寒路甘楽へその1

 貫前神社から富岡市街を超え,甘楽町へ。
 今回観光ルートを研究するまで全く知らなかったのですが,織田信雄系の織田氏がここにいたようです。小幡藩と呼ばれていたようです。ううむ,「小幡」と聞いても群馬県なんて浮かんでこないな。日本は広い。
 今回レンタカーを借りたのは,ここを訪問するためでした。一応,最寄りは上州福島駅で(甘楽も小幡も名前に出てこない……観光客泣かせだ。どうも昔は小幡町や福島町があって,それが市町村合併で表舞台から消えたようですね),無料でレンタサイクルもしているようです。しかし,鋭意調査した結果駅から旧城下までかなり距離があるようで,上信電鉄の本数も合わせると,時間的に無駄が多そう。結局レンタサイクルではなく,レンタカーにしたのでした。

 そんなこんなで,ちょっと遠目の駐車場に停めて,少し歩いて楽山園へ。急造庭園マニアとしては,ここは見過ごせません。
 道中,「食い違い郭」が。期待していたのですが,中を通ることも出来ず,ちょっとがっかりスポット。「下級武士が上級武士から隠れるのに使っていた」というのはおもしろい解説ですが,まあ隠れるために作ったのではないでしょうから,防衛目的なんでしょうね。で,これがここにあるのはいいのですが,町全体の昔の縄張りがよく分からないので,ここで単発的に「食い違い郭」を見せられても特にイメージは膨らまないんだよなあ。陣屋見取り図にも出てこないし。

城下町小幡案内 江戸時代の小幡 食い違い郭。まさか通ることすらできないとは
石垣。確かに全部積み方が違う

 そんなわけで,楽山園に入ります。
 近年整備を進めていたようで,入口の門(中門)は新しいです。
 入ると,まず虎口。目の前に石垣。その先に空堀と土塁。雰囲気は平城であります。これはちょっとテンション上がりますね。ただ,櫓的なたてものはなく,なんだかんだいっても平時の陣屋だなあ,という印象です。「江戸時代の甘楽町小幡の風景」(上の写真)と現在の楽山園を見比べると,どうも中門のさきに石垣も土塁もなく,虎口的構造もなかったようです。ただ,名勝指定を受けるために楽山園は相当の調査発掘はしていると思われるので,楽山園の再現度が高く,上の「江戸時代の風景」はかなりデフォルメされたものなのではないかと思います。そのあたりは妄想で補完するしかないわけですな。

楽山園見所 案内 中門 正面に石垣 虎口の様子

 さて,いちおう推奨ルート上は分岐点扱いになっている拾九間長屋ですが,とりあえず入ってみます。
 奥では町の紹介ビデオが流れており,手前にジオラマ。ジオラマ上,楽山園泉水部が省略されております。また,中門や土塁あたりも省略されてますね。ううむ,予算的時間的にもうちょっとなんとかならなかったのでしょうか。

土塁
ちょうどいい傾斜と芝生で
登りたくなりますが,
もちろん登るのは禁止
拾九間長屋 内部 ジオラマ

 御殿部は再建予算が不足していたのか,それとも資料不足で御殿の詳細まで復元ができそうにもなかったのかは分かりませんが,とりあえず間取りだけが石で示されている,赤穂や松山二の丸に近い状況でありました。これはこれで開放感があって気持ちがいいのですが,かといって長居するような場所でないのも事実だよなあ。

広々 井戸 広々

 そんなわけで,庭門を抜けて庭に入っていきます。逆光で写真が大惨事になっておりますが,それはそれ。とりあえず,パンフレットに従って左回りにまわっていくことにします。

 ここのウリは築山と,その上に建てられた梅の茶屋,そのちょっと下にある腰掛け茶屋。その手前を流れる小川とそれを囲う石がなんともいえない雰囲気を醸し出しております。
 これ,1月などという寒々しい時期に行ったので芝生が枯れた色をしておりますが,春以降に行けばおそらく一面きれいな緑色になるんでしょうね。どっちがいいかは両方の時期に訪れないと分からない問題ではありますが。

庭門 庭門を抜けると,池が 昆明池 池と河の奥に築山と茶屋 池の風景 築山と石
手前の通路も昔のままなのだろうか 川の流れと石の配置 楽山園のウメ

 で,梅の茶屋へ。「殿様気分で庭園風景をお楽しみください」とのことです。今気付きましたが,この茶屋の畳って縁がないですね。このあたりはそういう畳を好む文化があるのかな。畳文化に詳しくないのでさっぱりです。
 また,腰掛け茶屋は世にも珍しい五角形の茶屋とのことです。現場にいたときは特に意識していなかったのですが,確かにあまりみないですね。なんで五角形にしたのだろうか。四角形や六角形に比べると五角形って作るのが難しそうな気がするのですが,そうでもないのかな?

