サイレントハンター

 サイレントハンターは、臼田浩義氏と吉田豊が仲の良かった時代の代表馬であり、その後ゴーステディの一件かなにかを機に臼田氏は「大久保洋吉厩舎に馬を預けるけれど吉田豊は乗せない馬主」として一世を風靡することになります。が。
 実は、吉田豊騎手は臼田氏の馬に少ないながらも乗り続けていたようであり、その関係は謎であるとされています(臼田浩義氏が吉田豊騎手を乗せなくなったきっかけがわからない)。これは大変興味深い。「そんなに吉田豊を乗せたくないなら大久保厩舎に預けなければいいのに」と昔から思っていたのも事実でして、私としては、「実は臼田浩義氏は吉田豊の大ファンで本当は乗せたかったのだが、娘(←いるのかどうかもしらない。場合によっては妻でも息子でも愛犬でも可)が吉田豊をいたく嫌っており、娘(←注意文は左と同じ)が出張か何かでいないときにしか吉田豊を乗せられなかった」という説を提示したいと思います。臼田さんもすでに亡くなられており、このあたりの真相はなにかのきっかけで大久保さんが暴露するのを期待するしかありませんね。

 さて、G1勝利を求めていたのはサイレントハンターですが、今回私が出向いたのは化石ハンター展です。場所は泣く子も黙る東京国立科学博物館。
 今回は、たまたまネットを眺めていたところ、特別展の総合監修を担当されていた木村由莉さんの投稿だかなんだかが目に入り、「特別展ができるまで」という流れが面白くて紀伊國屋書店で木村氏が書いたサイン本を買うところまでいってしまいました。
 なお、化石は英語でFossilなのですが、私はこの”Fossil”という単語を何十年ぶりに書いたのでしょうか。書いたのは別にどうでもいいんだけど、この単語を調べること無く書けたことに驚きました。単語を覚えたのは8歳か9歳かのころだと思うんですが、人間の記憶力って凄いですね。もちろん、”Fossil”自体はおそらくその後の海外旅行で博物館的な場所に行った際に目にしてるんだとは思うけど。

サイン本ゲット 入口 デデン!

 そんなたいそうな意気込みで乗り込んだ化石ハンター展ですが、なんと、お馬鹿NPは化石ハンター展に行く前にこの本を読みませんでした。なにやってんだか。

パンフレット 音声ガイドのチラシ 現地マップ 実物とレプリカの扱い ごあいさつ

 この特別展ですが、基本的には化石そのものではなく、ロイ・チャップマン・アンドリュース氏という”化石ハンター”を手がかりにその事績を追いつつ、最後は今の調査の到達点、特に”アウト・オブ・チベット”説まで展示するという流れになっております。
 おそらくこのアウトオブチベット説というのはしっかり考えると最先端の非常にハイレベルな話なのでは無いかと思いますが(高校の教科書までおりてきてるのかな?)、化石を眺めながらキャッキャしているうちにここまで到達できてしまうというのは凄いことです。

 アウトオブチベットと聞くと、熱心な競馬ファンは「アウトオブアメリカ」を思い出しますね。アウトオブアメリカは初代Winning Postではまさにアメリカを飛び出して日本にやって来たサンデーサイレンス産駒でした。サイレントハンターと同じ父であります。ウイニングポストのスーパーホースのネーミングセンスって凄いですよね。

第1章 「伝説の化石ハンターの誕生」

 そんなわけで始まりです。アンドリュース氏の下積み時代から。まずは鯨類調査の補助からキャリアが始まったとのことです。師匠にあたるヘンリー・フェアフィールド・オズボーン氏についてももちろん私は知らなかったんですが、Wikipediaを見ると、「ティラノサウルスレックス」の名付け親とのことです。凄い奴じゃ無いか。

第1部 アンドリュースヒストリー オズボーンとの出会い 若き探検家
アジアに降り立つ
アンドリュースの鯨類調査 アンドリュースと国立科学博物館
イワシクジラ ツチクジラ

第2章 「アンドリュース、ゴビ砂漠への探検」

 下積み時代を経て、アンドリュース氏がゴビ砂漠を探検するに至った経緯です。一人で探検するなら勝手に行け、でいい話ですが、もちろんしっかりした学術調査のために向かうわけですから下準備も重要です。アンドリュース氏は結果的に成功したからいいけれど、おそらく似たような形で夢破れた方も多くおられるのでしょうね……。
 
