ロシア旅行記その13

 やってきました血の上の救世主教会。ザ・ロシアな教会です。
 もっとも,自分の中で,ロシアに行く前にこことワシリー教会が若干混同されておりました。ある意味,それほどまでにロシアを象徴する教会の一つであるといえるのではなかろうかと自己弁護します。
 まずは周囲をぐるっと回って外観を眺めます。いやあ,ワシリーで書いたのと同じ感想しか書けない自分の語彙のなさが痛いけれど,この教会の意匠って日本に何十年住んでても思いつける自信がない。


公園を抜ける
 
向かいにあった教会
 
正しい明るさの設定が分からない

周囲のお店

船越しに

一昨日見た看板と違って
やっぱり赤い車はいない
近くの端にはたぶんカップルがつけたのであろう南京錠がたくさん。
南京錠文化ってロシアにもあるんですね。それにしてもハート型の南京錠ってたくさん種類があるんだな
これが恋愛の神様
だったりするのだろうか
顔の下の支えが
足みたいでコミカルに見える

 中はまず大聖堂。ワシリーに比べて,開放感があります。カザン大聖堂も含め,開放感のある聖堂はサンクトペテルブルクの特徴なのかもしれないな。
 外からの光も多く入っており,写真が撮りやすいです。外人は平気でフラッシュ焚いてるな……。モスクワクレムリンのイコンに比べると,ずいぶん写実的なイコンが多い印象で,違和感が少ないです。慣れただけの可能性もあるけど,多分違う。
 売店でCD購入。この旅はある程度出費を恐れずにCDを買う旅にしたんですが,重いCDを日本に持ち帰ったのにほとんど聞いてない……。
 なお,この教会の名前(俗称の方)はアレクサンドル2世の暗殺に由来してるわけですが,ロシア史の記憶が完全に頭から吹っ飛んでおります。手許にある帝国書院の世界史教科書だと思いっきり索引で赤字扱いの人物なんだがな……。瞬発的に読んだ教科書をまとめると,アレクサンドル2世はクリミア戦争中に即位して農奴解放令を出して資本主義化への道を模索したけれどポーランド独立なんかを押さえ,さらにはパンスラブ主義を唱えてオスマン帝国に宣戦して露土戦争(ATOKで変換できないことに衝撃)を起こして勝ってサンステファノ条約を締結するが,その後ベルリン会議で英墺に押さえられて失敗し,のち暗殺された,ってことだな。おお,やばいくらいに知識が吹っ飛んでる。ここで清とのアイグン条約やイリ条約とかの話も出てくるともうパニック。どうやって世界史勉強したんだ,俺は。サンステファノ条約,響として懐かしすぎる。まったく中身を思い出せなくて本当に泣きそうだ。



山のようにも見える

入口

チューインガムと
アイスクリームが禁止です

Canopy

Northern Icon Case

Southern Icon Case

 それにしても,こうやって今写真見ててもきれいです。いやあ,凄い。

 教会を出ます。続いて,ミハイロフスキーガーデンを通って緑に癒やされつつ,ペトロパヴロフスク要塞を目指します。ひたすら歩きます。

ミハイロフスキーガーデン


 その道すがら,この旅初めて英語で道を尋ねられました。いやあ,この国の不親切さはみんな不安になるよねー。
 モスク前まで行ってモスクをチラ見して引き返します。なお,実際にモスクなるものをしっかり見学するのはこのあとペナンまで,さらにモスクに入って見学するのはトルコまで待たねばなりません。


A.Rinaldiさん(←当然誰だか知らない)によって建てられた
Marble Palace
A.V.Suvorovさん
トロイツキー橋へ 一つ一つの装飾が凝ってます
お金かかってますね
トロイツキー橋からの眺め
  
別角度でペトロパブロフスク要塞 HolyTrinityChapelとのことです モスク。名前は不明です。

 で,要塞に入ります。370ルーブル。


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