北海道遠征記
by トリ
9月5日
遠征初日。朝一の飛行機で北海道に向かうため、午前4時ごろ起床。そして始発電車に乗り込む。眠い。それ以上に不安だったのは、集合時間・場所を知らなかったことである。途中でNP、長老にメールを飛ばすも応答なし。どうやらBT宅でまで寝ているようだ。とりあえず羽田に向かう。
羽田に着くとようやく応答があった。しばらく着かないようだった。というわけぼーっとロビーに立っているといきなり知り合いの女の子に会った。相当不意打ちをくらってびっくり。どうやら、同じ便に乗るらしい。そんなこんなしているうちに時間もつぶれ長老、NPと合流。BTはバイトの関係で3日目から合流である。
何事もなく新千歳空港に着き、レンタカーを借りる。ここで誤算だったの予約無しだとかなりの数の会社が満車であったことである。ようやく何件か回って、三菱に落ち着く。さらにここで誤算が。ナビ付の車にする予定だったのにナビはもう無いらしい。しかたがないのでそのまま出発。かなり、白馬らしいスタートである。
初めの運転手は僕であった。この旅行の4人は全員運転ができたので楽であった。しかもそれぞれの役割分担があった。昼間担当が主に僕で、BTと合流した後は2人が昼間担当となった。長老は高速担当。しかし高速は初日しか乗らないので後に夜ドライバーに転向。NPは夜担当である。
僕の運転でしょっぱなに向かったのは空港にほど近い社台SS。たくさんの観光客がいた。駐車場にとまっている車はほとんどレンタカー。それもそのはずここには大物がたくさん集まっている。トウカイテイオー、メジロマックイーンからアグネスタキオンまで。さすがに千葉県の牧場とは違う。千葉ではヒシアケボノ、ロイヤルスキー、サンプレイスで感激ものなのに。しかし、ここの見学は全て、見学スタンドからである。これが微妙に遠い。さすがに大物だからしかたないのかもしれないが。帰りがけにショップによって次の目的地へ。
ノーザンホースパークに到着。ここは完全に観光牧場である。さまざまな遊ぶスポットが用意されていた。テニスコートやバスケットコートを横目にとりあえず博物館へ。社台生産馬が勝ったレースのトロフィーがこれでもかと並べられていた。そして善哉氏のありがたい言葉が並んでいた。続いて、厩舎に行くと乗馬用の馬がたくさんいた。サラブレッドからクオーターホース、半血馬まで。しばらく歩いたところにダイナガリバー、ステージチャンプがいた。NPが散々ダイナガリバーを馬鹿面と言っていたためか、ガリバーはすねてずっとこっちにけつを向けていた。はたしてNPは馬鹿面を写真に収めることができたのだろうか?そういえば、ノーザンホースパークにはノーザンポラリスの消息を知るために来ると言っていたが、NPはわかったのだろうか?
せっかくノーザンホースパークに寄ったのにテニスもせずに次の目的地旭川へ。高速をひたすら突っ走った。わざわざこんな長距離移動したのは旭川ナイター競馬を観戦するためである。市街地からかなり離れた山奥に入り、本当にこんなところにあるのかと不安になりかかったころにようやく到着。回りには本当に何もない。入場。出馬表を見ると千葉津代士ジョッキーが出ていた。というわけで僕は彼の馬券を買い続けることにした。彼の連対率は2割強で、今日は4鞍しか騎乗しないので1連対がいいところかなと思っていたら、やはり1連対しかしなかった。しかも、それをはずした。というわけで僕は旭川ではマイナス収支となった。この日のメーンは2歳の重賞だったのだが、最もメンバーがそろっていたのは最終レース。元JRA所属のセイリュウオーやノーザンウェーなどが出走。ちなみに最も賞金が高かったレースはJRA認定の2歳の一般戦であった。やはり地方の賞金は中央と比べて格段に低い。
ナイター競馬といえばビール。というわけで僕は後の運転のことは心配せずにビールを片手に観戦した。幸せなひと時である。親父といわれようと仕方がない。これはやめられない。しかし、計画性のない白馬はこの時点で今晩泊まるところが決まっていなかった。NPは必死に電話をしていた。結局、富良野でなかなか良い条件のところを取った。
旭川で最終レース終了後、速攻富良野に移動。旭川・富良野間はそこそこ距離があり、しかもこの時間である。無謀きわまりなかった。ここで夜間ドライバーの出番。NPが恐ろしいスピードで飛ばし10時ごろには到着。助手席に乗っていた人間としては生きた心地がしなかった。特に1度追い越しをしようとして対向車が来た時には終わったと思った。就寝。