 恐竜の卵の親が分からない、というのも面白いですね。恐竜の卵というと、私はピー助とともに成長した世代ですので、卵が1個ぽつんと見つかる姿をイメージしてしまいますが、実際はもちろんそんなことはないのでしょうな。

梱包用にラクダの毛を使ったらしい 炎の崖 プシッタコサウルス
1922年の探検時に見つけたらしい
(展示は別の場所で見つかったもの)
プロトケラトプス
炎の崖で発見され、アンドリュースの名が学名に残ってます
恐竜の卵化石の発見 卵の色について。展示されているのはエミュー
中央アジア探検隊が発見した恐竜たち
哺乳類だけだと子供が(大人も)飽きるので恐竜も展示します
バクトロサウルス
Wikipediaの説明が極めて簡素(2023年6月時点)
復元画がなぜこうなるのか。凄いなあ。
アーケオルニトミムス
ヘーユアンニア ベロキラプトル。ジュラシックパークにも出てたらしい ピナコサウルス

第3章 「アンドリュースに続け、世界の恐竜ハンター」

 いい加減何でもかんでもアップすることに罪悪感が出てきました。サクサクいきます。
 アンドリュース隊が入ったのが1920年代。ベルサイユ条約の直後であります。よく考えたら、ヨーロッパはグダグダな時期だったんですよね。世界的な覇権がアメリカにうつろうとしていることの1つの現れだったのかもしれません。

 日本人がゴビ砂漠に探検に行ったのは1992年が最初であるとのこと。意外と最近ですね。ライスシャワーとミホノブルボンがしのぎを削っていたころ、ゴビ砂漠で化石を削っていた日本人がいたのですな。
 解散されたという林原自然科学博物館についてはWikipediaにも記事があります。なんと、あのイオンモール岡山って元々この博物館があったのか!!

アンドリュースに続け 1970年代までの発掘
ネメグト盆地の”発見”
タルボサウルス タラルルス
アビミムス 女性ハンターの活躍 コンコラプトル
1980年代の発掘
中国・カナダ恐竜プロジェクト
大きな脳を持つ恐竜 シノルニトイデス 1990年代以降の発掘 ゴビ砂漠の化石の成り立ち
鳥のような恐竜 モノニクス
卵どろぼうは無実 プロトケラトプスの卵と、オビラプトル類のシチパチ。名称の経緯はWikipediaでも詳しい
日本の化石ハンター 日本のゴビ砂漠発掘調査の歴史 ゴビベナトルの発見と研究
ネメグトマイア発見命名物語 シノルニトミムスの発見から研究

第4章 「アンドリュースが追い求めた哺乳類の起源」

 サクサク行くとか言ってたはずなのに全然サクサクしてないな。

 第4章は、哺乳類の起源について。だんだんとメインのアウトオブチベット説が近付いてきている感がありますね。
 中央アジア探検隊はあくまで哺乳類の起源を追い求めていたのである、という流れです。

アンドリュースが追い求めた哺乳類の起源 史上最大から小型のものまで パラケラテリウムの発見
パラケラテリウム
GPSも携帯もない
100年前の発掘
経緯儀 水準儀
小さな哺乳類化石の発掘 ツァガノミス。ツク之助さんの絵が素晴らしい クリケトプス
哺乳類化石発掘マップ プラティベロドンの発見 エンボロテリウム
アンドリューサルクスの発掘

 よく考えれば確かにそうなのだけれど、印象に残っていることが、発掘現場がどこだったかが分からなくなった、という話です。確かに、あの広いゴビ砂漠、今のようにGPSでしっかりと緯度経度を記録できない時代であれば、場所が分からなくなっても致し方ないところです。
 あと、アンドリュース氏はのちにアメリカ自然史博物館の副館長から館長になったとのことです。あのアメリカ自然史博物館の副館長とアンドリュース氏が結びつくのか。たしかに、やっていることの方向性は同じだ。急に身近に思えてきたぞ。そもそもアメリカ自然史博物館はまったく身近じゃないのだけど。

アンドリュースと
アメリカ自然史博物館
失われた発掘地を求めて プラティベロドン・クオリーの再発見 なぜアジアで
人類の起源を探したのか
The New Conquest of Central Asia

第5章 挑戦の地、チベット高原へ

 最初、「朝鮮の地」と変換されました。チベットは朝鮮だったのです。
 くだらないことはさておき、アンドリュース氏を離れて、今の最先端の研究へと話題がうつっていきます。
 インド亜大陸の移動と古アジア大陸との衝突、隆起、ヒマラヤ・チベットの隆起、チベット高原の形成


