はい,富岡

 群馬県は富岡市。日本地図・群馬県地図上,どこにあるかはよく分からないけれど,名前だけは歴史で習う場所,それが富岡製糸場であります。
 いまさら明治初期の富国強兵殖産興業について復習する気は湧いてきませんが,とにもかくにも日本の近代化の過程で日本の重要な輸出産業となった生糸。これの生産拠点になったのが富岡製糸場であった,ということはいかに歴史の授業中に競馬の予想しかしていなかった(といったら語弊があるな。予想以外の競馬の作業もしていたか)NPにも分かります。

だるま 上越新幹線が開業30年らしい
 そんなわけで,日帰りしてそこそこ楽しめそうな目的地として富岡製糸場を選定したNPは,一路群馬県へ。上野→高崎を高崎線で行くか新幹線で行くかというのは,時間に限りのある旅行者として迷うところですが,とりあえず行きは時間の関係で新幹線。スキー客で指定は全部売り切れていたようですが,逆にパック使わないスキー客が少ないためでしょうか,自由席は半分も埋まっておりませんでした。
 久々の高崎です。どれくらい久々かというと,高崎競馬以来ですから10年ぶりです。高崎競馬のない高崎に用はないので,上信電鉄の乗り場に行きます。

 上信電鉄の乗り場は,ホームの奥まった場所にありました。この手のローカル電車はどこもこういう位置取りですね。
 で,時間を見ると,次の電車まで約30分という大変間の悪いタイミングの様子。もしかして新幹線使わなくても結果が変わらなかったのではないか,という点に危惧を覚えつつも,気にしないことにします。
 何を隠そう,この日NPは家に携帯を忘れていたのです。よって,外出先から乗換案内ページを見ることが出来ません。これはかなり痛い。さらに,この日はレンタカー移動予定があり,目的地の探索の点からも不安が残るのでありました。まあ,これも気にしないことにします。さらにさらに,NPは基本的に時計を持ち歩いていないので(お気に入りの腕時計を紛失して以降,使い勝手のよい時計に巡り会えていないので…),時計がありません。無理矢理時間を見ようと思うと,デジカメの時間を見るほかありません(車を借りた後は車の時計がありましたが)。これは地味に困った。

 電車までの時間どうしようかと思案していたところ,高崎駅のくまざわ書店が8時から営業していることが発覚。朝が早いですね。大障害制覇おめでとうございます。
 駅にはいろいろな社寺の幟やら何やらが並んでおりますが,1日で移動できる範囲には限界があるよなあ。あと,上信電鉄の沿線ガイドの案内(PDFファイル含む)がちょっと見づらいのと,この日手元に携帯がないので,事前に予定に入れていた行動以外をとるのが非常に難しかったというのもあります。普段だったらGoogleMap先生が教えてくれる名も無きお寺に立ち寄ったりするんだけれど。





時刻表 富岡製糸場入場券付
往復切符
8時から営業
Marvelous!
電車がおりました。
光と埃で分かりませんが,
富岡製糸場世界遺産登録を!
と車体に書かれた電車です。
黒滝不動尊守剣

 上信電鉄は2両編成でしたが,車両間のドアがさび付いていてなかなか開きません。だからどうしたかというと,無人駅では運転士のいる先頭車両の先頭のドアしか開きません。つまり,後ろの車両にいる人はさび付いたドアを開けないと無人駅でおりられないのです。こういう地味なトラップにはびっくりしますね。
 そんなわけで,電車に揺られて上州富岡駅に到着であります。降りたのは20人もおりません。もちろん,一人旅の寂しい野郎はNPのみでした。普段競馬場やら何やらにいると一人の野郎だらけなので何とも思いませんが,こういう場所で一人の人間があまりにいないのを見ると,少し場違い感を覚えますね。
 駅から製糸場までの道は簡単です。なんせ地面に案内があったり,街中にも案内板が多いです。さらに,NPは前を行く家族連れから10馬身ほど離れた後方を追走していたので,迷うはずもありません。
 が,道中,突然右手に大きな鳥居が登場。ここでNPは競争中止し,右折。

 どうもこの神社は諏訪神社というようです。後から見てみたら,ちゃんと駅の地図なんかにも神社の存在が示されておりましたが,事前情報無く大きな鳥居を発見したのでびっくりしてしまいました。
 さらに,その脇にある公衆トイレがこだわりの逸品のようです。正直,こんなところに予算を突っ込む意義がどこまであるのか疑問を抱かないわけでもないですが,そのへんはさすがこれまでに何人もの首相を輩出した群馬県,ということにしておきたいと思います。
 あと,ここにしか書く場所がないのでここに書きますが,群馬県って鳥居の大きな神社が多いんでしょうか。このあと車で甘楽町の温泉を求めてさまよっていたときに,道沿いに大きな鳥居が見えました。どうも白倉神社の鳥居のようなのですが,白倉神社は天狗に関連するお祭りで有名ではありつつも,甘楽町の観光協会で一言も触れられないような神社で,彷徨っていたときに探そうとしても見つかりませんでした。そういう神社でもおおきな鳥居を遠くにつくるってことは,氏子さんたちが鳥居に深い思いを抱いてるんじゃないでしょうか。このへん,郷土史の専門家の方にあっさりと「そんなわけがないだろう」と論破していただきたいところなのですが,なかなかネットの情報の洪水の中でそういう情報を見つけるのは大変であります。

