボードは掲示されていました。場所的に、人が読むことをどこまで期待しているのか分からない案内ではあったけど。遠方から総持寺参拝にやってきた方が花月園・花月園競輪に思いをはせてお寺の鐘を競輪のジャンのごとく叩いてくれたら何よりです。

駅名が変わっています 改札 花月総持寺駅の歴史 ここにあります
競輪場亡き今、ボードの下の
窓口が開くことはあるのかな?
年末年始や総持寺の縁日には
開くのでしょうかね?
総持寺駅について
かつてはここから
川崎大師に電車が
出ていたようです
花月総持寺駅について
ここに競輪の話題が
ちょっとだけあります
花月園について
花月園競輪よりも前の
花月園のお話です
「西の宝塚東の花月園」と
呼ばれた時代があったのですね
総持寺について

 跨線橋を渡って下へ。過去の自分の文章を読み直して見たところ、一旦下に降りてから再度坂をのぼるとありました。あと、競輪場行きのバスも出ていたようなんですが、この近距離でどこをどう走っていたのか、今となっては分かりません。

さすがに競輪場の
案内は消えています
跨線橋
正面上に競輪場があったはず
跨線橋からの眺め
線路の本数が多い……

 私は食事において好物を最後までとっておくタイプの人間です。というわけで、競輪場跡地を右回りに回っていくことにします。
 競輪場跡地は現在公園化に向けて工事中。工事がどの程度コロナの影響を受けたのかは分かりませんが、とりあえず元々は2021年に公園オープンと言われていました。工事車両用のゲート(第1ゲート)には、花月園についての案内が貼られていました。
 この花月園の案内、書き出しが「現在、競輪場となっている花月園は」となっておりますので、競輪場が存在していた時期から、かつてここに存在した花月園の解説のために設置されていたものだと思われます。競輪場が廃止され、この案内文が設置されていた場所も工事対象になったためにゲート脇に移動されたのでしょうね。ひび割れまくってますので、公園がオープンした際には新たに解説板が設置されるかもしれません。その場合、花月園の案内だけでなく、花月園競輪の案内板も合わせて設置されることを願うばかりです。

第1ゲート
左に花月園の案内板
花月園の案内 開発事業のお知らせ この道路の様子

 そんなわけで、右回りにまわっていくと、住宅街の坂道をぐんぐん上がっていくことになります。花月園は住宅街のど真ん中にあってナイター化は不可能だった、という話をどこかで耳にした記憶がありますが、それがよく分かります。というか、競輪場云々の前に、遊園地としての花月園であってもこんな住宅街のど真ん中にあったら迷惑施設だよなあ。住民の方々と花月園、どちらが先にここに入ったのかは分からないですが……。

 なかなか競輪場に接近できないなかで、ようやく工事現場のゲートに到達しました。
 あらためて、何が失敗だったかというと、以前花月園競輪に行ったときに場内案内図を撮り損ねていたことです。そのため、花月園の入場口がどこにあったのか分かりません。正門の場所は見当がついているのですが、問題はそれ以外。競輪場の近くに住むからには、競輪好きな人が1人くらいいたっていいわけで、そういう人は果たしてどこから入場していたのか。あるいは、住宅街に向けて競輪客という汚物を放出するわけにはいかないので、裏口なんてものは存在しなかったのでしょうか。
 ネットを見ても、パパッと検索した限りでは、花月園の場内案内図は発見できず。その代わりといっては何ですが、最近は自分の中でサッカーでしか話題になっていない流通経済大学の経済学部の杉山和明教授が、同大学の創立五十周年記念論文集に「花月園競輪等に関する新聞報道と「レジャーの空間」の変容 : 1985〜2009年における全国紙掲載記事の分析」という論文を載せておられます(ネットでダウンロード可能)。これの「はじめに」で触れられている各文献はいつか見てみたいです。いつになるかは分かりません。なお、杉山先生が撮られた写真によると、第1工事ゲートに設置されていた花月園の案内は、かつては駐車場入口にあったようです。

 そんなわけで、かつての第3コーナー裏あたりの工事ゲートから撮影。土が盛り上がっている部分はありますが、これは旧バンク・旧スタンドの盛り土というよりは、公園のための盛り土という感じでしょうね。

