ユーエスエスケープ

 たいした話ではないのですが,自分的に面白いと思ったことなので自己満足的備忘録的に書いてみます。
 なお,半分以上自慢話ですので,読む人は覚悟してください。
 
 NPは小学2年の夏からアメリカの現地校に放り込まれました。現地的には小学3年生の頭からってことになります。
 小学生がどうやって英語を覚えるのか。一応,簡単な単語帳を自作した記憶はありますが,最初のころに話せた単語なんてExcuse me とI don't knowくらいなもので,それ以外は惨憺たる有様でした。学校で椅子に座っててもまさに置物。何をやってるのかも分からない。
 "Diary"という授業時間があり,"Diary"と表紙に書いたノートを作るところまでは分かったのですが,肝心のDiaryの意味が分からないから周りが何かを書いているので適当に文字を書くふりをしてみたり。
 Iowa Testという,全国規模のテストがあるのですが,名前は分かってもMale Femaleの意味が分からないから適当に隣の人の真似をしてFemaleをマークしてみたり。
 何か聞かれて適当に"Yes"と答えたら地下のトイレに連れて行かれたり。
 
 まあ,そんなわけで,最初の1年は地獄でした。
 ただ,外国人受け入れ体制が整っているのがアメリカの凄いところで,午前中はTESL(Teaching English for Second Language)というシステムがあり,そこに市内の外国人小学生が全員集められ,英語のレッスンを受けるのです。学習指導要領なんて糞食らえ状態でありますね。
 僕の通っていた学校では図工や音楽などの特殊科目(と呼ぶのか?)は全て午前中だったので,TESLが休みのとき以外には図工や音楽の授業も受けませんでした。たぶん年間5時間受けてないと思われます。これで進級してよかったんですかね??
 
 そんな英語の分からないJAPのまさかの得意科目が算数。
 アメリカでは(少なくとも自分が通っていた学校では)九九は3年次に習います。教室の前に大きな紙の表を貼りだして,そこに12×12の表を書き,その中に1×1〜12×12の答えが書かれているのであります。ちなみに,12までなのはダース文化があるからだろうな。
 で,1クラスの生徒の前でテストするんですね,これを。1×1〜順番に答えていきます。
 どういう基準でテストされる生徒が選出されていたのかは分かりません。アメリカのことだから自己申告制の可能性もあるな。
 で,よく分からんうちに「とりあえずお前もトライしてみろ」という感じで僕が教室の前に呼ばれました。で,日本では既に九九を習っていたので(これは公文のおかげ),9×9までは余裕でした。10の段も馬鹿でも分かります。11も,×10までは単純作業です。で,11×11で詰まって1回目は終わりました。今の冷静な頭なら「かけ算としては分からなくても11足していけばいいだろ」ということになるわけですが,当時いきなり教室の前に立たされた小学生にそんな冷静な判断力はありません。
 ちなみに,2回目で全クリしました。まあ簡単な暗記作業だったしね。
 で,悔しかったのが,実は1回目挑戦時にはクラス内で12×12を全クリした人はいなかったのです。が,僕が2回目に挑む前に初勝利した人が出て,僕は1番を取り損ねました。このあたりの詰めの甘さはどうしようもないところであります。
 
 そんなこんなで,1年間が過ぎると,なんとか英語が分かるようになります。
 正確には,1年終わる前にそれなりに英語は分かるようになっていたのですが,なかなか話せないんですね,これが。
 初めて友達の家で遊んだのはRobertというコロンビア系の子の家でした(彼とFacebookでつながって本当に感動した)。彼に「もっと学校で話せばいいのに」と言われたのを覚えております。
 あと,彼と仲のよかったGeorgeがいわゆるミリオタで,軍機に詳しく,日本の飛行機(たぶん零戦)を褒めてくれて嬉しかったのも覚えております。
 
 で,TESLも終わり,フルで1年間学校に通うこととなりました。
  TESLで仲良くなって授業外でも遊んだのはJamesという韓国人少年でした。おじいさんが日本語ぺらぺらでびっくりしたのを覚えております。また,「柔道は日本起源だが剣道は韓国だ」と言われて("Judo"と"Kendo"という日本語で競技名が呼ばれていたのに)頭がはてなマークで一杯になったのも覚えておりますが,これ以上書くとあれなので書きません。いやまあこれ以上特に覚えてないだけだけど。彼は野球好きだったな。元気なんだろうか。ちょっと気になるな。
 