 そして、ここに登場するのがヒッパリオン動物群。まさか、ここにウマの祖先が登場するとは。ヒッパリオンはつい最近、まるごとウマ展で見たはず……と思ってまるごとウマ展の写真を見返したのだけれど、いませんでした。あれれ。どこで見たんだ。それともこのあとどこかで見たのと記憶と順番が混同したのか。
 ヒッパリオンの頭骨は滋賀県立琵琶湖博物館所蔵、上顎歯は群馬県立自然史博物館と瑞浪市立化石博物館所蔵。モウコノウマは科博所蔵です。科博所蔵で使い勝手がいいのか、モウコノウマの頭骨は、こののちワイルドファイヤー展でも見ました。

モンスーンが生んだ動物たち ヒッパリオン動物群 ヒッパリオン
ヒッパリオンの上顎歯。実物化石です プロゴノミス
ディノクロクータ
復元画がかっこよすぎる
ブチハイエナ
ニホンエオミスタイプ標本 ユーロゼノミスタイプ標本 キロテリウム
キロテリウム。美濃加茂市民ミュージアムいるんですね キロテリウム

第6章 第三極圏の超大型獣に迫る

 さあいよいよアウトオブチベット説に迫ります。そして、本展覧会のメインビジュアルを務めるチベットケサイの親子の標本が登場です。
 今まで、博物館に展示されている化石などについて、どのようなかたちで展示されているのかは全く意識したことがありませんでした。そこには、展示に携わる研究者の皆様の思いや遊び心が詰まっている、というのが分かっただけでも、今回の特別展に行った意義はあったと思うのであります。

 アウトオブチベット説については、特定の定義があるわけではないとのことですが、鮮新世のチベット高原で哺乳類の先祖が寒冷に事前適応し、第四期更新世になってチベットから哺乳類がアジアやヨーロッパに進出した、ということのようです。

 さて、そんなチベットケサイ。非常に大きな角が目立ちます。どうも、この角で雪をはいて食料を探していたという説があるようです。
 そして、ここの親子の展示は、親子が人間に遭遇し、人間を威嚇している姿をイメージしたとのこと。子を守る親動物というのは危険極まりないわけで、こんな場面に出くわしたら逃げるほかありません。くわばらくわばら。

第三極圏の超大型獣に迫る 大型獣の起源を探る アウトオブチベットの由来 アウトオブチベット説とは 復元のこだわり チベットケサイ 家族の物語
親子3人。こどものチベットケサイがかわいいですね。「ちべたん」という名前には出来レース感がありますが。
父親は骨だけになってしまっていて、ちょっと寒々しいです。なんというか、バラモスゾンビを思い出します。
新説の証拠、チベットケサイ チベットケサイの下顎 チベットケサイの頭骨
ケブカサイ下顎 ケブカサイ頭骨の実物化石 ケブカサイの角

 つづいて、アウトオブチベット説を支える、その他の哺乳類の先祖たちです。みなさん総じてイケメンです。復元した人がイケメン好きなのではないでしょうか。

羊の祖先、プロトオービス アルガリ
頭骨の実物化石
チベットユキヒョウ チベットユキヒョウの頭骨 ユキヒョウ
チベットザンダギツネ 手前がチベットザンダギツネで奥がホッキョクギツネ ホッキョクギツネ

 そして、極寒環境を生き抜く動物たち。
 ターキンと聞くと、レッツゴーターキン、そしてシャダイターキンしか思い浮かばないのですが、もちろんこちらのターキンは馬とは関係ありません。ヤギやヒツジの仲間だそうです。
 このターキン、目から鼻が広がっているのは、鼻腔で吸った冷気を暖めるためだとのこと。なるほど、すげえなあ。

極寒環境を生き抜く動物たち
生き抜くために様々な工夫があるのであります
バーラル
ヒマラヤタール ターキン

第7章 次の化石ハンターとなる君へ

 科博らしい、ある意味では一番重要なコーナー。将来化石ハンターを目指す若者たちへのコーナーです。化石ハンターへの夢を叶えた総合監修の木村氏自身の思いも詰まっているのではないかと思います。


 そんなわけで、肝心の木村さんの本は本展覧会を見たあとに読みました。展覧会を支える様々な人の声が聞ける、大変興味深い本でした。

 科博はこれで一旦終了。このあとは、東京芸大へと向かいます。



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