駅周辺案内 ようこそ! 周辺社寺案内 道案内 屋根の洒落たトイレ
宝形造の屋根であります
大鳥居
鳥居 由緒 境内 拝殿 非常に凝った装飾

 さて,前方をいく方々には思いっきりおいていかれましたが,道に迷うことなく富岡製糸場に到着です。
 入場券を見せると,「10時30分から臨時の解説がある」とのことでした。おお!これは予期せぬ展開。富岡製糸場では,この日,10時・11時等々にボランティアガイドがあることはネットを見れば簡単に調べがついていたのですが,いかんせん電車が上州富岡駅に着いたのが10時ぴったりというどうしようもない時間で,このあとレンタカーの時間もあるので(しかも時計がないから早め移動が必要なので)ガイドは無理かな,と思っていたのです。これは嬉しい。東繭倉庫の中を見ながら時間を待ちます。

案内MAP 入口
煉瓦が見えると嬉しいですね!
石碑 宝くじマネーのようです
よって,NPはここでは大きな顔は出来ません
そんなに寒くない日でした

 そんなわけで,10時30分にガイドツアースタート。30人ほどがぞろぞろガイドさんについていきます。
 いろいろな解説がありましたが,携帯を忘れたのでメモできず。
 とりあえず,間違いやすいポイントとして,富岡製糸場は全国に製糸技術を広めるための施設なので,女工の扱いも悪くなかった。女工哀史・野麦峠の話はここのことではない,ということ。これは論文試験で注意ですね。まあ,まず富岡製糸場の名誉を回復するのがガイドさんの大きな役割です。
 富岡製糸場の代名詞とも言える,入口正面の煉瓦造りの建物。これは東繭倉庫という,単なる倉庫です。これは知らなかった。しかも,当時の日本の養蚕技術では年1回しか繭を採取できなかったので,1年分の繭を保管するためにこんなに大きな倉庫が必要で,本来的にはこんな大倉庫はいらなかった(そののち年2〜3回採取が可能になった)とのこと。なんと!本来的にはいらない子だったのか。これはびっくり。でも,こんな大きな倉庫を作ったおかげで平成の平和ボケ日本人が喜ぶわけで,世の中なにがどう功を奏するか分からないですな。
 なお,もう1つ間違いやすいポイントとして,この煉瓦のキーストーンとして用いられ,これまた代名詞的存在の「明治五年」のキーストーン。他方,ダービー馬のキーストンも英語表記はKeyStone。関係しているようですが,ダービー馬の方の名前の由来はアメリカの長距離列車の名前であり,建築に用いられる石が直接の由来ではないようです。

解説 東繭倉庫 KeyStone 下2段は長手積み
それより上がフランス積み
全部がフランス積みではないんですね!

 続いて案内されたのが,操糸場。これまた煉瓦造りの美しい建物です。
 そして操糸場の大きな窓の理由は,「電気がなかったので採光のため」という,ごもっともな理由。そして,もっともであると同時に,電気もない時代にこんなものを作って日本を世界一の生糸清算国に育て上げたんだからすごいです。Wikipedia先生によると日本が清を抜いて世界一の生糸生産国になったのが1909年ということなので,30年弱で世界一にもっていったということのようです。これは某坑でもガイドの方が力説しておられましたが,日本の凄いところは明治期にきわめて短期間で産業革命を成し遂げて世界レベルの工業力を身につけたところにあるということ。日本史の授業だと瞬く間に明治初期の殖産工業政策が事実だけ流れていきますが,このことのすごさはもうちょっと教えられていいよなあ。特に,世界各国の産業革命との比較の視点でもう一度勉強しなおしたい。簡単な新書でもありそうなもんだけれど,探すのも面倒だな。
 そして,夏の暑いときは昼間は女工さんは休憩し,早朝と夕方に仕事をしていたとのこと。このへんの女工さんに対するしっかりした待遇が富岡製糸場の特徴ですね。
 さらに,この操糸場の特徴が,中に柱がないということ。これはトラス構造によって達成されたようです。このトラス構造,現代人的には別にどうでもいいのですが,建物に電気も通せない明治初期にこんなもんを作り上げて,事実平成20年代まで100年以上残ってるんだから凄いです。文系人間的には設計したブリュナー氏以下の方々と,実際に建築した諸氏に頭が下がるのでありました。