 さて。
 せっかくなので詰めの甘い自慢話を書くと(日記では複数回書いた気がするが),5年次(3年目)に,校内テストがありました。校内テストは全科目の平均点を取って,一定の点数以上だとランクA,ランクB(←表現は絶対違う。1st Gradeとかだったかも)として全校表彰(名前が貼り出されるだけだけど)されます。
 で,NPは小数点以下の差で1stGradeを取り損ねました。うちの親によると,教師と親の面談で,開口一番先生が「あと○点だったのに」と言ったらしいです。それくらいの僅差でした。友達とも話しましたが,わりと惜しいところにいた人は多かったです。が,どうも一番惜しいのは僕だったようです。本当に詰めが甘いですな。
 ちなみに,1st Gradeを取ったのはAnthonyくんただ1人でした。彼は絵に描いたような優等生で,頭もよければスポーツもできる,とんでもない人でした。彼が今どうしているのか本当に気になります。
 ……全責任は日本帰国後彼から手紙が来たのに(しかも●●に片思いしているという爆弾情報付き),返事しなかった自分にあるのですが。ああもうバカバカ馬鹿馬鹿。
 このテストで僕の足をひっぱたのがReligionという科目,そう,宗教です。僕は(日本人が少ないので英語を覚えるだろうとの理由で)カトリック系の学校にいたので,この科目があったのです(なお,実際この学校からTESLに通っていたのが僕1人だったくらい,外人のいない学校でした)。Religionの授業は本当に意味不明で,今に至るまであの授業で何が行われていたのか思い出せません。"Talent"という単語が一時期乱舞していたことだけは覚えております。これは,NPが知っていた「タレント」という言葉と英語の"Talent"の意味が違うから覚えてるだけで
すが。
 てなわけで,カトリックは嫌いです……というわけはなく。今でもそれなりに愛着があります。遠藤周作大好きです。
 
 ついでにいくつかアメリカの学校について。
 自分の通っていた学校では,Enrichmentという,なんか一部の優秀生を集めた授業が行われておりました。誰がどういう基準で生徒を選抜していたのかは不明です。NPはこれには参加してませんでした。
 また,僕の通っていた学校では,僕のいた学年は2クラスあったのですが,生徒数が全然違っておりました。これも謎,というか日本的にクラス間の生徒数を均一にしようという発想がないのかもしれません。ただ,上述の通りNPの通っていた学校は特殊なので謎です。
 
 そういえば。
 あるとき,理科の授業で黒い模造紙に星のシールを貼って星座表を作る,という課題が出されました。
 で,NPの中では提出日はわりと先だったのですが,ちょうど友人宅(たぶんAnthonyの家)に遊びに行ったときに,「●日(←たぶん明日か明後日レベルの直近日)締め切りだよ」と聞かされ,家に帰って親に話して慌てて道具を買いに行って作ったところ……案の定締め切りは先だったことがありました。で,先生がみんな(といっても仲のいい一部ですが)に「どうしたのか」と尋ねたところ,締め切り日の言い出しっぺのたらい回しが始まり,なぜか最後に僕に飛んできました。
 でもまあそこでその押し付け合いは終わり,その後優秀作品を生徒が言うという段になり……最後に僕に罪をなすりつけたErickくんは僕の作品を優秀作として推薦してくれました。ありがとうErick。
 彼(あるいは彼の家族)はラトビア出身で,僕の学年で非カトリックは僕とErickだけでした。たぶん彼はロシア正教かなんかなんだろうな。
 彼のおかげで,僕の中でラトビアは行ってみたい国ランキング上位であります。
 彼には誕生日のお泊まりパーティーにも誘ってもらったんだけど行けなかったんだよなー。
 で,非カトリックだと何がおこるかというと,ミサ(1st Fridayといって毎月第1金曜日に生徒がミサに出る)においてみんなが神父さんからパンをもらいにいくときに,NPとErickだけはもらいにいかずに椅子に座ったままでいるんですね。そのルールを知ったのは入って1年以上してからなので,何回かパンを食べてしまいましたが。
 あわせて,一度,懺悔室に入るという機会がありました。カトリックの皆さんはそれぞれ1人ずつ懺悔室に入っていくわけでありますが,NPとErickは非カトリックであるために2人セットで形だけ入りました。そこで,神父さんに「自分の宗教の教会(Churchと表現されたと記憶している)に行ってるの?」と聞かれ,ErickはYesと答え,NPもつられてYesと答えてしまいました。もちろん,ニューヨークで神社やお寺に行ったことなどありません。懺悔室で大嘘ついた罰当たりなのでありました。
 
