TAMAとTAMANO

TAMA映画賞授賞式

 元々は特に映画好きでもなんでもなく、特に20代のころなど見た映画の本数は一桁じゃないかと思います。「誘ってくれる人がいなかったんだろ」というご指摘はまさにその通りでして、誘われるままに見に行ったせいでマトリックスは2だけ見てたり、ロードオブザリングも1つだけ(どれか忘れたレベル)見たりと、酷いもんです。
 20代の頃自主的に見に行った映画はおそらく1本だけです。その栄えある1本はなにかというと、「ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢」(filmarksのリンクを貼っておこう)であります。自分が思い入れのあるコーラスライン由来ですね。ちなみに、この映画を見たのは今は無き大街道のシネマサンシャインで、平日の昼間に見に行ったせいで観客は私1人だけでした。1人だけの映画鑑賞は後にも先にもこれだけであります。

 そんなこんなですが、2度目の松山時代には色々あって映画をそこそこ見たりもしまして、一応映画というものがそれなりに身近になってはきておりました。
 とはいえ、やはり「映画鑑賞が趣味です」と胸を張っていえるだけのものはなく、空き時間ができたときに寄席に行くか映画に行くか家で寝るかを考える、程度のレベルです。まあ、これだけの選択肢が用意されているのが都会の良さであります。

 さて。
 今回のテーマの映画は2つ。1つがTAMA映画賞です。
 思い返すと、東京競馬場には多摩川ステークスとか奥多摩ステークスとかがあるのは知っておりますが、多摩特別とか多摩ステークスってのは聞いたことが無いな。と思って検索してみたところ、netkeibaによると、1962年〜1967年まで多摩ステークスがおこなわれており、1968年に奥多摩ステークスがおこなわれるかわりに多摩ステークスが消えています。JARは多摩を捨てて奥多摩に走ったようですね。また、多摩特別については1958年〜1983年までおこなわれており(若干の抜けあり)、1970年〜1983年までは多摩特別・奥多摩特別ともにおこなわれていたようです。有名どころでは、1962年の天皇賞馬クリヒデは多摩特別が天皇賞前最後の勝利で、多摩特別のあと2着3回で天皇賞制覇です。
 そして、TAMA映画賞。TAMA映画祭(TAMA CINEMA FORUM)Wikipedia)は、市民ベースで(とはいえ多摩市制20周年で始まったようなので、行政もかなり介入してるはず)できた映画祭で、2021年で31回目をむかえます。そして、その中で途中から映画賞が始まり、これが2021年で第13回をむかえます。歴史としては、映画祭は白馬より上、映画賞は白馬賞の方が先輩にあたる、ということになります。

 で、お前はいつからTAMA映画賞に興味を持ったのか、という本題に入ると、興味を持ったのなんて開催の直前です。何故興味を持ったか、というと、単純に駒井蓮さんと有村架純さんが出るから、という極めてゲスな理由からであり、救いようがありません。映画への興味はその次です(「いとみち」は既に見てますが)。
 てなわけで、駒井蓮さんと有村架純さん以外に誰が出るのかもよく分かっていない中で向かうは府中の森芸術劇場。名前は聞いたことがありましたが、まさか東府中から北方向に進むなんて思いもしません。おおよそ、東府中⇔東京競馬場と等距離にですね。

 んで。まずはドライブ・マイ・カーという3時間の長編映画を見て、その後映画賞授賞式となります。
 ドライブ・マイ・カーについては、「長い」ということ以外は完全に事前情報を持っておらず、原作が村上春樹さんだとか、劇中劇のワーニャ伯父さんはストーリーも知らない状態でした。そんな状況で、市民会館的な場所で長編映画を見るんだから、途中多少力尽きます。てことで、巷で極めて評判のよい映画ですが、自分としてはまあそこそこでした。
 映画賞授賞式は残念ながら(当然ながら)写真撮影禁止なので、写真なしです。生で有名俳優陣を見られて満足です。駒井さん有村さんはもちろんのこととして、役所広司さんですよ。スターですね。思ったよりも体格がよく、遠く離れた壇上でもしっかりと目立っておりました。いやあ、生で役所広司さんを見られるなんて幸せです。やはりおっさんはおっさんを見てキャッキャしてしまうのであります。ただ、残念だったのがせっかくの受賞映画は既に都内は全般的に公開を終えていること。佐木さんの原作も読んだこと無さそうなので(記憶がずさん)、原作共々しっかりと見ておきたいところです。

