徳島遠征2008〜第1日〜

 2019年,社畜にしては珍しく,たまたま週末2日休みが取れたので,徳島に乗り込みました。
 そこでふと疑問に思ったのが,「前回はいったいいつ徳島に行ったのか」ということです。こういうときは写真を撮ってると助かります。調べた結果,前回の徳島はなんと10年以上前,2008年のことでした。うどん県滞在時に,そこから遠征してたんだな。確かに,みかん県から徳島に乗り込むと初日の半日を移動で消費するので,なかなか徳島には行けないんだよな。

 そんなわけで,2019年の徳島旅行記を書く前に,ザザザザザっと2008年を振り返ります。ここで振り返らないと一生振り返ることはあるまい。

 ベトナム旅行を振り返ったときにも思ったんですが,やはり昔と今とでは自分の行動の仕方も違うし,もちろん持ってるカメラも違うし(とはいえ2019年の徳島遠征はカメラ忘れて全部スマホ対応になったのだが),自分に歴史があることを感じさせられます。他方で,ほぼ同じ構図で撮ってる写真もあったりして,なんだかんだいって自分は自分だな,と感じることもあります。人間って面白いですね。

 てことで,これは自分も覚えてます。徳島駅から徳島城への行き方が分からない!というか,本当に大回りしないといけないのか,全く信じられない,という方が正しいかもしれません。そうです,大回りしないといけないのです。いやはや,驚きですね。

 この日はあまり時間が無かったので,徳島城は最初の石垣と博物館・庭園をみただけで,とくに城山には登りませんでした。このことは覚えてました。ただ,なぜこうなったかというと,午後に鳴門に乗り込んで鳴門の観光船に乗る時間を確保するためでした。そう,このころはまだ城にははまっておらず(僕が本格的に城にはまったのはこの徳島遠征の数週間前の愛媛遠征からなので,文字通りこの時点ではニワカです),城よりも渦潮,といういたって普通の旅行者だったのです。
 それゆえ,太鼓櫓のあった石垣の上に登ってはいるのですが,大手門の様子などは一切写真になっていないのでありました。時代を感じますね。
 もっとも,博物館入口で押すことのできる100名城スタンプはこのとき押印されていました。のちに何回も訪問してる丸亀城を押印するのはかなり遅い時期だったり,これも何回も訪問してる高松城に至っては2019年時点で未だに押印してなかったりするのに,このあたりの行動は謎です。

跨線橋からの写真
この構図は2019年も撮ってるはず
公園図 太鼓櫓跡 ラジオ塔 太鼓櫓から橋と堀

 そして,太鼓櫓台からおりたら博物館へ。博物館は2019年も撮影禁止です。なので,写真は一切残っておりません。入ったことは記憶にあります。そして,博物館の全面ガラス張りの部屋からの庭園の眺めを見た記憶は,2019年訪問時によみがえりました。
 また,自分的に時代を感じるのが,庭園の扱いが雑なところです。自分が庭園好きになったのはうどん県滞在時に栗林公園を何回も訪れたからなんですが,このときはまだそこまで開眼してなかったんですな。徳島城庭園(正式には千秋閣庭園/旧徳島城表御殿庭園)は城山を借景にしてるんですが,それを大事に撮ってるあたり,自分的に紫雲山を借景にしてる栗林公園に近いものに興味を持ってたのは間違いなさそう。
 で,2019年にも思ったんですが,完全に庭園風景をぶち壊している後ろのマンション,おそらくサーパスマンションです。徳島の景観を害してうどん県の地位を相対的に上げるアナブキの作戦,というならばいいんですが,穴吹は栗林公園前でもやらかしてたので,単純に穴吹が庭園好きなのではないかと。

博物館入口 城山を借景に サーパスを借景に 心字池
石組みが美しい
博物館と城山

 さて,どうも庭園を急いで見終えたわりに,公園はそこそこまわったようで,平和記念塔や貝塚,バラ園の写真が残されています。興味深いですね。貝塚は,2019年訪問時には見落としてますから,急いでる割にはなかなか興味深い行動をとっていたみたいです。


 てな具合にさくさくっと徳島城公園を出て,あっさりと鳴門競艇場行きのバス乗り場を発見して自分のセンスに感動し(但し乗ってない),瑞巌寺に向かいます。
 瑞巌寺に行ったことと,そこの水を見たこと(飲んだかどうかは記憶にない)は2019年時点でも記憶にありました。瑞巌寺といえば,ここにも庭園があるのですが,庭園を見たという証拠写真が残っていません。もちろん,見たかどうかも記憶の外です。じゃあ何をしに行ったのか,単にガイドブックにお寺が載ってただけなのか,もう自分の行動は謎でしかありません。