 話をまとめる気がないのでまた話が飛びます。
 どういう経緯だったかは忘れましたが,学年で一定数の生徒が選ばれて校内向けに劇をやることになりました。日本で言う学芸会ですね。これ,自分の記憶では全員参加ではなく,選抜制でした。
 で,Enrichment組は(そういう選抜基準だったのかは分からないけれど,とりあえずメンバーはほぼ共通していたと記憶してます)Christmas Carolを演じておりました。有名なスクルージおじさんの話ですね。てことは12月にやったのかな。覚えてないな。
 そして,あわせて,理科の授業の一環なのか,1人1惑星を演じてその特徴を発表するという発表も行われました。全惑星+太陽と月だったと思うので,せいぜい10人ちょっとです。NPはここでPluto役に選出されました。性格的に立候補ではなかったと思うんですが,ちょっとここも記憶曖昧。
 このPluto。発音が難しいのです。小学校のころからアメリカにいたので,LとRについてはそれなりに発音できますが,PlutoのLの発音が何ともやりづらい。それを大声で言わなきゃいかんわけで,本当に大変だったのを覚えております。何を発表したのかは全く記憶にございません。白い紙を丸く切って首からぶら下げたのだけ覚えております。
 
 個人的にPlutoと並んで覚えている難発音単語はkilometer(英語的にはクローメター)です。どうもU→Lとつなげるのが苦手のようです。
 
 そんなこんなで英語はそれなりにレベルアップしました。
 これも今でも覚えてますが,Genneroというイタリアン少年(最初に住んだ家の近所に住んでいた)から,「最初のころは"I don't know"しか話せなかったのに,ずいぶん英語覚えたよなー」的なことを言われて嬉しかったのを覚えております。
 ただ,文化的には覚えていないことも多く,特にアメフト。ルールはテレビ見てればそれなりに分かりますが,細かいことは分からず,QBが投げるボールのSpiralとSpinの区別もついてなかったり。Michael兄弟と遊んだときにもルール分からず迷惑かけたな。
 
 つらつらと。
 基本的に得意科目は暗記系と算数系でした。つまり,英語の理解が不要って事ですな。
 で,そうなると必然的に得意になるのがSpelling BeeとMath Beeという2種目です。
 これはなにかというと,教室の前に生徒が一列に並び,先生が順番に問題を出していき,正解すると列に残って間違うと席に戻る,最後まで残った人が優勝,というイベントです。優勝劣敗のアメリカらしい授業ですね。
 これが行われていたのはSpelling,つまり綴りです。先生が単語を言って,その綴りを答える競技。
 あわせて算数。これは3+4×3=とかなんとか問題を出して,数秒以内に答えるという暗算テスト。暗算という性質上頭から計算していくため,かけ算優先ルールは無視なので左の答えは21となります。
 この2つ,特にMath Beeは,クラスで代表決めて学校代表を選んで地域の学校対抗で争うという,なかなかに大がかりなものであります。
 Spelling Beeで覚えてるのは,「カラー」という単語。色のColorではなく襟のCollarだったようなのですが,当時のおいらは「Collar」という単語それ自体を知らなかったので撃沈したのでした。1回"ColorではなくCollarよ"とお情けをいただいたんですが。こういうお情けは別に(英語の分かってない)僕だけじゃなく,それなりにありました。まあ所詮クラス内のお遊びでしたからね。
 他方でお情けがないのが全校行事のMath Bee4年5年と2回とも幸運にもクラス代表になれました。でもどっちもAnthonyには勝てなかったように記憶してます(確か4年次は同巡敗北,5年次は1巡早く僕が間違えた)。校外大会は僕が日本に帰る後に行われる予定だったので,「NPが代表になったらどうしましょう」とか余計な心配を担任の先生にかけてしまいました。ごめんなさい。ケアレスミスが多い自分がノーミスで学校代表になれるはずがなかったのであります。
 
