ライブリマウント

先駆者の苦悩

 ライブリマウント。英語では、"Lively Mount"。"Lovely"ではない。"Lively"だ。「生き生きした山」。怖い。と思ったら、「生き生きした騎乗」っていう意味もあるらしい。まあ、これならいいか。
 さて、前置きは置いといて(置いとくから前置きっていうのか)、ニホンピロウィナーと、ハッピープログレスの関係はみんな知ってると思う。
 初代短距離三冠馬(最初で最後)のハッピープログレスと、最強マイラーとして名高いニホンピロウィナー。
 この2頭の関係は、ライブリマウントと、ホクトベガの関係に当てはまる。どういうことかは、書くまでもないだろう。
 今はまだいい。でも、5年後、10年後を考えた時、やっぱり、ライブリマウントの名は色褪せていくだろう。すでに、なんかの雑誌で、「ダート競馬の立役者はホクトベガ」って書いてあった。
 でも、やっぱりそれは違う。ダート競馬がここまで盛り上がったのは、ライブリマウントのおかげだ。。そりゃあ、ホクトベガのほうが強いかもしんない。ライブリマウントも、完調じゃなかったとはいえ、完敗してるし。
ダートの、中央地方交流制度ができて、一気にダート界のトップホースになったライブリマウントの功績は、計り知れないものがある。
ダートの条件戦で頭角をあらわし、各地のダートレースを走りまわり、各地で人気に押され、きっちり勝つ。芝では駄馬だったライブリマウントの活躍は、まさに、「新しきダート時代」の象徴だった。
 そして、南部杯。それまでは、「おらが村のヒーロー」的存在で、一部のマニアックなファンしか知らなかったトウケイニセイ(42戦連続連対)との対決。トウケイニセイの名は、一躍日本中のファンに知れ渡った。岩手の最強馬が、中央の最強馬を迎え撃つ。中央・地方交流競走の醍醐味がここにあった。
 トウケイニセイの連続連対記録は破れた。だが、トウケイニセイファンにとっても、本望だっただろう。トウケイニセイの名は、日本中に知れ渡ったのだ。
 ライブリマウントは、東京大賞典で、アドマイヤボサツに敗れるが、それでも皆、ライブリマウントが最強だと信じて疑わなかった。
 しかし、そこに1頭のスーパースターが現れる。ホクトベガだ。その後については書くまでもないだろう。
 連戦連勝。そしてぶっちぎり。日本人はぶっちぎりに弱い。ナリタブライアンをみりゃ分かる。
 こうして、ライブリマウントの名はかすんでいった。ドバイWC6着。どんなもんだ。ホクトベガなんて、ゴールすらしてねーじゃんか(ホクトベガファンの皆さん、怒りをこらえましょう)。
 そしてNAR!!てめーらなんでホクトベガ記念作ってライブリマウント記念作んねーんだ!!
 おい岩手!!あんたのとこのトウケイニセイさんを全国区にしてやったのは誰だと思ってんの?え?いいかげんにしろっての。(いや、誰も全国区にしてくれ、なんて頼んでないのかもしれんけど)
 まあ、それがライブリマウントらしさって奴なんだよね。

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