メキシコ旅行記その24
1月6日その7
続いて、Templo de Tableros Esculpidos。英語の説明文によると、名前の由来は南北の壁に描写された数多くの人、植物、動物らしいです。そして、それらは実在のものもあれば、空想上の者もあるとか。
しかしながら、その説明文を読んでいるのは帰国後なので、名前の由来となった描写は何一つ写真に撮っていません。
それにしても、建物が崩壊状態なのにもかかわらず、立ち入りが自由なのはなぜ?カラコルと比べて人気がないから?それとも、この建物には価値がないから?完全なレプリカ?
この建物の周りにも意味があるのかないのか分からない彫刻っぽい石があります。蹴っ飛ばしたりなんかして壊したら、大変なことになるんでしょうか。ヘタレな僕にはそんな実験をする勇気はありません。
そして、階段の下には通路っぽいものの跡が。昔はもっと複雑な形をしていた建物なんでしょうかね?でも、一応マヤのアーチ状の通路になってますね。
さらに奥へ進みます。この先の見所としては、尼僧院が有名なんだと思いますが、先に奥の細道を進み、El Akab Dzib(エル・アカブ・ジブ)へ。何語なんでしょうか、この名称は。なんとなくシシカバブを思い浮かべるんですが。”メイショウナニゴ”なんて馬はいつか出てこないかな、とくだらんことを思ってしまいました。
ここまでくると、人は少ないです。全般的に、旧チチェンの観光客数は新チチェンに比べ、半分かそれ以下、くらいの感じだったのですが(時間的な問題もあると思います)、ここまでくると本当に人が少ないです。僕が長々とこの建物を見ている間、ここを訪れた観光客はわずか2組でした。今考えたら、強盗とかに襲われても文句いえないよな。まあ、明るかったし、危険な香りは全くありませんでしたが。
この建物も中には入れないので、そとから覗き込むだけなのですが、中はいくつかの部屋に分かれており、通路もあるみたいで、結構構造は複雑なのではないかと思います。
また、この建物も装飾が少ないですね。修復が不完全だ、ってことなのでしょうか?それとももともと?
外観は二階層になってますね。軒に三角形のひさしっぽいのが出っ張ってますが、これはこの建物と、このあと見る建物くらいでしか見た記憶がないのですが、気のせい?てか、機能面ではあまり意味がなさそうだから、一種の装飾なのかな?
ひさしのすぐ下にいくつか小窓があるのですが、これは何のためなんでしょうか?
裏側に回ると、修復途上(後回し?)さが分かる崩壊状態でありました。
さて、いよいよ見学も佳境に入ってまいりました。ここらへんにくると、歩き方も訳が分からなくなってきておりまして…下記の建物のお名前な〜に?
一応、「付属の尼僧院」という名前がメジャーなようなので、これを採用(一応、英語の説明文にも「尼僧院」的な言葉がみられます。僕のメモには"East Annex"という言葉が書かれてるんですが、どこに書いてあったんだろう?)。やる気のない名前ですが(パレンケのGroup Bとかよりはマシか)、まあよく分かっていない、ってことなんでしょう。尼僧院、ってのも本当にそうだったのか怪しいところですし。
ここにくるとまた彫刻が複雑になります。作った時代の影響なのか、担当した建築家の問題なのか(なわけないか)、よく分かりません。入口上のチャーク?の彫刻がナイスです。
中の部屋には、南・北・東に入口があります。