エイダイクイン夢物語

第一章

 4歳3冠レースでは常に好走しつつも結局クラシックホースの名誉を手にできなかったメジロライアン。暮れには4歳馬の身で果敢にも有馬記念に出走したが、レースのあと大衆はオグリキャップに心酔し、ライアンは引き立て役にすらなりえなかった。そんなライアンが古馬になり必勝を期して挑んだレース、中山記念。勝って当然のはずのこのレース。ところがそこにはライアンより先にゴール版を駆け抜けた一頭の芦毛の牝馬がいた。ユキノサンライズである。そのユキノサンライズと天皇賞親子3代制覇・4年連続G1制覇・メジロの結晶・稀代の名ステイヤーなど様々な肩書きを持つメジロマックイーンとの間に生まれたのがエイダイクインであった。
 立派な競走成績を持つ両親の子供だけに、と思いきや極端に小さな馬体やとても立派とはいえない姉ユキノサンサンの競走成績が周囲の視線をそれさせる原因となった。特に馬体については牧場長が「こんなんで大丈夫かいな」と心配までしたそうだから相当なものだったのだろう。まあなにはともあれエイダイクインは東振牧場にて愛情をたっぷり注がれぐんぐん―とまではいえないかもしれないが―育っていった。体もなんとか競走馬として見栄えがするくらいまでには成長し、関係者の人たちも一安心。と思いきや大きな誤算が一つ。誤算といってもいわゆるうれしい誤算ではあるが。エイダイクインの成長が思っていたよりも早いのだ。父メジロマックイーンは4歳でG1を勝ってはいるもののデビューは遅かったしなにより本格的に強くなったいったのは古馬になってからである。つまりは成長が遅いというのが一般的な認識。となるとその子供であるエイダイクインも成長が遅くなる、と決め付けるのは早計かもしれないが成長が早いことはないだろうという考えは単純ではあるものの納得いくものである。ところがエイダイクインの成長は早く3歳秋デビューも可能そうである。厩舎は母ユキノサンライズと同じ鈴木康調教師の所と決まっていたので先生と相談し、早めに入厩させようということになった。入厩してからも順調に調教メニューを消化してゆくエイダイクイン。これならいけるかも、と鈴木康調教師をうならせるのにそうは時間がかからなかった。初レースにはまだ爪・足元に少々不安が残る部分が大きいこともありダートコースを選択。鞍上は基本的な騎乗技術も兼ね備えた上で一発穴男としても有名な江田照騎手に依頼。準備は着実に整っていく。いよいよデビュー戦も間近である。エイダイクインにはこれからどんな競走馬生が待ち受けているのだろうか?次回乞うご期待というやつである。

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