操糸場 上の出屋根は蒸気を出すためのもの 窓が大きい 操糸場
往時には繭倉庫との間に
写真のような橋がかかっていたらしい
橋のための出窓 手前の入口
操糸場内部
柱がない!
機械は片倉工業時代のもの 当時の黒板のままという設定 トラス構造 片倉時代の機械(日産製)

 建物内部に入れるのは東繭倉庫と操糸場の2カ所のみ。これからさきは外観見学のみです。現存設備である鉄水槽は外観も見学不可。見られる場所は多くないので,ここだけを目的に旅行するのは危険ですね。近くに競馬場でもあればよいのだけれど。前橋競輪場まで距離あるよなあ。

ブリュナ館 内部は校舎時代のままらしい 日当たり良好 この下に排水溝があるらしい 奥が女工の宿舎
診療所
片倉時代のもののようです
明治期は診療代無料だったとか
乾燥場 目標 繭を上に上げる機械
西繭倉庫。大きいです。 煙突
昭和14年のものが立っているようです
検査人館 記念碑。皇后陛下が女工達に贈った扇の形をした台座 再度振り返る 平成24年は24万人

 で,最後に東繭倉庫内の解説を見学。三井への払い下げ後,三井→原→片倉と流れて今に至るようです。この原合弁会社という会社は知らなかったのですが,横浜三渓園を作ったのがこの原氏のようです。へぇ〜。

フランス積み 復元された操糸機 明治8年の推定模型(1/200)

 そんなわけで,富岡製糸場をあとにしました。
 中から寺院っぽい建物が見えたので寄ってみました。蓮照寺というようです。犬に吠えられた以外は特段イベントなし。

門の脇のお地蔵様 本堂 何のお堂か不明

 さて,いったん駅に戻って小用を済ませ,終電の確認もして,レンタカーを借ります。目的地は貫前神社。

こっちのトイレはデキをモチーフにしております
なんとなくUFOっぽいですね
観光マップ
龍光寺や永心寺に興味は湧きつつも
時間の都合でパス
蛇宮神社にも寄りたかったんだけれど
駅周辺のみどころ
織田家七代の墓はどう考えても
この駅の周辺とは言い難いかと
時刻表 乗り合いバスのルートと時刻表

 そんなわけで,貫前神社に到着。いまいち一宮制度について詳しくないのですが,上州一ノ宮とのことです。
 車で乗り付けたところ,階段と大きな鳥居が見えたのですが,そこではなにやらスポーツ少年達が集会を開いているようだったので,横の坂を上がってしまいました。

 で,坂を上がって車を降ります。その先は……神社まで下っていきます。これは面白い。勝手なイメージですが,通常,お寺や神社というのは高いところにあるイメージです。確か四国88カ所でも,西林寺が唯一遍路道より低い場所にあるとされておりました。88分の1というきわめて少確率です。江戸以前は神社もお寺もへったくれもなかったのですから(多分),神社も似たような感じなのではないでしょうか。
 いずれにしても,「神社まで階段を下っていく」というのはきわめて新鮮でした。そして,神社が低い位置にあるためまわりを囲まれており,そのために「異空間」度が増しております。これはいい雰囲気。(ほかに「神社まで階段を下る」神社として谷保天満宮が思い出されましたが,あっちはここほど下った先の異空間感がないんだよな。なんでだろうか。)
 宝物殿もあるようでしたが,時間もないので今回はパス。なかなか歴史的にも面白い神社のようで,時間があったら次は妙義神社と併せて再訪してみたいところです。それにしても,Wikipedia先生に教えてもらった「抜鉾神社」と「貫前神社」の関係の論争は興味深い。
 あわせて,Wikipedia先生によると,このように神社に向かって階段を下りていくタイプのものを,「下り宮」と呼ぶようです。そして,「下り宮」で検索すると,「日本三大下り宮」というものがあることが判明。日本三大下り宮は,ここのほか,熊本草部吉見神社と宮崎鵜戸神宮のようです。ここには三大の座を巡る4つ以上の神社間の争いはないのかな?ちなみに,平成25年1月14日時点で「日本三大下り宮」を検索したところ,熊本草部吉見神社が圧倒的にヒット数が多く,続いてこの貫前神社。鵜戸神宮はあまりヒットしません。この結果も興味深いです。(ちなみに,鵜戸神宮にはこの年の11月に参拝することができました。当時はどこにあるかも分かってなかったのに,世の中わかりませんな)

鳥居 灯籠と神門
ここの焼きそばがこの日の昼食でした
400円也
下っていきます 楼門 神楽殿 境内 拝殿は工事中
社殿の解説 楼門と廻廊 摂社の抜鉾若御子神社 横から本殿 楼門 階段を見上げる 再度見下ろす
月読神社 蛙の木
名前の由来は分かったのですが,
唐突に「現在は『無事かえる』といわれている」と言われても
なにがどう言われているのかよく分かりません
階段で特訓中の学生

 そんなわけで,富岡市はこれにて終了。続いて甘楽町に向かいます。携帯がないので,道中入手した観光パンフレットとカーナビが頼りであります。


甘楽へ

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