3コーナー裏工事ゲートと、そこに貼られていたもろもろの案内

 さらに歩くと、低めの金網フェンスが登場します。そこから中をのぞき見。まあ、普通に公園が造成されつつありますね、という以上のものはなにもありません。
 ちょっと面白かったのが、このあたりの町内会かなにかにプロレス好きの方がおられるようで、大変凝った注意書きが多数掲示されておりました(見たことある選手なのは間違いないのだが、プロレスに疎すぎて誰だか名前が出てこない)。


 さて、こうして一旦坂を下ったのですが……競輪場跡地に近づくためにはまた坂を登らねばなりません。暑い中、苦行を積み重ねるのであります。というか、さっき風呂に入ったばかりなのに、なんで汗かく作業を繰り返してるんでしょうかね、私は。

ここを登ってみた 内部は見えません 看板があったので最後まで
登ってみたら、競輪とは無関係
(でも、競輪場の建物が載っており
これがいつまで残るか興味深い)

 このあと、再度下に降りるのが嫌だったので、明らかに地元の方向けの細い路地を歩いて競輪場の裏口があったならばここに入口があったのだろう、という場所に向かいます。競輪場がなくなってから10年、せっかく平和になったと思ったのに、不審者がうろついております。通報されなくてよかった。
 で、繰り返しますが、ここらへんに裏口があったかなかったかは知りません。ただ、ちょっと気になるのがこのあたりの不審者対策看板の多さです。もちろん平和な住宅街っぽい雰囲気はあるので、不審者対策の看板があるのは不自然ではないのですが、「競輪客対策」と言われた方が納得がいく感じです。まあ、このあたりは令和の世の中となっては分かりません。とはいえ、看板に書かれている575の注意標語はすべて異なっていて、防犯意識の高さが分かります。

行き止まりの場所からの眺め グレーの薄い膜で覆われていて、奥が見えそうで見えない 曲がり角
切れ目があったので、ちょっと覗いてみましたが、特に競輪場の残骸は見えません 声とカギ
共にかけあう
地域の輪
ひったくり
いつも心に
注意の目
「防犯」が消えかかってるので
それなりに年代物だと思います
ひったくり
じっと見ている
あなたのスキを
ひったくり
心で用心
目で用心

 で、もうちょっと進みますと、しっかりと中が覗ける場所に到達しました。さっきまで頑張ってたのがむなしくなるくらいしっかり見えます。
 中を覗く限り、競輪場の残骸は無く、公園としてオープン間近、という感じです。一体何のために頑張って中を覗きながら一周してきたのか分からなくなりますね……。


 そして、ここにみんなが頼りにしている交番があります。交番、というか、名称は「鶴見警察署東台連絡所」という名前です。見た目はよくある交番なのですが、「連絡所」という名前がついていることは普通の派出所とは違い、もしかしたら警察官が常駐しないのかもしれません。鶴見警察署地域課のページにも載っていますが、「京浜急行線花月園前駅下車徒歩10分」とあり、未だに最寄り駅が修正されていないので、競輪場がなくなった今、鶴見警察署としてもあまり重きを置いていないのかもしれません。

 その近くに総持寺に向かう道があり、総持寺が広域避難所指定されているために、「広域避難場所」の案内板があります。
 ここにきて、ようやく、右下に「至 花月園競輪場」の文字が登場しました!!いやあ、長かった。暑かった。疲れた。実は、過去の宇都宮競馬場や門司競輪場の成功体験から、住宅案内図がないか探し回ってたんですが(←不審者)、これまで発見できなかったのです。そんななか、競輪場そのものは描かれていないものの、「花月園競輪場」の文字が見つかったんだから喜びもひとしおです。いやあ、本当に何も見つからなかったらどうしようかと思いました。

鶴見警察署東台連絡所 このあたりからの眺め やっとみつけた花月園競輪場の文字!
広域避難場所看板

 いやあ、満足しました。てことで、下っている途中にお寺があったので寄ってみます。東福寺というお寺のようです。競輪場であたった喜びで心臓発作になって死んだ人が一人くらい埋葬されているのではないでしょうか。
 不謹慎な冗談はさておき、住宅街の中にあるお寺で、どうせ葬式寺院だろうと思っていたところ、しっかりとした仁王像があったりしてちょっとビックリしました。