殿様気分,姫君気分 上からの眺め

 さて,そんなこんなで築山から下に降りて池をまわっていきます。
 池の水は部分的に凍っておりました。この日はそこまで寒くなく,日向では日差しがあたってポカポカしておりました(但し,デブのNP基準です)が,池の表面は一部凍っておりました。その上に乗って遊ぶこどもがいたり,表面が凍った池の中を健気に泳ぐ鯉がいたりと,池の中と外で様々な生き物がうごめいております。そういえば,ここは鯉の餌が売られてませんでした。鯉って冬の時期は何を食べて生きているんだろうか。

腰掛け茶屋 橋と中島 氷の上 氷の下
滝口 中島から 中島の景色

 そんなわけでさらに歩いて行きます。
 なんか分からないんだけれど,若干寂しい庭園に感じたのは単に芝生が刈れてるからなのか……木の並びが若干物足りない気がするんだよなあ。自分の感覚なのに,ちょっとよく分かりません。


 そして,南東側の庭園へ。こっちの庭園がどういう趣旨なのかは説明がありませんでしたが,もしかしたら接待用に使ってたのかもしれません。
 築山に礎石が見つかった茶屋が「凌雲亭」というらしいです。現在の凌雲亭はこの池の脇に建っております。これは名勝指定受ける上で問題視されなかったのかな。それに,築山でなく池沿いの低い場所にあるのに「雲を凌ぐ」ってのも変な気がしなくもないです。これは別の由来があるかもしれませんが。

南東庭園の解説 足は冷たくないのかな 池というか大河というか
築山の解説 築山からの眺め 川の流れは絶えずして 再度振り返る

 この現存凌雲亭では,引き札展示会が行われておりました。引き札には特段興味は無かったのですが,せっかくなので寄ってみました。
 マニアではないのでどれくらいの価値があるものなのかとかはさっぱり分かりませんが,今とは違う画風,今とは違うフォントの宣伝広告ってのは興味深いです。使われてるあおり文句も全然違うし。

解説 出典Wikipediaです 歴史
関係ないけど上信電鉄の
全線電化が早い
凌雲亭から池を見る 凌雲亭

 そんなわけで,見所は見終わった感じです。
 せっかくなので氷を持ってみました。「氷を持つ」という作業をしたのはいったい何年ぶりかなあ。雪ならあったんだけれども。

熊井戸
名前の由来は不明
園内に井戸が多いのが
さすが藩邸ですね
氷を持って投げてみました 最後に振り返る。逆光だなあ

 そんなわけで,楽山園をあとにして,小幡八幡宮に行ってみます。今回は自動車なので雄川堰の写真をパチパチっていうわけにはいかんのです。このへんはやっぱり自転車の方が便利だよなー。なかなか難しい問題です。

 小幡八幡宮にはトレイルコースの地図もあったりして,もしかしたらハイキングできたりするのかもしれません。ただ,ヤジロベエが倒れて置かれていたりして,トレイルが現在どこまで整備されているのかはよく分からないところです。さらに古そうな「探鳥コース」の地図もあり,こっちの図だと「夕映えのひろば」が「芝生広場」になっているので,おそらく芝生広場を整備して夕映えのひろばにしたのでしょう。このへん,時代時代のブームに沿って町の予算をハイキングコースにつけたり,城下町整備につけたりしているのではないかと思います。

トレイルコース 倒れたヤジロベエ 結婚への道は険しい 探鳥コース 参道 狛犬の髪型?が面白い
手水 様々な料金表
手水舎に飾るものなのでしょうか
若干色が禿げてます 額に屋根がついてます
雪で額が落ちないようにしたのかな
階段の上に拝殿があります 拝殿と本殿の囲い 由緒
天満宮 由緒 神楽殿 小波多神社の社号標 その近くのお社 この石垣積だと
要塞みたいです
弁天様 弁天様に向かう道に 真ん中の石は陰石? 赤信号のときに1枚だけ

 さてさて,そんなこんなで甘楽町探索を続けます。


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