追悼・蛯沢誠治氏

 2003年10月31日、蛯沢誠治氏が死去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 蛯沢氏(肩書を元騎手にすべきか元調教助手にすべきか悩むのでこの形にします)、というと、みなさんはどの馬を思い浮かべるのでしょうか。おそらく、競馬を始めた年代によって(氏の知・不知を含め)変わってくるのではないかと思います。
 僕の場合、特にパッと浮かんでくる馬はおりません。

 僕が競馬を始めたとき、蛯沢氏はだいたい年間20勝前後かそこらの成績だったと思います。
 となると、やはりシャコーテスコになるのでしょうか。
 この馬に関しては、野平氏が蛯沢氏を起用したこと自体について色々感慨深いものがありますし、その後Fanfareに蛯沢氏のインタビューが掲載されたこと、同じくFanfareに蛯沢氏関連の投稿を2回して、いずれも没になったこと、などが非常に懐かしく思えます。
 その没ネタですが、「平成に入って初めての重賞勝利」ということに正直に驚いた、ということ、そして、がんばって1000勝を目指して欲しい!ということが2大テーマでありました。

 1000勝で(書くべきことを)思い出しましたが、蛯沢氏に限らず、僕は、「往年の名騎手」が大好きであります。現役なら加藤和騎手や村本騎手、当時で言えば、田村正光元騎手や大崎元騎手等です。こういう方々の「過去の栄光」(悪意のない表現です)を色々調べていく作業がとても楽しかったのです。

 ということで、蛯沢氏の過去の勝利についても、いろいろと知った顔で語ったりするのも大好きです。

 僕の知る蛯沢氏、といえば、もう一つ。なんと言っても昨年のJCダート。表彰式で「調教助手 蛯沢誠治」という声が流れたのを聞いたときの驚きです(助手さんが表彰されるとは思ってなかったのです)。
 何かの雑誌の受け売りなので、本当かどうかは分かりませんが、競走馬の育成において、調教をつける人間の占める役割はとても大きく、かつての成宮厩舎の躍進や、現在の小島太厩舎の躍進における蛯沢氏の功績はとても大きかったそうです。説得力がありますし、なにせ蛯沢氏のファンなので、僕は全面的にこの話を信じているのですが、この記事を読んだとき、改めて蛯沢氏の凄さを知ったのでありました。

 まあ、そんなわけで、ビゼンニシキやスズパレード、タレンティドガール等についても、レースは何回も見ました。先ごろ行われた秋華賞で、スティルインラブを2着流しの軸にしたときも、「タレンティドガールの再現だ!」と思いながら予想していたのでありました。

 そんなこんなで、蛯沢氏最後の大物というと、サクラプレジデントになるのでしょうか。ダービーのときは、特別に外出許可をもらって観戦に行っていたそうで(死亡記事で知ったのですが)、ダービーでの惨敗や、その後の勝利、菊花賞の惨敗、等を、蛯沢氏はどういう気持ちで見ておられたのかなあ、といろいろ思ったりもしてしまいます。

 52歳、というのはあまりに若すぎる年齢です。いろいろ気苦労が絶えなかったんだろうなあ、と、あらためて騎手や、競馬関係者の大変さを知る気がします。

 実は、僕は蛯沢氏についてなにか書こうと思って、携帯電話のネタ帳にはかなり前からそのことをメモしていたのですが、結局書くのが遅れてしまいました。まさか、このような形で蛯沢氏のことを書くことになろうとは思ってもいなかったので、今はただ、驚きと悲しみで一杯です。

 相変わらずまとまりのない文章となってしまいましたが、これも氏の死を知ってから勢いで書き上げたため、ということでご理解ください。

 あらためて、蛯沢誠治氏のご冥福をお祈りいたします。

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