府中の森芸術劇場 インスタ映えするポスター 花が出てます 舞台
写真撮影できるのはここまで
TAMAシネマフォーラムの案内
たまシネマ通信 協賛・協力のみなさま 部外者は、300円以上の寄付制でパンフレットゲットできます


TAMANOの映画

 引き続き、玉野の映画です。

 どういう経緯で撮影がおこなわれることになったのかは分かりませんが、玉野競輪場を舞台とした「渚のバイセコー」という映画に三宅伸選手が出ているということです。どういう経緯でこの映画の存在を知ったかは忘れましたが、Twitterのキャンペーン経由でガッツ玉ちゃんの人形をゲットしてしまい、Twitterで「行く」と宣言してしまったため(競輪のゆるキャラをゲットするのはいつぞやのわかちゃん以来だと思われます)、乗り込んだのでありました。
 なお、映画の性格としては玉野市のPR映画という感じで、3部で空気階段が競輪場に行く前に玉野の観光地をまわるあたりはその色が強いです。ただ、これを見て玉野に行きたいと思った人は果たしているのでしょうか……。

プレゼントいただいてしまいました!
玉野リニューアル前にガッツ玉ちゃんの人形getできて感無量です。

映画も見に行きます! https://t.co/o9ai5CUzEs pic.twitter.com/GGiRWGtowe

— black.king (@northern_shower) October 9, 2021


 で、行くならば舞台挨拶がある日がいいよね、ということで、吉祥寺で舞台挨拶があるタイミングを見ての鑑賞です。
 当日舞台挨拶に立つ予定の尼神インター渚さんが集客を心配しておられましたが、なんとか観客はほぼ満員。

 映画は3部構成で、三宅選手は最初のパートのみの出演です。
 最初の若手に説教する老害のシーンは、なんとなく大昔のJRAの岡部vs勝春を思い出しました。このあたりの三宅選手のセリフ回しを見ていてハラハラしましたが、その後はスムーズに流れていきました。競輪場内の風呂のシーン〜自身が出演しているテレビを見るシーンへの流れ、その際の三宅選手の表情は個人的に非常に好きです。

 その後は、まああの自転車はそうなるよね、という感じでしたが、3部とも楽しめました。
 ほぼ満員の観客のうち、果たして三宅選手目的で見に来ていた人間は何人いたのか分かりませんが、とりあえずスクリーン上で躍動する三宅選手を見られただけで満足です。三宅選手は2021年時点で52歳ながら今なおS級ということで、本当に凄いです。思い起こせば、私は何故か三宅選手が勝った2008年の全日本選抜を見に行っており、三宅選手がスターになっているのを見るのはそのとき以来だとおもわれます。このときはまだあまり写真も残しておらず、また場内撮影禁止の空気も強く、というかHDDがクラッシュした影響で、ブログに若干残ってる写真がこのときのすべてです。我ながらもったいないな。
 そして、この全日本選抜で三宅選手を引っ張って優勝に貢献した石丸選手はその後も特別競輪は勝てず。なんというか、競輪という競技の難しさを感じさせますね……。

 ちなみに、これの第3部、かたまりさんが狙ってた彼女は普通にかたまりさんをなんとも思ってないだろうという目線で見てたんですが、ゆりあんがかたまりさんを思っているのを理解して(まああの場に来てるんだから容易に分かるわな)あえて男を連れてきたという解釈をしている方をどこかで見かけまして、なるほどな、と思った次第です。


 舞台挨拶は、監督が直前入りして打ち合わせが十分にできなかったせいもあるんでしょうが、渚さんが場をつくろうとして喋りすぎてたような……。まあ、この場にいたお客さんの多くは芸人さんのファンだろうからこれも仕方ないのかなあ。
 ただ、この蔦哲一朗監督、みんなが知ってるあの池田高校の蔦監督のお孫さんということです。どうも蔦監督(野球)についての映画も撮られているようで、機会があったら見てみたいですね。

弁天湯

 吉祥寺の銭湯といったら、駅前のビックリするような立地にあるよろづ湯を思い浮かべるのですが、Google Map情報で休業となっていたので、ちょっと遠くにある弁天湯にいってみました。こちらは今回が初めてです。
 下駄箱上にある方圓堂さんの広告が昭和感あっていいですね。別に何を調べたわけじゃないけれど、今時の広告で単語の真ん中で開業するパターンって少ない気がします。


 そんなこんなで、風呂を浴びておしまいです。玉野は改装後に再訪すると思いますが、果たしてどうなっているのやら……。

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