交差点にスペースがあって、石碑などがありました 葬頭河婆
奪衣婆のことみたいです
山門 立派な仁王像が鎮座しています
左手の石碑 せっかく降りたのに
また階段を上ります
本堂 慈悲観音 子育観音
大師堂 四国88カ所の写し霊場のようです 修行大師像 納経塔

 このお寺からは、競輪場跡地の景色がよく見えます。花月園競輪が稼働していたころは、おそらくはスタンドしか見えていなかったんでしょうが……。

Google Photoさんがパノラマにしてくれました あじさい

 さてさて。ここまできて、疲労困憊。さきほど広域避難場所の看板を見つけて満足していたこともあり、やる気を失っておりました。
 そのため……本来の正門前にきたのに、軽くスルーしてしまいました。まあ、このあたりを歩いている時点で自分が書いたものを呼んでなかったので、ここが正門だったということを認識していなかったわけですが。それにしたって、これまで無駄な寄り道をしまくっておいて、肝心の正門跡地に近づくことなく軽くスルーするとは、我ながらアホすぎます。何やってるんでしょうか……。
 
 脇に保育園があり、「ここは保育園です」という看板が出ています。保育園でなく老人向けの養老院であると勘違いした競輪客がいたのでしょうか……。

この先が正門です
が、ここから先に進みませんでした
正門に向かう交差点に、保育園があります
将来の競輪客の英才教育のためなのでしょうか

 さて、ぐるっと回って下までおりてきました。お疲れ様でした。もう坂なんて登るなんて言わないよ絶対。

 で、ちょっとふらふらしながら、総持寺を目指します。

街頭犯罪等抑止総合対策実施中
街頭犯罪等」が赤字なのは
どういう意味なのでしょうか
凄い踏切ですね 便利屋の宣伝がついている椅子 町内会の掲示板
同じ町内会のものなのですが、
競輪場に近い場所にある掲示板には
「防犯」の看板がついております

5 総持寺

 最後は総持寺にお参りです。鶴見と言ったら総持寺ですね。

 さすがに大寺院。何から何まで巨大です。学校法人も持ってるとは知らなかった。競輪について教えていたのでしょうか?

 そして、ここにもありました、広域避難場所の看板。ここにももちろん、花月園競輪場の文字があります。

大きな看板 たとい難値南遇の事あるとも
必ず和合和睦の思いを生ずべし
参道 学校法人も持ってるようです 広域避難場所の看板
ここにも花月園競輪場の文字!

 で、ここで残念なお知らせ。新型コロナウィルスの影響で、参拝可能なエリアが盛大に制限されておりました。
 おそらく、総持寺は修行道場としての役割が大きく、参拝客が修行僧の皆様にコロナをうつしてはいけない、ということなのではないかと思います。こればっかりは仕方がない。

境内案内図 三末関 三門 仁王像 立入可能エリアの案内

 というわけで、今回立入が許されたのは三宝殿方面だけでした。……また階段登るのか……。

三宝殿と平和観音と祈りの鐘の案内 観音像 ここを登ります
ここで体力使うなら
競輪場の正門に行けばよかった…
殉難船員の碑 欧州戦乱殉難会員の碑 平和救世観音
巳野兼吉氏の像 三門を見下ろす 三宝殿 祈りの鐘 三亀 ラッド博士の碑 穴熊稲荷

 というわけで、最後はあじさいを見て終了です。
 いやあ、風呂に入ってから汗を流すという愚かな行為をとりましたが、世が世なら競輪場で鐘をドブに捨てる愚かな行為をとっていたわけで、健康的な分まだマシだったかもしれません。総持寺は立ち入れない場所が多かったですが、これはこれでまた将来のお楽しみ。


 帰りは鶴見駅から。
 鶴見駅の案内板は、花月園競輪が存在した時期から花月園競輪の名前を出していませんでした。
 そして今回は、早々にスタンドを撤去した地図を載せておりました。鶴見駅の地図は時代の最先端を行くようです。

前回の地図 今回の地図

というわけで、お疲れ様でした。




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