競艇場行きバス乗り場
場所は今も変わってない
大通り
片側3車線道路が光ります
新町川
このころはまだ橋のライトアップは
なかったのかもしれない
遊覧船の時間
瑞巌寺山門 風翔水 水路 両国橋の阿波踊り

 というわけで,徳島市内はこれで終わり。ほんと,自分が徳島市内でなにをしようとしてたのか分かりませんね。

 で,舞台は鳴門へ。
 さて,鳴門といったら渦潮です。うずしお打線鳴門高校。そして,鳴門巻き。海のど真ん中に大渦がある絵が浮かびます。

 が……恥ずかしながら,私は鳴門の渦潮がどういうものなのか,さっぱり分かってなかったのです。
 正確に言うと,海のど真ん中にで〜〜っかい大渦が1つある絵を想像してたんですね。イメージはダイの大冒険のバルジ島の大渦です。
 ところが。このたび,鳴門の渦潮というのは,何カ所も海面が渦巻いているのだということを知ったのです。なんとなんと,そりゃまあ,冷静に考えたら,あれだけ広い海を1箇所だけ渦巻いてたらそれこそもっと死人が出てておかしくないようには思うんですが,でも,なんとなく絵としてはでっかい大渦が1つ,という絵だったんですよ。

 そんなわけで,今回鳴門に行ったことで1つ賢くなったのでした。

 さて,どういう交通手段をとったのか,写真が無いのでさっぱり分かりませんが(何も無いということは,たぶんバス)とりあえず上から渦潮を眺めます。

 そして,展望台から橋へと入っていくのでした。確か,ここは電車が通る余地も残してたとかなんとか聞いたことがあるような気がします。そして,あらためて,渦がたくさんあることを確認したのでありました。

案内図 お茶園展望台 大鳴門橋と島と海峡 渦の脇を抜ける船
別の船が橋の下をくぐり抜ける 記念館へ 橋の内部 脇を見る 橋から見下ろす渦
陸地側 千畳敷展望台から 再度逆側

 そして,観潮船AQUA EDDYに乗り込みます。今うずしお観潮船のサイトを見たら,アクアエディ号は要予約になってました。当時からそういう扱いだったかは分かりませんが,基本的に行き当たりばったりでやってるのに,もしかして予約とかしたのだろうか。だとしたら徳島での慌ただしい動きにも納得できるところはあります。

 で,このアクアエディ号の最大の売りは,水中展望室の存在です。水中から,海面下の渦の様子を見られるのであります。
 そして……当然のことながら,みんな水面下の状況を見たがります。
 てことで,水面下は満杯。大人しく,海面上で渦を見ることに致します。
 まあ,この便利な時代,Youtubeには観光客の皆様が撮った動画が多数アップされておりまして,それを見れば大体の様子はつかめるのでは無いかと思ったりもするのでありました。場所取りに失敗した負け惜しみですよ,ええ。

 ところで,大鳴門橋をくぐったことを嬉しそうに写真に撮ってるのを見て,そういえば明石海峡大橋も船でくぐったことを思い出しました。大渦って水面の高低差が原因で発生しているという抽象的な記憶(知識では無く,どこかで聞いたことがあるような,というレベルの話)があり,だったらなぜ明石側に渦はできないのだろうと今ちょっと疑問に思いました。あらためて観光協会のページを見てみたら,単に高低差の問題なのでは無く,中央部と両側の流れの速度差が重要であることと,水位の高低差の発生の過程がそもそも明石側と鳴門側とで違ってることも判明。ううむ,勉強になります。

 それはそうとして,間近で見る大渦は,なかなかにインパクトがあります。もうちょっと角度があって高い場所から見た方が渦っぽく見えるんでしょうけれど,ある意味渦渦してない

AQUA EDDY号 下は満杯 大鳴門橋
逆光の大鳴門橋 渦渦渦
大鳴門橋とわんだーなると号 橋をくぐる さらば大鳴門橋

 この日の夜は民宿ささだ。なぜここになったか,ちょっと記憶にない。お風呂の用意はいらないですよ,という会話を民宿の方とした記憶はあって,なんとなく,当日に電話で予約したような遠い記憶もあるにはあるんですが,どうだったかな……。当日予約だとすると,例によって無計画に話を進めて,一人用の安い宿がなかなか見つからなかったってことになるのではないかと思われます。



鳴門駅。終点好きなので,上からのこの景色は好きです 民宿ささだ 保存されていたSL。看板の日付は昭和45年です。 この日の夕食
旅館で出たものではなく,
どこかの定食屋で食べたはず

 そんなわけで,1日目終了です。

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