 どうでもいいけど,アメリカの算数では円周率が22/7でした。少なくとも5年次までは。このへん,3.14の国,3の国,3.1の国,3.14159265358979の国など,いろいろありそうですね。
 
 4年次になると,併設の幼稚園に日本人の子どもが入ってきました。
 で,幼稚園児なのでたまによく分からないことをするわけです。で,担任の先生が手に負えなくなると,僕の教室にやってきて「なんと言ってるか分かるか」と聞きに来るのでした。特段僕が力になれたという記憶もありませんが。
 でもまあ,こうやって授業を抜けてほかのクラス・学年を助けに行くってのが普通に行われてたんだよな。
 
 ここからようやく本題。
 
 僕はどうやって英語を覚えていたのか。これ,たぶんなんとなくなんだと思います。
 
 その1。英語には,「まず第一に」というときに,"First of all"という接続詞を使うことがあります。案外日本に帰ってからみないのですが,少なくとも小学生レベルではよく使われていたようにおもいます。
 で,僕はこの接続詞を耳から頭に入れていたのです。文脈上,この響き(ファースタブォル)を持つ言葉が「第一に」だということはなんとなく分かりますね。
 新しく覚えた単語を,僕が作文で自信満々に"Firstable"と書いたところ,先生に「こんな単語はない。"First of all"と書くのよ」と教えてもらったのでした。よくぞfirst of allと書きたかったと理解してくれたものです。てなわけで,この単語(熟語)については完全に耳先行で覚えてたことになりますな。
 
 その2。アメリカでは,毎朝星条旗に向かって何か言います。僕が通ってた学校はカトリック校なので,あわせて教室の前にある十字架に向かっても何か言います。
 ちなみに,後者についてはなんと言っていたのか全く覚えていません。というか,当時から理解してなかったと思います。これでReligionのテストでいっぱしの点数をほしがる方が間違ってますな。
 
 星条旗については,これもまあ意味なんて考えずにみんなにあわせてつぶやいてました。そういえば星条旗に向かって話したことはあってもアメリカ国歌を歌った記憶がないな。なんでだろうか。
 で,最近これを見たのが,最後の"under God"が信教の自由に反してるのではないかというアメリカの裁判のことを知ったからです。アメリカの信教の自由というと大統領就任時に聖書に向かって宣誓することがよく話題になりますが,ほかにもモーゼと裁判所とか,いろいろアメリカの信教の自由の考え方は興味深いですな。
 さて。これの第1文。「アイプレッジアリージェンス,トゥザフラッグ,オフユナイテッドステーツオブアメーリカ」と唱えるわけです。意味なんて分かってません。で,この最初,完全に"I pledge a legence"だと思い込んでました。意味なんて知りません。が,帰国から20年近く経って,実は"I pledge allegiance"という3語だと知りました。概ね意味するところは間違ってなかったのでいいんだけどね。
 
 あ,あわせて,十字切るときに話すのが"On the name of the father and of the Son, and the Holy Spirit, Amen"だと思っていたら,最初は On でなく In で,the Holy Spirit の前にも of が入ることが分かりました。ううむ,まあこれくらいなら許容範囲だな。
 十字についても,ロシアに行ったときにロシア正教の皆様が上→下→右→左と動かしていたので,実は学校で1人だけ間違っていたのではないかと思いっきり不安になりましたが,カトリックは上下左右のようで,間違ってませんでした。よかったよかった。これでReligionのテストでいっぱしの点数をほしがる方が間違ってますな。
 
 そんなわけで,アメリカに行くと耳から単語を覚えるんだな,という話でした。おそまつ。

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